醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1148号   白井一道

2019-08-07 10:53:20 | 随筆・小説



  冬瓜(とうがん)やたがひに変る顔の形(なり) 芭蕉 元禄7年



句郎 「冬瓜(とうがん)やたがひに変る顔の形」元禄7年。『西華集』。
華女 スーパーで冬瓜を見かけたことはあるけれども食べたことはないわ。かぼちゃのように煮て食べるのかしらね。
句郎 冬瓜のお吸い物を料理屋でいただいた経験があるな。
華女 冬瓜は冬のものなのかしらね。
句郎 冬瓜の旬は夏のようだよ。
華女 冬の瓜と書くからてっきり冬の野菜かと思ったわ。
句郎 そう、冬の瓜と書く。けれども旬は夏のようだ。そのまま冷暗所で保存すると、冬までもつことから、漢字では「冬瓜」(とうが)と記すようになったと言われているようだ。丸形、円筒形、楕円形などさまざまな種類があるようだ。95%が水分で、低カロリー。涼しげな見た目とさっぱりとした味が、夏にぴったり。原産地は、インドといわれており、日本には平安時代の書物『本草和名』で記載があるほど古くから親しまれてきた野菜の一つだ。
華女 どんなふうに冬瓜は食べるのかしら。
句郎 冬瓜は余分なナトリウムを排出して血圧を正常に保つ働きをするカリウムが多い。腎臓の働きを促進し、老廃物を排出する作用もある。むくみの解消や高血圧に効果がある言われている。肌の健康維持に役立つビタミンCも含まれていると言われているようだ。
華女 冬瓜の料理法を知りたいわ。
句郎 一般的には冬瓜の煮物や葛あんかけなんかじゃないのかな。
華女 冬瓜は夏の季語なの。
句郎 冬瓜は秋の季語になっているようだ。
華女 芭蕉はこの句をどこで詠んでいるのかしら。
句郎 支考編の『西華集』には「此の句は、伊賀に居給へる時の作なり。是には、『老女に遭ふ』などいへる題もあらばやと申されしか」とある。故郷の同世代の女性たちのイメージを冬瓜に託しているのじゃないのかな。
華女 芭蕉は自分と同世代の故郷の女性と出会い、皺と白髪に自分の年を思ったということね。
句郎 冬瓜は白い瓜、筋が幾筋もある。それが皺のように見えるから。
華女 皺だらけになった老女の顔は冬瓜のようだということね。
句郎 自分ではまだまだ若いとは思ってはいても私も人から見れば、年老いた老人に見られているのだろうという自覚かな。
華女 分かるわ。この間、街の医院に行ったのよ。偶然、高校の頃の同級生に逢ったわ。手なんか見たら皺だらけ。その皺が黒くなっているの。ご主人さんはもう亡くなったと言っていたわ。嫁に行った娘さんが近所に住んでいて時々世話してくれると言っていたわ。凄いお婆さんになっていたので驚いたわ。
句郎 同窓の女性に逢うのは嫌な経験だな。誰とも逢いたくないという気持ちだ。
華女 それでも昔の人に比べて今の人の方が遥かに若いわね。
句郎 芭蕉51歳の時の句だから、元禄時代の五十代は今の八十代ぐらいの年恰好だったかもしれないな。
華女 そうかもしれないわ。最近腰の曲がったお爺さんやお婆さんを見かけなくなったわね。私らが娘だった頃はほとんどの老人の腰は曲がっていたように気がするわ。
句郎 それだけ昔は厳しい農作業を強いられていたということかな。特に女性はそうだったのじゃないかな。
華女 そうね。私の母も年がら年中、腰が痛いと言っていたわ。父はそのようなことを言うのを聞いたことがないわね。
句郎 「冬瓜(とうがん)やたがひに変る顔の形」。この句は元禄時代の時間の残酷さのようなものを表現しているような気がするな。
華女 時間とは残酷なものなのよ。この残酷な時間を美しく老いるということがいかに難しいかということを感じているわ。