醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1159号   白井一道

2019-08-18 14:44:06 | 随筆・小説



    おもしろき秋の朝寝や亭主ぶり   芭蕉  元禄7年



句郎 「おもしろき秋の朝寝や亭主ぶり」 元禄7年。『まつのなみ』。「あるじは、夜あそぶことを好みて、朝寝せらるる人なり。宵寝はいやしく、朝起きはせはし」と前詞がある。
華女 「宵寝はいやしく」とは、どういうことかしら。昔、農民は早寝、早起きが篤農家だと云われていたのじゃないの。
句郎 元禄時代になると豊かな町人が出てきた。それらの人々はの中には宵のうちから寝てしまうのは灯の油をけちるようで卑しいというような世論が生れて来ていたようだ。また早起きは勤勉過ぎて気ぜわしい。このような文化が生れて来ていたのが元禄時代だった。
華女 芭蕉はどうだったのかしら。
句郎 早起きを芭蕉は大事なことと考えていなかったという見方をしている芭蕉学者がいる。
華女 日常生活の立ち居振る舞いはその人の職業や社会的立場によって異なっているということね。
句郎 芭蕉は俳諧師、朝早く起きる理由がなかった。俳諧師としての立ち居振る舞いをしていた。それが身についていた。
華女 元禄時代にあっても農民や町人は早起きが良い、夜は早く寝るのが良いと考えていたのじゃないかしら。
句郎 だから「秋の朝寝をおもしろき」と詠んでいる。町人でも主人でなければ朝寝などできなかったのが一般的だった。
華女 朝寝をして誰からも文句を言われることがなかったのが亭主だったのね。
句郎 朝寝をして威張っているのが亭主だった。
華女 嫌な時代だったのね。亭主一人だけがお魚を食べ、その他の使用人や家族は漬物とご飯、みそ汁だけという時代は昭和40年代ぐらいまで農村にはあったように思うわ。
句郎 亭主一人だけが朝寝できる。そのような時代が日本では長く続いていたということかな。
華女 朝寝が亭主の特権のように許されていた。それが元禄時代の豊かな町人の家族だったということね。
句郎 俳諧も豊かな農民や町人のご主人さまだけの遊びだったのではないかと思う。
華女 当時、女性で俳諧を楽しむ人はいなかったわけではないのでしょうが、極く少ないでしよう。
句郎 芭蕉が片思いをした女性ではないかと言われているのが、園女という女性の俳人かな。
華女 伊勢山田の医師・斯波一有の奥さんね。俳諧を夫と一緒にやっていた人なんでしょ。
句郎 元禄7年9月27日、園女邸に招かれ、芭蕉は歌仙を巻いている。この時の俳諧の発句が「白菊の目に立て見る塵もなし」であった。この句には芭蕉の園女に対する気持ちが表現されていると主張する人がいる。
華女 芭蕉は園女に仄かな愛情を抱いていたのではないかということね。
句郎 園女は美貌の女性だったと言われている。
華女 美貌の女性でお医者さんの奥さんというのは元禄時代にあっても特別な存在だったということなのかしらね。
句郎 「春の野に心ある人の素貌(すがお)哉」という句が園女の句として伝わっている。
華女 「心ある人」とは、どのような意味があるの。
句郎 素顔は恋するサインだったようだよ。
華女 あなたに恋している女がここにいますよと伝えている句なのかしら。
句郎 園目の恋する相手が芭蕉であったか、どうかは分からない。
華女 江戸時代にあっても恋する女性はいたということね。恋とは自己主張よね。そんな女性に芭蕉は魅力を感じたのかもしれないわね。
句郎 病を押して芭蕉は死ぬまで俳諧を楽しんでいた。死の間際に至っても女性への強い関心を芭蕉は持っていた。
華女 そういう男性だったからこそ、俳諧で名を遺すような仕事ができたのかもしれないわね。
句郎 芭蕉は死ぬまで生きる楽しみを味わっていた。