『おくのほそ道』より「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」 芭蕉
句郎 芭蕉は那須の原で三句もホトトギスを詠んでいる。毎日、毎日ホトトギスの鳴き声を聞いて歩いていたのかなぁー。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が好きだったのじゃないかしら。
句郎 まず「田や麦や中にも夏時鳥、元禄二年孟夏七日」と俳諧書留に曾良は書いている。
華女 孟夏というのは何月のことなのかしら。
句郎 曾良旅日記によると旧暦の四月じゃないのかな。旅日記によると四月六日から九日まで雨止まずとある。この間、芭蕉たちは黒羽の翠桃宅に留まっていた。この時「田や麦や」の句を詠んでいる。
華女 旧暦の四月七日は今の暦でいうといつになるのかしら
句郎 五月二五日のようだよ。
華女 そろそろ梅雨の始まりね。蒸し蒸し、し始まる頃ね。
句郎 曾良の旅日記には「夏時鳥」と記している。この言葉を「夏のほとゝぎす」と「雪まろげ」という俳文の中では書いてる。また茂ゝ代草という俳文の中では「麦や田や中にも夏はほとゝぎす」と詠んでいる。句郎は「夏はほとゝぎす」と詠んだものがいいと思うけれども華女さんはどうかな。
華女 そうね。「夏は」だと夏が強調されるように感じるわ。
「夏の」だとほとゝぎすに焦点が絞られるのかしらね。
句郎 雨が止み、黒羽を出て那須の篠原に向う。そこで「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」を詠む。この句を芭蕉は採り、「おくのほそ道」に載せる。自分が気に入った句なのだろう。
華女 私も「田や麦や」の句より「野を横に」の句の方が力があるように思うわ。
句郎 きっとそうなのだろうと句郎も思う。芭蕉と曾良の一行は那須の篠原から高久の宿に向う。そこで「落ちくるやたかくの宿の時鳥」を詠む。芭蕉はホトトギスの句を都合三句、詠んだ。珍しいことのようだ。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が本当に好きだったのよ。そうでなければ三句も続けざまに詠むはずがないと思うわ。
句郎 この三句の中で一番いいのはやはり「野を横に」の句かな。
華女 そうでしよう。「野を横に」の句が一番いいと私も思うけれどねぇ。
句郎 どこが他の二句と比べていいのかなー。
華女 そうね。いつだったか。加藤楸邨の書いたものを読んでいたら、「田や麦や」の句はなにか調子の渋滞が感じられる。生き生きしたものがないというようなことを書いていたように漠然と覚えているわ。
句郎 生き生きした溌剌さが感じられないということかな。
華女 そうなんじゃないかしら。
言われてみればそういう感じがするでしょ。
句郎 それじゃ、「落ちくるや」の句はどうなの。
華女 高いところからホトトギスの声が落ちてくるというのでしょ。高久の宿の高くという言葉と高いところから落ちてくるという言葉が掛詞なっている。その言葉遊びを感じてしまう。ここがよくないと加藤楸邨は書いていたように思うわ。
句郎 華女さんは楸邨について詳しいね。
華女 そんなことないわ。昔、楸邨の弟子という人の教室に通っていたことがあるのよ。
句郎 へぇー。そこでどんなことを学んだの。
華女 昔のことだから、忘れちゃったわ。「柳より風来てそよと糸とんぼ」という楸邨の句を覚えているわ。これくらいかな。記憶に残っている句は。
句郎 「野を横に」の句は何がいいのかな。
華女 楸邨は「ますらおぶりのやさしさ」だと言っていたように思うわ。馬丁に乞われて詠んだ句でしょ。「馬牽むけよ」と「ますらおぶり」の「優しさ」がいいというのよ。