醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1144号   白井一道

2019-08-03 12:00:18 | 随筆・小説



    ひやひやと壁をふまえて昼寝哉   芭蕉  元禄7年



句郎 「ひやひやと壁をふまえて昼寝哉」元禄7年。『笈日記』。この句には前詞がある。「その後、大津木節亭にあそぶとて」。
華女 芭蕉は誰からも好かれる人だったのね。
句郎 俳諧師は芸能人だったから、人の気持ちをそらすようなことのない人だったのじゃないかな。
華女 『笈日記』には、どのようなことが書かれているのかしら。
句郎 「『此句はいかに聞き侍らん』と申されしを、『是もただ残暑とこそ承り候へ。かならず蚊帳の釣り手など手にからまきながら、思ふべき事をおもひ居ける人ならん』と申し侍れば、『此謎は支考にとかれ侍る』とて、笑ひてのみ果てぬるかし。」とある。
華女 残暑の頃、木節亭に招かれたことがあったのね。
句郎 今栄蔵の『芭蕉年譜大成』によると元禄7年7月上旬に芭蕉は木節亭に遊んだようだ。
華女 旧暦の7月上旬というと新暦に直すといつ頃になるのかしら。
句郎 元禄7年7月上旬というと新暦に直すと1694年8月下旬の頃になるようだ。
華女 8月下旬というと確かに残暑ね。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」。古今集の歌の頃よね。
句郎 藤原敏行の歌かな。
華女 盛夏の頃の暑さと違って独特な暑さが残暑にはあるわね。
句郎 残暑の頃の昼寝にはそよ風が吹き、気持ちいいものなんじゃないかな。
華女 芭蕉は壁に足裏をつけると冷たさを感じた。この感覚を句に詠んでいるのね。
句郎 昼寝とは、額に汗して働く町人や農民の夏場の生活習慣の一つだと思う。
華女 そうよね。今でもクーラーの利いたオフィスで昼寝というのは許されないのじゃないかしらね。
句郎 公家や武士の昼寝は絵にならないように思うな。
華女 昼寝は江戸の庶民文化の一つだったのよ。
句郎 僅かの時間、休む時間が気持ちいい。それが昼寝かな。
華女 大工さんや左官屋さん、植木屋さんが木陰で休むことを三尺寝というらしいわよ。
句郎 あぁー、日陰が三尺ほど移る間の短い眠りだから、三尺寝というらしいよ。ほんの短い時間であっても、体に元気が漲るような気持ちになるのが昼寝かな。江戸庶民文化、昼寝を俳諧に詠んだのが芭蕉だった。
華女 昼寝を句に詠むことによって芭蕉は江戸庶民の生活の中に文学を、詩を発見したということなのね。
句郎 庶民の生活の一断面を切り取り、そこに詩を芭蕉は発見した。
華女 芭蕉の句を読み、そこに詩を発見した近代日本の俳人たちも自分たち、庶民の生活の中にも詩があることを知ったということね。
句郎 近代日本の女性の俳人たちも自分たちの身のまわりにあるものや出来事も句になることを知ったのではないかと思うな。
華女 分かるわ。中村汀女の句に「外(こ)にも出よ触るるばかりに春の月」があるわ。お母さんが子供たちに行っているのよね。おもてに出ておいで。お月様がきれいよと、言っているだけよ。それで立派な句になっているわね。
句郎 「ひやひやと壁をふまえて昼寝哉」。このような句を芭蕉が詠んでくれていた。その句が詩として認められたということがなかったら、中村汀女の句も生まれることはなかったのかもしれないな。
華女 「ひやひやと」と芭蕉は詠みだしているのよ。なかなかこのような上五を詠むことは難しいわ。他人の詠んだ句を読むと簡単に思うけれども、自分では詠めないのよね。
句郎 足で踏まえた壁の冷たさの間持良さが同時に昼寝の気持ち良さになっている。昼寝の気持ち良さを一物づくりで表現しているところに芭蕉の力がでているのかな。
華女 芭蕉の句をじっくり読むと凄いと思うわ。