醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1170号   白井一道

2019-08-29 10:38:22 | 随筆・小説



    鶏頭や雁の来る時なほ赤し   芭蕉  元禄7年



句郎 「鶏頭や雁の来る時なほ赤し」。元禄7年。『続猿蓑』。
華女 鶏頭のことを「雁来紅(がんらいこう、かまつか)」と言うのよね。
句郎 雁来紅とは、葉鶏頭の事を言うようだ。鶏頭と葉鶏頭とは、違う植物みたい。
華女 『枕草子』にある「かまつかの花らうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる」とあるのは鶏頭の花ではなく、葉鶏頭のことだということなのかしら。
句郎 雁が渡って来る頃、葉が赤く発色するのが葉鶏頭だ。「かくれ住む門に目立つや葉鶏頭」と永井荷風が詠んでいる。鮮やかな葉鶏頭が瞼に浮かぶ。芭蕉が詠んだ「鶏頭や」の句の「鶏頭」は、葉鶏頭なのではないのかと思う。
華女 もしかしたら、芭蕉は葉鶏頭を雁来紅ということを知らなかったのかもしれないわ。
句郎 そうなのかもしれない。鶏頭と葉鶏頭とを間違い、葉鶏頭を雁来紅ということも知らなかったのでこのような句を詠んでいるのかもしれないな。


 雁来紅を詠んだ句を評釈した清水哲男氏の文章を紹介したい。


「雁来紅弔辞ときどき聞きとれる」池田澄子
             
雁が飛来するころに葉が紅く色づくので「雁来紅」。「かまつか」の読みも当てるが、掲句ではそのまま「がんらいこう」と読ませるのだろう。葉鶏頭のこと。故人とは特別に親しかったわけでもないので、作者は参列者の末席あたりにいる。「雁来紅」が目に写るということは、小さな寺で堂内に入れずに、境内に佇んでいるのかもしれない。こういうことは、よくある。したがって、弔辞もよく聞こえない。こうした場合、普通は「よく聞きとれぬ」と言うところを、同じことなのだが「ときどき聞きとれる」とやったところに可笑しみが出た。物も言いようと言うけれど、掲句の「言いよう」には俳句での年季が感じられる。「聞きとれぬ」と「聞きとれる」では、葬儀そのものへの感情的距離感がまったく違ってしまう。「聞きとれぬ」は悲哀に通じ、逆に「聞きとれる」は諧謔に通じる。作者は、そのことを十二分に承知している。「雁来紅」はいよいよ鮮やかに目に沁み、いわば義理で出ている葬儀はなかなか終わりそうもない。『ゆく船』(2000)所収。