醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1145号   白井一道

2019-08-04 13:25:48 | 随筆・小説



   家はみな杖に白髪の墓参り   芭蕉  元禄7年



句郎 「家はみな杖に白髪の墓参り」元禄7年。『続猿蓑』。この句には前詞がある。「甲戌(かふじゅつ)の夏大津に侍りしを、兄のもとより消息せられければ、旧里に帰りて盆会を営むとて」とある。この句には異型の句が伝えられている。一つが「一家みな白髪に杖や墓参り」『陸奥鵆(むつちどり)』、「家はみな杖に白髪や墓参り」『宇陀法師』。
華女 元禄7年は甲戌(かふじゅつ)だったのね。芭蕉はお盆に故郷の家に帰りは墓参りをしたということね。
句郎 芭蕉の兄弟姉妹はみな杖をつく白髪の老人になっていた。
華女 この句は「白髪や」と切るのではなく、「白髪の墓参り」とした句の方が力があるわね。
句郎 三百年前の句だとは思えないような新鮮な句のように思うな。
華女 一物仕立ての句の見本になる句ね。
句郎 このようなお盆の風景は今でもあるように思うな。
華女 お盆の墓参りの習慣はすでに元禄時代にはできていたのね。
句郎 元禄時代に生きた農民の生活習慣のようなものに詩を発見して詠んでいるということなのかな。
華女 芭蕉は自分の身のまわりにあるものや出来事そのものを詠んで文学を創造したということね。
句郎 公家や武士の文化であった文学を農民や町人の文学、俳句というものを創造した文学者ということになるのかな。
華女 「家はみな杖に白髪の墓参り」。誰もが読んですぐ理解できる句ね。このような何でもないような句を「軽み」の句というのかしらね。
句郎 「道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり」。芭蕉秀句の一つに挙げられている句だよね。芭蕉がまだ「軽み」というようなことを言う前に詠まれている句だけれども、この句には「軽み」の句だと言えるように思うな。
華女 今の中学生が読んでもすぐ理解できる句よね。
句郎 より多くの人に分かってもらえる句が力のある句なんだと思うな。
華女 そうよね。何を詠んでいるのか分からないような句は俳句じゃないのか知れないわ。
句郎 芭蕉はどうしたら自分の感じたことを人に伝えられるかに血のにじむ努力をしたようだからね。
華女 「道のべの」句は『野ざらし紀行』に載せてある句よね。
句郎 芭蕉、41歳、旅に生き旅に死ぬ覚悟の人生を歩み始めた時の句の一つかな。
華女 誰にでもわかりやすい言葉で句を詠む。この気持ちが最終的に行き着いた俳諧の精神が「軽み」というものだったということなのかしらね。
句郎 「家はみな杖に白髪の墓参り」。この句にしても「「道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり」の句も簡単なように見えるが詠むとなったらなかなか詠めない。これが現実だよね。
華女 そうね。詠めないわね。「山路来て何やらゆかしすみれ草」。この句も人に知られている芭蕉の句の一つじゃないかしら。すぐ人に覚えてもらえる句の一つでしよう。このような句が俳句というものなのよね。そのような句を「軽み」の句というのじゃないのかしら。
句郎 軽いということは引っかかるものがないということなのかな。
華女 「家はみな杖に白髪の墓参り」。ひっかかるものが何もないわ。すぐ分かる。映像が浮かぶわ。
句郎 明確な映像が浮かぶ句、そのような句が「軽み」というのだと思うな。
華女 俳句とは浮世絵だということを句郎君、言っていたことあったでしょ。浮世絵は見るものに明確な映像を焼き付けるわね。
句郎 鮮明な映像を表現する俳句が名句なのかもしれない。浮世絵は明確な映像だからね。
華女 庶民というのははっきりしているのがいいのよ。
句郎 日本の気候や風土が浮世絵というものを生んだように俳句という文芸もまた日本的なものなのじゃないかと思うな。