醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1169号   白井一道

2019-08-28 11:12:20 | 随筆・小説



    春の夜は桜に明けてしまひけり   芭蕉  元禄年間



句郎 「春の夜は桜に明けてしまひけり」。元禄年間。『俳諧翁艸』。
華女 俳句は読者のもの。解釈によって名句になる。この句を読んで感じるわ。
句郎 鶏頭論争で有名な子規の句「鶏頭の十四五本もありぬべし」を思い出すな。
華女 子規の「鶏頭の」の句、解釈した人が名句に仕立て上げたのよね。
句郎 「鶏頭の十四五本もありぬべし」。この句を読んで名句だと言う人は少ないだろうな。ただ名句だという理由を聞いてなるほどねと、いう句なのだろう。
華女 何年にもわたって論争が続いたのよね。
句郎 俳句に興味関心のない人にとっては、どうでもいいような論争だった。
華女 芭蕉の「春の夜は」の句、とても分かりやすい句よね。夜桜を愛でているうちに夜があけたと、いう解釈じゃ、単純すぎるように感じるわね。でもどうかしら。
句郎 この句は桜を詠んでいる。桜の花の美しさに魅入られたことを詠んでいる。
華女 子規の「鶏頭の」の句も鶏頭の艶やかさのようなものを詠んでいるのでしょう。
句郎 子規が「鶏頭の」の句を詠んだのは1902年のことだ。初めは誰も評価する人はいなかったようだ。
華女 初めて高く評価したのは小説『土』を書いた長塚節だったのでしよう。
句郎 そうらしい。最初にこの句に注目したのは、長塚節が斎藤茂吉に対して「この句がわかる俳人は今は居まい」と語ったと言われている。その後斎藤茂吉はこの句を、子規の写生が万葉の時代の純真素朴にまで届いた「芭蕉も蕪村も追随を許さぬ」ほどの傑作として『童馬漫語』、『正岡子規』などで喧伝し、この句が『子規句集』に選ばれなかったことに対して強い不満を示している。
華女 芭蕉の句を凌駕しているとまで斎藤茂吉は述べているの。ちょっとそれは言い過ぎじゃないの。
句郎 茂吉は芭蕉の句をそれほど読んでいなかったのかもしれないな。芭蕉が亡くなって以来、現在に至るまで俳句として芭蕉を超えるような作品を詠んだ俳人はいないと私は考えているから。
華女 それもちょっと言い過ぎなんじゃないの。
句郎 全然言い過ぎじゃないよ。俳句が文学としてなし得ることすべてを芭蕉はしてしまったと私は考えている。芭蕉以後の俳人たちの句は文学として認められるのか、どうか、疑問だと思っている。
華女 芭蕉以後の俳句は文学ではなく、習い事のようなものになったということを言いたいのね。
句郎 陶器や磁器、漆器などの芸術作品があるように俳句にも芸術に値する作品があることは認めるが芭蕉の作品を超えることはできない。なぜなら文学として俳句ができることはすべてすでに芭蕉がしてしまっているからね。そのように私は考えている。
華女 茂吉は子規の「鶏頭の」の句を芸術、文学作品として評価したということなのよね。
句郎 山口誓子は、鶏頭を「鶏頭の145本もありぬべし」と捉えたときに子規は「自己の”生の深処”に触れたのである」と『俳句の復活』(1949)の中で句の価値を強調している。また西東三鬼も山口の論を踏まえつつ、病で弱っている子規と、鶏頭という「無骨で強健」な存在が十四五本も群立しているという力強いイメージとの対比に句の価値を見出している。
華女 子規の「鶏頭の」句は名句として認められているのよね。
句郎 俳句の評価は読者が決めるものだからね。芭蕉の「春の夜は」の句も読者が名句だと思う読者が増えれば、名句として認められるようになると思うけどね。
華女 桜の夜明けがあるのは春ね。
句郎 そうなんだ。桜の夜明けは春の夜だということを芭蕉は詠んでいると思う。
華女 さすが芭蕉ね。