醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1149号   白井一道

2019-08-08 12:11:52 | 随筆・小説



   今宵誰吉野の月も十六里   芭蕉  元禄7年



句郎 「今宵誰吉野の月も十六里」元禄7年。『笈日記』。「八月十五日」と前詞がある。
華女 「吉野の月も十六里」とは、どういうことなのかしら。
句郎 「今宵誰」の句を芭蕉は故郷、伊賀上野で詠んでいる。奈良県吉野は伊賀上野から十六里ほど離れている。
華女 ここ、伊賀上野から十六里ほど離れている吉野の月を今宵、誰が、愛でているのかと、いうことね。
句郎 芭蕉は吉野への憧れの気持ちがあった。
華女 西行が愛した吉野の桜への憧れがあったということね。
句郎 西行と言えば、桜。桜と言えば吉野だった。
華女 芭蕉は吉野の西行庵跡を訪ねているのよね。
句郎 紀行文『野ざらし紀行』に芭蕉は書いている。
「西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計わけ入ほど、柴人のかよふ道のみわづかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。 露とくとく心みに浮世すゝがばや」
華女 清貧に生きた西行の精神で俗世の汚れをすすぎたい。芭蕉自身もまた西行の精神で心をすすぎたいということね。
句郎 芭蕉は貞享4年から5年にかけて『笈の小文』の紀行に出ている。この紀行でも芭蕉は吉野を訪ねている。「よしのゝ花に三日とヾまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂章(政)公のながめにうばゝれ、西行の枝折にまよひ、かの貞室が是はこれはと打なぐりたるに、われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたる、いと口をし。おもひ立たる風流、いかめしく侍れども、爰に至りて無興の 事なり」と書いている。
華女 芭蕉は西行に私淑していたということね。
句郎 西行の和歌は芭蕉にとって現代文学だった。過去の古典ではなかった。
華女 『笈の小文』に有名な一文があるわね。
句郎 「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の繪における、利休の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり」。この文章かな。
華女 芭蕉は自然を讃えているのよね。
句郎 造花とは、自然ということのようだからね。
華女 自然とともに生活するということを理想としたということでいいのよね。
句郎 「あるがまま」の中に真実があると芭蕉は考えていたのじゃないのかな。
華女 吉野の自然に「自然」を西行は発見したと芭蕉は考えていたということなんでしょう。
句郎 『新古今集』、源頼政の歌「今宵たれすず吹く風を身にしみて吉野の嶽の月を見るらむ」。この歌を芭蕉は俳句にしたと言われている。
華女 和歌と発句とは、何が違っているのかしらね。詠まれている詩は同じものではないのかしら。それとも何か違いがあるのかしら。
句郎 「吉野の月も十六里」と言うことによって別世界ではない。この俗世に吉野はあると芭蕉は詠んでいる。
華女 源頼政は貴族世界の吉野を詠んでいるのよね。そうだと私も思うわ。
句郎 農民や町人であっても吉野の自然を愛でることはできると芭蕉が詠んだ句が「今宵誰」の句だったのじゃないのかな。
華女 「吉野の月も十六里」ということで地続きに吉野があるということね。
句郎 農民や町人の住む地域と結びついているところに憧れの吉野はあると詠んでいる。
華女 吉野は農民や町人の住む世俗と別世界にあるのではないとね。