醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1168号   白井一道

2019-08-27 11:32:18 | 随筆・小説



    木曽の情雪や生えぬく春の草   芭蕉  元禄年間



句郎 「木曽の情雪や生えぬく春の草」元禄4年か。『芭蕉庵小文庫』。
華女 「木曽の情」とは、何を芭蕉は言いたかったのか知しら。
句郎 木曽義仲の源氏勢力への強い気持ちを言いたかったのじゃないのかな。
華女 芭蕉は源義経や義仲への強い思い入れがあったのよね。
句郎 天皇を中心にした公家の政権を倒し、武家政治実現のため源頼朝に協力した義経や義仲は後に政権中枢から頼朝によって排除され、滅亡していく。そのことへの思い入れのようなものが芭蕉に限らず日本人の心の中に強く残っているのかな。
華女 義経と弁慶の物語は歌舞伎になって江戸時代、江戸庶民の人気を博したことが影響しているのじゃないのかしら。
句郎 歌舞伎十八番『勧進帳』があるな。
華女 判官贔屓(ほうかせんびいき)ね。
句郎 義経や義仲の悲劇に対する深い同情と言うようなものが芭蕉にあったということだと思う。
華女 芭蕉のそのような気持ちというのは当時の江戸庶民一般にみられたものなのかしら。
句郎 芭蕉が歌舞伎の『勧進帳』を見たというようなことはないと断言できる。
華女 芭蕉が生きていた時代には歌舞伎『勧進帳』はなかったということね。
句郎 そうなんだ。能に『安宅』という演目がある。この演目を歌舞伎の『勧進帳』が継承しているようなものなんだ。安宅関で弁慶が勧進帳を読む件がある。この場面が能の『安宅』にある。
華女 芭蕉は能の『安宅』を見て感動した経験があったのかもしれないということね。
句郎 17世紀後半に生きた江戸庶民の心性が芭蕉の気持ちだったのではないかと思う。
華女 元禄時代に生きた江戸町民や農民の気持ちが芭蕉の気持ちだったということね。
句郎 芭蕉には源義経や木曽義仲への熱い思いがあったということかな。
華女 芭蕉は「木曽の情」の句をどこで詠んでいるのかしら。
句郎 湖南の義仲寺で詠んでいる。
華女 義仲寺というのは芭蕉の亡骸を葬った寺よね。
句郎 木曾義仲の死後、愛妾であった巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことに義仲寺はじまると伝えられる。義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。ここに芭蕉の墓はある。
華女 芭蕉は義仲が好きだったのね。
句郎 芭蕉と義仲は霊界で仲良くしているのかもしれない。
華女 芭蕉は江戸の大衆の一人だったということね。
句郎 ごく普通の庶民だった。芭蕉の句を読むと当時の庶民の気持ちのようなものを代表していると言えると思う。
華女 どんなに優秀な人であっても時代の制約を受けているということね。                   
句郎 新春の頃、雪の中から草が萌え出る草の生命力の強さは義仲の強さの顕れのようだと芭蕉は感じたということかな。
華女 雪の中から草が生えだしてくることに芭蕉は感動しているのよね。