醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1146号   白井一道

2019-08-05 11:11:28 | 随筆・小説



  稲妻や闇の方行く五位(ごい)の声   芭蕉  元禄7年



句郎 「稲妻や闇の方行く五位の声」元禄7年。『続猿蓑』。元禄7年7月、「文月ノ頃、雖子(すゐし)ガ方ニ土芳ト一夜カリ寝セラレテ、稲妻ノ題ヲ置キ、寝入ル迄ニ句ヲセヨ、トアリシ時ノ吟也。土芳モ「いなづまもどる雲のはし」ト言フ句アリ」。『芭蕉翁全伝』
華女 元禄7年の夏、芭蕉と土芳は猿雖(えんすい)亭に泊めてもらった時に寝床で発句を詠みあったということなのね。
句郎 猿雖(えんすい)は本名を窪田惣七郎という。芭蕉の故郷、伊賀上野の門人で内神屋(うちのかみや)の屋号で手広く商いを行っていた富豪であったという。芭蕉の信頼厚く、土芳に次ぐ伊賀蕉門の重鎮であったと言われている。
華女 五位とは、何を意味しているのかしら。
句郎 五位とは五位鷺(ごいさぎ)のことのようだ。
華女 そんな名の鷺がいたのね。
句郎 全長58センチくらいの鳥で、頭と背が緑黒色、翼は灰色、顔から腹は白く、頭に2本の飾り羽がある。幼鳥を星五位(ほしごい)、成鳥を背黒五位(せぐろごい)ともいう。夕暮れてくると不気味な声で鳴き水辺で魚・カエルなどを捕まえて食べていると言われているようだ。五位という名は、醍醐(だいご)天皇の命によって捕らえようとすると素直に従ったので、五位を授けられたという故事に由来していると言われている。
華女 夜行性の鷺なのね。だからあまり知られていないのかもしれないわ。
句郎 稲妻が光る方角は黒雲が立ち上り、そこが無気味に光っては消える。その反対側の空は暗黒の闇だ。その中に不気味な鳴き声をあげ、逃げていく五位鷺を寝床で芭蕉はイメージしていた。
華女 雷の音も聞いていたかもしれないわね。
句郎 稲妻と雷とは同じもののようで違っている。
華女 どう違うのかしら。
句郎 雷によって発生する光を稲光、雷光とも呼ぶ。 また、雷そのものの事を稲妻とも思っている人が多いようだ。雷の語源は神が鳴るだった。神が怒鳴ることが雷だった。大音響が雷だ。稲妻は光、稲光かな。俳句では稲妻を秋の季語としているが雷は夏の季語になっている。その理由は、稲が開花し結実する夏から秋のはじめにかけて、雨に伴い稲妻がよく発生するため、稲穂は稲妻に感光することで実るという俗信が生まれた。雷は稲の夫、「稲妻」は稲の妻ということになった。
華女 稲妻は豊作の便りだったということね。
句郎 芭蕉は寝床で稲妻の光を障子越しに見ていた。同時にゴイサギの鳴き声を聞いた。
華女 稲妻の光を恐れたゴイサギが驚きの鳴き声を上げながら闇に向かって飛んでいく姿を芭蕉は寝床で想像したということね。
句郎 稲妻に恐れおののくゴイサギの気持ちに芭蕉は自分の気持ちを乗せて詠んだ句なのじゃないのかな。
華女 農民にとって稲妻は豊作の便りだと喜ぶ気持ちがある一方野鳥であるゴイサギはどうしたら良いのだと慌てふためいていることだろうということね。
句郎 芭蕉は人間だけではなく、自然に生きる動物にも優しい気持ちを持っていたのじゃないかな。
華女 そうなのかもしれないわ。でも人間にとっても稲妻は怖い恐ろしいものでもあったし、不気味なものでもあったのじゃないのかしらね。
句郎 地震・雷・家事・親父と言われた時代、雷は怖いものだった。今でも雷は怖い。しかし稲妻は幸運の兆しとして受け入れられてきた。
華女 大人の農民ね。豊作の兆しとして稲妻をうけいれたのは信心深い農民たちね。
句郎 元禄時代に生きた民衆たちは稲妻を恐れることはなくなっていたのじゃないかな。
華女 自然を恐れると同時に慈しむ気持ちをこの句に詠んでいるのね。