『おくのほそ道』より「暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)」
句郎 芭蕉は『おくのほそ道』の途上、日光、東照宮に参拝した後、裏見の滝を見に行っているんだね。
華女 「暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)」。この句は日光、裏見の滝で詠まれている句なのよね。東照宮からだとどのくらいの距離かしらね。
句郎 現在の距離数でおよそ四キロ弱というところかな。
華女 今から三三〇年前でしょ。細い山道を登っていったんでしようから。二時間近くかかったんじゃないのかしら。
句郎 曽良旅日記によると芭蕉と曽良が裏見の滝を見に行ったのは元禄二年四月二日のようだ。天気は快晴だった。
華女 今の暦で言うといつになるのかしら。
句郎 新暦でいうと五月二十日のようだ。
華女 まさに新緑の頃ね。
句郎 この日、芭蕉と曽良は裏見の滝を見た後、憾満ヶ淵を見物している。
華女 お地蔵さんが並んでいるところね。
句郎 大谷川(だいやがわ)の川音と新緑の中、お地蔵さんに参っているのかな。
華女 憾満ヶ淵は一見の価値あるところよね。勿論今でも裏見の滝は見に行って良かったと思えるところであることには間違いないと思うわ。
句郎 憾満ヶ淵は男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝らしい。 川岸に巨岩があり、岩上に晃海僧正(こうかいそうじょう)によって造立された不動明王の石像が安置されている。その不動明王の真言(しんごん)の最後の句から「かんまん」の名がついたといわれているらしい。南岸には数えるたびに数が違うといわれることから化地蔵(ばけじぞう)およそ七〇体のお地蔵さんが、また上流の絶壁には、弘法大師が筆を投げて彫りつけたという伝説のある「かんまん」の梵字が刻まれているといわれているからね。
華女 あまり観光客が足を延ばさないところではあるのよね。
句郎 日光通の人が知る、知る人ぞ知る観光名所が裏見の滝と憾満ヶ淵かな。『おくのほそ道』で芭蕉が訪ねた場所なんだからね。現在、芭蕉が『おくのほそ道』で訪ねた場所は観光名所になっているところが多いが裏見の滝と憾満ヶ淵は日光の主要な観光名所にはなっていないな。
華女 日光には華厳の滝、中禅寺湖など今や世界にも知れ渡っている凄い観光名所があるからなんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉はなぜ華厳の滝まで足を延ばさなかったまかな。
華女 華厳の滝が有名になるのは近代になってからなんじゃないのかしら。
句郎 確かに日光山輪王寺は修験道の寺のようだけれど、大きな影響力を持つことがなかったんじゃないのかな。今でも男体山山開きの日には白装束で奉納登山する人が多数いるようだけれどね。
華女 華厳の滝が特に有名になったのは自殺の名所としてだったんじゃないのかしら。
句郎 藤村操かな。
華女 「巌頭之感」よ。高校生のころ、英語の先生に教わった記憶があるわ。
句郎 「悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」
自殺の名所、華厳の滝かな。
華女 芭蕉の知らないことよ。
句郎 芭蕉は杉の大木の林の中から東照宮を仰ぎ見て、参拝し、「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠み、裏見の滝を見て「暫時は滝に籠るや夏の初」と詠んで日光を後にしている。
華女 滝の裏側で芭蕉は休んだのよね。汗ばんだ体には気持ち良かったんじゃないのかしら。
句郎 これはまさに夏安居(げあんご)だということなのかな。
華女 夏安居というより夏越の祓いだったんじゃないのかしら。
句郎 ちょっと早めのね。夏安居も夏越の祓の梅雨の頃のことだから、五月下旬じゃ、ちょっと早いから、滝の裏側で休んでいて、夏越の祓いだとおどけて見せたということかな。