『おくのほそ道』から「もの書きた扇ひきさく余波かな」
この句だけを読んだのでは何が表現されているのか、わからない。もちろん鑑賞などできない。「奥の細道」この句の前に書かれている文章を読むと幾分情景が想い浮かぶ。
金沢の北枝という者が芭蕉を慕い、丸岡天龍寺まで見送ってくれた。その北枝との別れに臨みて詠まれた句であることが分かる。この情報による想像だけでこの句を鑑賞するにはまだ不十分のようだ。俳句には季語というものがある。この句の季語は何か。その季語が表現する世界はどのような世界なのかが分かっていなければ鑑賞はできない。
この句の季語は「扇」である。「扇」は夏の季語、しかし表現されている世界はなんとなく秋のような感じがする。「扇引さく」とあるからいらなくなった扇である。いらなくなった「扇」、すなわち「秋扇」・「扇置く」を意味している。これは秋の季語である。「秋扇」には寵愛を失った女性を意味すると広辞苑にある。「秋扇」という季語の世界を味わうと想像力が喚起される。
「もの書きて」とはきっ
と別れの挨拶句を書いたのだろうと想像できる。この句は北枝との別れの挨拶句なのだ。別れの挨拶句で扇を引裂いてしまっては挨拶にならない。「扇引さく」とはどのような状況なのだろうと推理する。注釈書をひも解くと「松岡にて翁に別侍りし時、おふぎに書きて給る、もの書きて扇子へぎ分(わく)る別(わかれ)哉 翁 笑ふて雰(きり)きほい出(いで)ばや 北枝」とある。「もの書きて扇引さく」とは芭蕉が挨拶句を書き、北枝が七七を付けて挨拶を
返した。「もの書きて扇引さく」とは白紙の扇子に師匠である芭蕉が五七五を書きいたものをへぎ分け、北枝に与え、北枝が付けた七七を師匠である芭蕉は受け取った。このような状況を表現した言葉が「もの書きて扇引さく」ということになる。「扇子へぎ分る」とは、「へぎ」が、はがすという意味だから二枚の紙を合わせて作られている扇子の紙を二枚に剝し分けたという意味になる。「扇子へぎ分る」という状況を芭蕉は「扇引さく」と表現した。こう表現することで別れの哀し
みの強さを表現したのだと気が付く。「扇子へぎ分(わく)る別(わかれ)哉」では北枝との別れの辛さ、哀しみが表現できない。平板な淡々としたものになってしまう。「別(わかれ)」を「余波(なごり)」と言い換えることによって北枝との別れの辛さ、哀しみの余韻が表現される。
元禄時代、芭蕉のような人々にとって扇子はきっと貴重品であったに違いない。その貴重な扇子を引裂くほどの哀しみが北枝との別れにはあった。実際、扇子を引裂くことはしなかったのではないか。これは哀しみを表現する比喩なのだ。
当時の別れは今生の別れなのだ。打ち解けた俳句の世界を共有した北枝との別れはもう二度と生きて会うことはない別れなのだ。現代にあっては死に別れに匹敵する別れなのだ。それほど芭蕉と北枝とは打ち解けあったのだ。この芭蕉の哀しみに対して北枝は微笑んでこの霧の中にお別れして元気よく出発していこう。このような挨拶を交わした。それがこの句なのだ。