醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1152号   白井一道

2019-08-11 14:47:57 | 随筆・小説



   新藁の出初めて早き時雨哉   芭蕉  元禄7年



句郎 「新藁の出初めて早き時雨哉」元禄7年。『芭蕉翁全伝』。
華女 この句は新藁を詠んだ句なのかしら、それとも時雨を詠んでいるのかしら。
句郎 新藁じゃないのかな。
華女 昔は大変だったわ。稲刈りが終わった後、田圃に稲を干すところを作るでしょ。男仕事よ。稲を束ね、束ねた稲を二つに割って丸太に掛けるのが女仕事よ。
句郎 刈り取った稲を乾燥させるわけね。
華女 そう、乾燥させるのよ。だから雨でも降ったら大変。大急ぎで稲束を納谷に収納するの。農家ほど忙しい仕事はないわ。天候と競争して仕事をしていたわ。
句郎 稲を天日に干し、乾燥させるとアミノ酸と糖の含量が高くなり、また稲を逆さまに吊るすことで、藁の油分や栄養分、甘みが最下部の米粒へ降りて栄養とうま味が増すと言われている。太陽光という自然エネルギーを利用する昔からの方法が美味しいお米になったみたいだ。
華女 乾燥した稲を稲扱きした後のものが新藁ね。
句郎 秋の日の温みのようなものが新藁にはあるな。
華女 そうなのよ。私も新藁の上で昼寝をしたような記憶があるわよ。
句郎 きっと元禄時代の貧しい農民にとって藁は布団だったと思うよ。
華女 そう。藁の中ってとても暖かった記憶があるわ。
句郎 新藁が出始めるのはもう晩秋だったんだろうな。
華女 そうよ。脱穀が始まるのは晩秋だったわ。この句を芭蕉はどこで詠んでいるのかしら。
句郎 「此の句は秋の内、猿雖に遊びし夜、山家のけしき云ひ出しついで、ふと言ひてをかしがられし句なり」と『芭蕉翁全伝』にあることから、伊賀上野の猿雖亭にて詠んだ句ではないかと言われている。
華女 伊賀上野は山国の盆地よね。秋は足早に去るところなんじゃないかしら。
句郎 盆地は夏暑く、冬寒い所だからね。
華女 京都も盆地だから冬は底冷えのする寒い所よね。伊賀上野もそうなのかもしれないわ。
句郎 新藁が出初めると同時に時雨れる日が訪れていたのかもしれないな。
華女 この句を芭蕉はいつ詠んでいるのかしら。
句郎 今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によると「秋」とのみ記し、月日の記入がないので、分からないが、旧暦の元禄7年の9月ではないかと私は考えている。
華女 新暦に直すとおよそ十月よね。十月の伊賀上野というともう時雨れる日が訪れていたということね。
句郎 元禄時代に生きた農民にとって秋の日の過ぎゆく速さを実感していたのかもしれないな。
華女 確かに農民にとって月日の速さは身に沁みて感じていたと思うわ。私の父も母も秋の日は毎日走り回っていたような記憶があるわ。朝、目が覚めると日が暮れると母が良く言っていたわ。
句郎 「新藁の出初めて早き時雨哉」。この句には元禄時代に生きた農民の秋の日の時間感覚が表現されているように感じるな。
華女 そうなのかもしれないわ。身分によって時間の感覚というのは違っていたようにも思うわ。有名な三夕の歌があるわね。芭蕉が心酔した西行の「心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ」、この歌が表現している時間感覚は貴族のものね。農民にとって景色などを眺めている時間など秋にはないわ。
句郎 釣瓶が落ちてくるように秋の日はすぐ暗くなってしまうから。それこそ走りまわって後片付けしなければならないからな。
華女 秋の夕暮れ、これといってしなければならないならない仕事を持たない人てなければ、「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」なんていう歌は詠めないわ。定家は暇人だったのよ。