醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1166号   白井一道

2019-08-25 10:26:01 | 随筆・小説



    物いへば唇寒し秋の風   芭蕉  元禄年間か



句郎 「物いへば唇寒し秋の風」。『芭蕉庵小文庫』。「座右之銘 人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」と前書がある。
華女 思ったことをそのまま発言して、しくじった経験が芭蕉にはあったのね。
句郎 芭蕉に限らず、誰にだって後悔した経験があるのじゃないのかな。
華女 黙っていることが安全だということなのね。
句郎 「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という諺がある通り、競争社会に生きる男たちは厳しい社会に生きているということなのかな。
華女 女の社会も人間関係は難しいと思うわ。黙ってばかりいるわけにもいかないでしょ。
句郎 身分制社会に生きた芭蕉は人間関係における礼儀をわきまえることが大事なことだと考えていたのじゃないのかな。
華女 「口は災いの元」という諺があるように不用意な発言は自らに災いをもたらすということを芭蕉は身に沁みて感じていたということね。
句郎 芭蕉は礼をつくすことが豊かな人間関係を作るということを若くして知っていたのじゃないのかな。
華女 芭蕉は自慢する人ではなかったということね。
句郎 「己が長をとく事なかれ」と芭蕉は自分に言い聞かせていたということだと思う。
華女 そうよね。誰だって他人の自慢話を楽しく聞くことはできないわ。失敗した話なら楽しく聞けるわね。
句郎 芭蕉は他人の気を引くためにわざと失敗話をするような人ではなかった。
華女 芭蕉が人気俳諧師になった理由の一つが人柄が良かったということなのね。
句郎 他人が嫌な気持ちになるようなことをしたり、言ったりすることはなかったと思う。
華女 身分制社会にあっては現代社会に見られるような競争社会じゃなかったのよね。
句郎 そうだよね。武家に生まれれば生涯武士身分を奪われることは基本的にはなかったわけだから。
華女 農民の子供がどんなに武術に優れていたとしても武士に取り立てられることはなかったのでしょ。
句郎 ただ戦国時代のような社会にあってはそうではなかった。豊臣秀吉がような農民の子が太閤秀吉になることがあった。
華女 戦国時代は社会の秩序が崩れた時代だったということなのね。
句郎 芭蕉が生きた17世紀後半の時代は江戸時代の幕藩体制が安定し、社会秩序が整った時代だった。身分制が強固になった時代だった。
華女 競争がなくなった時代になったということね。
句郎 身分秩序の安定が求められた時代だった。
華女 芭蕉は生まれながらにして農民の子として生きていくことが運命付けられていたということね。
句郎 芭蕉は江戸幕藩体制下の身分秩序を受け入れ、その中で精いっぱい生きた。
華女 社会秩序に抵抗するようなことはなかったといことね。
句郎 芭蕉は礼を大事にしたが上の身分の者にへつらうことはなかった。
華女 武士の前に出てもおどおどすることはなかったということね。
句郎 身分制社会にあっては、武士は農民を自由に打擲し、打ち殺すことができた。だから農民たちは武士の前に出るとおどおどし、恐れた。だから武士の前に跪き、道に額を擦り付けてお辞儀をした。その中にあって一茶は「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」と詠んだ。一茶には強い反権力の意志があったが、芭蕉にはそのような意思はなかった。
華女 一茶は家の奥に炬燵に入ったまま、通りを参勤交代の行列が過ぎ去っていく姿を見ていたということね。
句郎 芭蕉は現実社会をそのまま受け入れ、その中で自分の出来る範囲で俳諧を詠んだと言うことだと思う。