醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1146号   白井一道

2019-08-06 13:21:07 | 随筆・小説



   里古りて柿の木持たぬ家もなし   芭蕉  元禄7年



句郎 「里古りて柿の木持たぬ家もなし」元禄7年。『芭蕉翁全伝』。「望翠方に8月7日ノ夜会アリテ云ヒ出デラレシナリ。歌仙有」と土芳の『芭蕉全伝』にある。
華女 望翠とは、どこの人だったのかしら。
句郎 望翠とは芭蕉の故郷伊賀上野の門人で町人、井筒屋の主人だった。通称新蔵。芭蕉の妹の亭主とも言われているが不詳。
華女 故郷、伊賀上野でも俳諧師として芭蕉は人気を得て住民に受け入れられていたのね。
句郎 「里古りて」という言葉には故郷、伊賀上野を誇る気持ちが芭蕉にはあったのじゃないのかな。
華女 庭に柿の実る木がある家を羨む子がいたのを知っているわ。
句郎 昔といっても昭和30年代の頃だけれども、庭に柿の実がなる農家の家は豊かなような印象があったように感じるな。
華女 私は何とも思わなかったわね。私の家にも柿の木が二本あったような気がするけれども、柿の実をとって食べた記憶もないわね。
句郎 庭に柿の木があるということは、旧家だということを意味しているのじゃないかな。
華女 「桃栗三年柿八年」なんていう言葉があったわね。
句郎 柿の実が実るには長い年月がかかるということを言っているのじゃないかな。
華女 思い出したわ。母の言葉よ。「桃栗三年柿八年、柚は九年でなりかねず」と母が良く言っていたわね。実を実らすには長い年月がかかるということよね。
句郎 華女さんの家には柚の木もあったの。
華女 あったのよ。私が大人になってからだったかしら、姉が大きな声で柚がなったと庭で大声をあげたことがあったわ。その柚の苗木を植えたのは母だったのよ。確かに10年以上の年月がかかったように思うわ。
句郎 『二十四の瞳』という映画、覚えている。
華女 覚えているわ。小学校の女性の先生の話よね。
句郎 原作を書いた壺井栄の文学碑に刻まれている言葉に「桃栗三年、柿八年、柚は九年の花盛り」とあるそうだよ。壺井は、故郷の小豆島では「柚の大馬鹿十八年」と言うことを聞き、その言葉をいたく気に入ったらしい。
「9年目の花ばかりを喜びとせずに、気の長い18年を大馬鹿とののしりながら待っている人間も人間らしくおもしろければ、馬鹿といわれながらも結局は実をならせる柚もまた、おもしろいではないか」とね。
華女 「桃栗三年柿八年」の次にくる言葉はいろいろあるということね。
句郎 柿の木があるということは豊かさを意味しているということかな。
華女 私は柿の若葉の頃が好きよ。柿の若葉ほど綺麗な色はないように感じるわ。
句郎 柿若葉は立派な季語になっているよね。
華女 柿の木は柘植や伽羅の木に勝る庭木にもなっているわ。
句郎 柿の木は農家の庭木だ。ここに芭蕉は美を発見した。枯山水の石の庭や木斛や伽羅の庭木のある庭に決して劣ることのない庭が農家の庭にはある。藁ぶきの家と柿の木が織りなす農家の庭の美しさに芭蕉は気づいた。
華女 農家の佇まいに芭蕉は俳諧を発見した句が「里古りて柿の木持たぬ家もなし」ということね。
句郎 柿の木に俳諧を芭蕉は発見した。柿の木は゜農民が愛した木だった。実がなる。甘く美味しい。渋柿は干すと甘く、美味しくなる。柿は農民の好物だった。疲れた体に甘味の果物は疲れた心を癒す。柿は農民が好んで食べた果物だった。
華女 確かに柿を食べる農民の姿に上品さのようなものを感じたことはないけれども、柿を食べ、満足した農民の顔が綺麗だったような記憶はあるわね。
句郎 人間は誰もが美味しいものを食べ、満足した時の顔は美しい。
華女 農民の顔の美しさを私は知っているわ。