米中貿易戦争についてのテレビ討論番組を見て感じたこと、民主主義とは
アメリカ政府が中国を「民主化」しようとWTOに加入させたのは失敗だったのではと発言した人がいた。
この「民主化」という言葉を聞き、ピンとくるものがあった。この発言者が何を意味して「民主化」と発言したのか、私は理解した。それは経済力の強い者に弱者は従うべきだということだ。
中国はアメリカに比べて経済力において弱者である。弱者である中国はアメリカの言うことに従うべきなのに、従わない。これは「民主主義」に反する。中国を民主化することにアメリカは失敗したと発言していた。と同時に強者の言うことに従わない中国には「民主主義」がないと批判していた。
「民主主義」とは、多数決だと多くの国の指導者たちは考えているのだろうか。そんなことを考えている指導者たちは自国を強国だと自惚れているだけだ。
安倍総理を支持する自民党議員たちも強者に弱者は従うべきだと考えている人々のようだ。数の力で強硬採決することが「民主主義」だと考えている。多数決、多数者の提案、政策、施策は多数者の考えに基づいているのだから正しいということなのだろう。しかし、この多数者が本当に多数者なのか、どうかが問題なのだ。今の自民党政権は日本の全有権者の十七%の支持しかない。十七%の支持を得た政党が議会の多数者になっているのだ。小選挙区制という制度によってこのような少数の支持を得た政党が多数の議席を得る態勢になっている。だから今は少数の議席しかない自由党党首小沢一郎氏は小選挙区制だから政権交代が実現できると主張している。実際に政権交代を実現したと主張している。小選挙区制であったが故に民主党は政権交代を実現することができたのだろう。
捲土重来を果たした自民党は政権を失った自民党とは大きく変わっていた。再び政権を失うようなことをしてはならない。捲土重来を果たした自民党のコアには日本会議に参加する議員がいる。政権を失うまでの自民党には保守本流と呼ばれる今の自民党では考えられないようなリベラルな議員たちが政権の中枢にいたが今はいない。再び自民党が政権を失うことがあってはならないような態勢を敷いている。その一つがマスコミ対策のようだ。安倍政権を批判するような番組を徹底的に苛め抜く。これは多数者を偽装する仕掛けた。また一つはネットを管理する。大量のフェイクニュースをネットに投稿させる。
多数者の主張は正しい。多数決は民主主義だ。この考えを仮に認めたとしても国民の多数者の意見を反映していない議会の中だけの多数者の意見は多数者を偽装した民主主義でしかないだろう。国民の多数者は原発の再稼働に反対しているという。この国民の意思に反する原発の再稼働は民主主義に反する決定ではないのだろうか。
強者の意思を弱者に押し付ける制度としての民主主義は偽装した民主主義でしかないだろう。
弱者、少数者の意思を尊重し、合意形成することのない民主主義は強い民主主義社会を形成することはない。