醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1158号   白井一道

2019-08-17 11:17:50 | 随筆・小説



    秋の夜を打ち崩したる咄かな   芭蕉  元禄7年



句郎 「秋の夜を打ち崩したる咄(はなし)かな」 元禄7年。『窪田意専・服部土芳宛書簡』。
華女 秋の夜長、男たちが集まり、最初の内は高尚な話をしていたが、夜が更けるにしたがって落ちた話になっていったということよね。
句郎 「菊月二十一日、潮江車庸(しほえしやよう)亭」と前詞がある。
華女 菊月とは、何月のことを意味しているのかしら。
句郎 菊月とは、九月のことのようだ。
華女 歌仙を巻いたのね。
句郎 七吟半歌仙の発句が「秋の夜を」の句だった。
華女 何人がこの句会に参加したのかしら。
句郎 芭蕉・車庸・支考・維然・洒堂・游刀の六名が集まった。和気藹々と話が弾んだ。
華女 久しぶりに会う人もいたということね。それでにぎやかな俳諧の始まりになったということね。この和気藹々とした雰囲気を芭蕉は亭主、車庸への挨拶にしたということなのね。
句郎 落ちた話ではなく、和気藹々とした仲間だということを「打ち崩したる咄(はなし)」と表現したのではないかと思うね。
華女 体調の悪かった芭蕉はこのような句を詠むほど元気だったのね。
句郎 この俳諧の会の後、二十日ほどで芭蕉は永眠することになる。
華女 案外人間は最後まで元気なのかもしれないな。
句郎 ベルリンフィルの常任指揮者だったカラヤンは最後の時までにこやかに日本人ファンと談笑していて亡くなったという話を聞いたことがある。
華女 私もそのような死でありたいと思うわ。
句郎 私の仲間だったNさんはソファーに座ったまま亡くなっているのを娘さんは発見したという話を聞いた。前日は市民コーラスに参加し、同じ参加者の女性と腕を組み、声を張り上げていたとコーラスの仲間たちは話していたからね。
華女 くよくよすることなく、毎日を楽しく過ごすことが大切なのかもしれないわね。
句郎 芭蕉は最後まで俳諧を楽しんでいた。俳諧を楽しみ合う仲間がいた。
華女 一人っきりにになってしまってはダメね。
句郎 芭蕉は仲間を大事にする人だった。だから仲間も芭蕉を大事にしてくれた。死の直前まで俳諧を楽しんだ。
華女 芭蕉は孤高の詩人ではなかったと言うことなのね。
句郎 世俗の中に生きた詩人だった。世俗の喜びの中に生きた詩人だった。
華女 芭蕉は人が好きだったのね。
句郎 心の中にはいつも冷たい風が吹いている人でも芭蕉はあったのではないかと思う。芭蕉には関係を持った女性がいた。
華女 寿貞尼ね。
句郎 寿貞尼がみまかった時に詠んだ句が知られている。
華女 「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」。芭蕉の気持ちが表れている句だと思うわ。芭蕉は女性に優しかったように思うわ。
句郎 そうだよね。自分の事を「数ならぬ身とな思ひそ」と芭蕉は寿貞に言葉をかけている。自分で自分を貶めるように思うことはないよと、言っている。私はあなたを大切な人だと今も思っていると述べている。
華女 女性に優しい男は誰にも優しいのじゃないかしら。いつだったか、人事関係の部署にいた人が言っていたわ。管理職に登用するかどうかを決める時、同僚の女性の意見をそれとなく聞き、女性の意見がマイナスでなければ、管理職に登用すると言っていたわ。
句郎 芭蕉が現代社会に生きていれば、間違いなく出世する人だったように思うな。江戸時代の身分制度の中で農民や町人の文化を差別者であった武士たちに認めさせているのだからね。
華女 芭蕉は礼儀を大事にする人だったのじゃないかしらね。
句郎 礼儀が大事なんだろうね。礼儀は挨拶に始まるからね。俳句は挨拶にはじまる文芸だからな。