醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  827号  白井一道

2018-08-21 12:26:50 | 随筆・小説


 
  「山も庭もうごき入るや夏座敷」。『おくのほそ道』途上芭蕉が詠んだ句


句郎 『おくのほそ道』途上、那須の黒羽に門人秋鴉(しゅうあ)を尋ねて挨拶した句のようだ。秋鴉は黒羽の館代浄法寺図書高勝。
華女 江戸時代の那須は不毛の地だと聞いていたけれども、集落があり、俳諧を楽しむ人がいたのね。
句郎 江戸では少し名の知れた俳諧師だったのかなと思っていたが、那須の黒羽に芭蕉を慕う俳諧の仲間がいたということは凄いことなんだと思うな。
華女 見晴らしの良い高台に秋鴉さんの屋敷があったのね。
句郎 この句には「山も庭に動き入るや夏座敷」という句形も伝わっている。
華女 「山も庭も」と「山も庭に」の「も」と「に」の違いね。
句郎 「も」と「に」、どちらの方がいいかな。
華女 「山も庭に」の方が断然分かりやすいわね。借景だということが分かっていいと思うわ。
句郎 この句について、俳人の長谷川櫂が著書『「奥の細道」をよむ』の中で「山も庭も」の方が「山も庭も夏座敷に躍りこんでくるようだという一物仕立ての句。躍動感があって、この方がはるかによい」と述べている。
華女 夏座敷に招かれ、庭を眺めた時の感動が追体験できるような句だということなのね。
句郎 この句を読むと思い出すことがあるんだ。昭和三十年代の大和郡山から斑鳩の方に行くバスがあった。その途中に大和小泉がある。そこに慈光院という寺の庭から大和平野が望めた。田んぼの中を汽車が走っていく。新緑の田んぼとため池、その中を白い煙を吐いて走る汽車。慈光院の庭と汽車、田んぼ、ため池、この借景が記憶に焼き付いている。
華女 「汽車も庭もうごきいるるや夏座敷」なのね。
句郎 そうなんだ。一幅の絵になっているんだ。
華女 この芭蕉の句には躍動感があると長谷川櫂は言っているのよね。「動き」というものを芭蕉は表現したと言っているのよね。
句郎 そう、静的な世界を表現するのではなく、動的なものを表現するのが蕉風の俳諧なのかもしれないな。
華女 そうなのかもしれないわ。例えば『おくのほそ道』にある有名な句、「五月雨をあつめて早し最上川」。この句も水量が多い梅雨の時期の最上川の流れの速さが表現されているのよね。
句郎 そうだよね。「さみだれや大河を前に家二軒」。蕪村の句と比べてみるとはるかに芭蕉の句には躍動感があるな。
華女 蕪村の句は、静かな絵画のような句ね。
句郎 絵画的だから静的な句だということにはならないとは思うけどね。
華女 そりゃそうよ。躍動感溢れる絵画だってあることは知っているわ。ドラクロワの絵には躍動感が溢れているように思うわ。
句郎 フランス七月革命を表現した「民衆を導く自由の女神」の絵には躍動するパリ市民が表現されているように感じるな。
華女 蕪村の句には静物画のような静かさがあるわ。
句郎 その静かさのようなものが蕪村の句の魅力なのかもしれないな。
華女 躍動する大河の魅力が芭蕉の句にあるとしたら蕪村の句には大河の静かな流れに魅力があるのよ。
句郎 「山も庭も」夏座敷に招き入れられた時、芭蕉の目に飛び込んできて座敷に設けられた一幅の絵になったという感動を表現しているということだよね。
華女 芭蕉は心象風景を表現しているのよね。
句郎 そう、心象風景を詠んでいる。ここに芭蕉の句の特徴があるように思っている。
華女 単なる写生の句ではないということなのよね。
句郎 そう。だから明治になってから正岡子規が「写生」ということを言ったけれども見方に依れば、芭蕉は子規よりも近代的な域に達しているとも言えるように思うな。
華女 心象風景という主観を詠んでいるということね。
句郎 主観を詠んだというこ とが子規より近代的なのかもしれないと思っている。芭蕉の句と子規の句とを比べてみると遥かに子規の句より芭蕉の句の方が多くの人に親しまれているように思うんだ。子規の句を口ずさむ人は芭蕉の句を口ずさむ人ほどいないように思っているだけどね。