醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1160号   白井一道

2019-08-19 14:13:37 | 随筆・小説



    この道や行く人なしに秋の暮   芭蕉  元禄7年



句郎 「この道や行く人なしに秋の暮」 元禄7年。『其便』。前詞は「所思」とある。
華女 辞世の句のような感じのする句ね。
句郎 「白く何処までも続く秋の道、その先を見ても後ろを見ても旅人の姿はない。人生50年、俳諧一筋の芭蕉の歩んできた道には、もう誰も居ない。芭蕉文学の究極の場所には、孤独なただ寂寥たる空間だけが広がっている」。このような文章をネットで読んだ。
華女 この文章を読むとこれ以上付け加えることは何もないと私は思うわ。
句郎 事実上の芭蕉の辞世の句と言っても間違いではないと思うな。
華女 この句を芭蕉はいつどこで詠んでいるのかしら。
句郎 元禄7年9月26日、大坂の料亭『浮瀬(うかむせ)』で行われた半歌仙の発句のようだ。この句の発案は「この道を行く人なしに秋の暮」となっていた。
華女 「この道や」ではなく、「この道を」になっていたということね。この発案を推敲し、「この道や」にしたということね。
句郎 「この道や」とした方が遥かに世界が広がることに芭蕉は気づいたのではないかと思う。
華女 この句は芭蕉名句の一つに間違いないと思うわ。その一つにするための努力の跡があったということね。
句郎 『笈日記』では、「人声やこの道帰る秋の暮」となっている。『三冊子』には「人声やこの道かへる秋の暮」、「此道や行人なしに秋の暮」。「この二句、いづれかと人にいひ侍り。後、行人なしといふ方に究り、所思といふ題をつけて出たり」とある。
華女 俳諧の発句とは、芭蕉一人が詠んだものではなく、俳諧の歌仙を巻く参加者全員の合作なのかもしれないわ。
句郎 俳句という文芸自身が個人のものであると同時に句会の共同作業の共同創作という性格を持っているということが言えると思うな。
華女 俳句は個人のものであると同時に仲間との共同創作でもあるということね。
句郎 そこに現代につながる俳句の魅力があるようにも思うな。
華女 芭蕉は仲間の意見を聞き、最終的に「この道や」にしたということなのね。
句郎 「此道を行人なしや秋のくれ」という句形の句も伝えられているからね。俳諧の仲間たちも考えた結果が「この道や行く人なしに秋の暮」におさまったということだと思う。
華女 「や」をどこに置くかで意味内容が大きく違ってくるということよね。
句郎 「この道を行く人なしや」と詠んだ場合は「行く人なし」を強めることになるからな。
華女 「この道や」でなくちゃダメよね。芭蕉にとっては俳諧一筋に生きた道だったということを表現したいわけだから。
句郎 正岡子規が次のような言葉を述べている。「病床六尺、これが我が世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」とね。俳句は17文字、この17文字が多すぎるとこのようなことが言えるのではないかと思ってしまうな。
華女 17文字の世界に無限な広がりがあるということを実作を持って示したのが芭蕉だったということなのね。
句郎 芭蕉誕生以来300年以上の月日が過ぎたが俳句は日本独自の文芸として決して滅びることはないと思うな。
華女 俳句とは、日本独自のものだと句郎君は考えているのね。
句郎 文学としての俳句は日本独自のものだと考えている。
華女 外国語に翻訳するとそれは俳句ではなく、短詩になるということかしら。
句郎 俳句は詩の一つだとは思うが、短詩は俳句ではない。こういうことかな。
華女 外国語に翻訳した俳句は俳句ではないということね。