『おくのほそ道』途上で詠まれた句「湯をむすぶ誓(ちかひ)も同じ石清水(いわしみず)」芭蕉
句郎 「湯泉大明神の相殿に八幡宮を移し 奉りて、両神一方に拝まれさせ給ふを」と前詞を置いて」この句を詠んでいる。
華女 「湯泉大明神」とは、どこにあるのかしら。
句郎 那須湯本温泉のことだと思う。
華女 芭蕉と曽良は那須湯本温泉で旅の疲れを癒したのね。
句郎 温泉に行ってみたら、京都の石清水八幡宮が合祀されていた。早速、芭蕉らは参詣し、その社殿の湯を手ですくい清めると、京都の石清水八幡宮にもお参りしたことになるという。これは温泉の結縁であるなぁーと、旅の安全を祈った。
華女 芭蕉は信仰心の篤い人だったのね。
句郎 芭蕉が生きていた時代は神や仏、伝説などが生きていた。人々の生活を神や仏が規律していた社会に芭蕉は生きていた。
華女 親の教えが子供の心を支配していたようなことね。
句郎 親の支配から自立することが大人になるということだとすると神や仏、伝説などから自立することが近代社会ということなんだろうけれど、芭蕉は神や仏、伝説、風習に縛られていた。これらのものに縛られることによって心の平安を得ることができたんじゃないのかな。
華女 那須湯本温泉に入ることは心も体も癒されたということなのね。
句郎 露天プロの湯を体にかけ石清水八幡宮の神に誓ったということなんだろうと思う。
華女 神様の教えと戒めを守りますと誓ったということね。
句郎 那須に住む人々にとって京都の石清水八幡宮にお参りしたいと願っても叶う人はほとんどいなかったんじゃないかな。だから那須の湯泉大明神にお参りすれば京都の石清水八幡宮にもお参りした功徳が得られるということになると助かるという人々の願いがこのような事態をつくったんだろうと思っている。
華女 京都の石清水八幡宮の御師が那須にやってきて石清水八幡宮の霊威を授けたのかしらね。
句郎 その経緯は分からないが那須に住む人々の間に石清水八幡宮の霊威を慕う人々の存在があって湯泉大明神が生まれたんだろうな。
華女 当時の人々にとって那須湯本温泉はパワースポットだったのよね。
句郎 心配や不安に満ちていた旅に安心と生きる力を湯泉大明神で得た喜び、感動が詠ませた句が「湯をむすぶ誓(ちかひ)も同じ石清水(いわしみず)」だったんじゃないのかな。
華女 京都の石清水八幡宮にお参りしたご利益が得られたということは、陸奥への旅をする勇気と元気を与えてもらったということね。
句郎 陸奥への旅という境涯の中で生まれた句の一つだと思う。
華女 この芭蕉の句は境涯俳句の一つではないかということなの。
句郎 境涯俳句というと手垢がついた感じがするけどね。
華女 石田波郷の句が境涯俳句と言われているものよね。
句郎 境涯俳句というと病苦や貧困を詠んだ句のように思うが芭蕉が旅の中で詠んだ句は境涯俳句だと考えているんだ。「俳句は境涯を詠ふものである。境涯とはなにも悲観的情緒の世界や隠遁(いんとん)の道ではない。又哀別離苦の詠嘆でもない。すでにある文学的劇的なものではなくて、日常の現実生活に徹していなくてはならない。小説戯曲、詩それら一連の文学は、創作である。(中略)生活に随ひ、自然に順じて生れるものである。作句の心は先づここになければならない」と俳誌『鶴』の中で波郷は述べているからね。
華女 俳句を詠むということは芭蕉の俳句を継承しているということなのかしら。
句郎 芭蕉の句は現代の俳人たちの中に生きていると云うことなんじゃないのかな。
華女 「愛しき子には旅をさせよ」という諺があるわ。旅とは境涯ということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。高浜虚子もまた「俳句は芭蕉の文学である」と言っている。だから現代にあって俳句を詠むということは、芭蕉の掌の上にいるということなんじゃないのかな。だから現代の俳人たちがどんなに頑張ってみたところで芭蕉を超えることはできないということなんじゃないのかな。