醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1154号   白井一道

2019-08-13 12:16:21 | 随筆・小説



   菊の香や奈良には古き仏たち   芭蕉  元禄7年



句郎 「菊の香や奈良には古き仏たち」元禄7年。『杉風宛書簡』。
華女 奈良というと思い出す歌があるわ。「青丹よし 奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」。天平時代の奈良を詠んでいるのよね。
句郎 中学生の頃、歴史の授業で教わったような記憶があるな。
華女 天平時代、東大寺の大仏殿、南大門、猿沢の池が奈良のイメージとして日本人には定着しているのじゃないのかしら。
句郎 奈良は歴史観光の街として知られているからね。
華女 奈良の県花は菊ではなく、奈良八重桜のようよ。私は菊が奈良の県花にはふさわしいような気がしているけれど。
句郎 奈良に行くと有名な寺の仏像に出会える。華女さんが好きな仏さんは何なのかな。
華女 何といっても法隆寺宝物堂の百済観音よ。百済観音の前に行くと何時間でも眺めていられるような気持ちになるわ。
句郎 日本人離れした仏像かな。
華女 句郎君の好きな仏像は何かあるのかしら。
句郎 秋篠寺の伎芸天像が印象に残っている仏さんかな。
華女 小さなお寺の仏様ね。
句郎 小さなお寺、法華寺の十一面観音菩薩立像も有名な仏さんかな。
華女 私、知らないわ。
句郎 奈良に行くと仏像オタクがいる。一人、テクテク歩いて寺巡りする人がいるよ。
華女 菊の香と相性が良い仏さまね。古い鄙びたお堂に鎮座する仏像がイメージされるわ。
句郎 蝋燭の灯りと線香の匂い、誇りの積もった明かり窓を想像するよ。
華女 京都が庭のイメージだとすると奈良の街が醸すのは仏様の姿ね。街には骨董屋さんがたくさんあるような気がするわ。
句郎 奈良漬のお土産屋もたくさんあるように思うけどね。
華女 私は京都より奈良の方に親しみを感じるわ。奈良は小さな街だからかもしれないけれど。
句郎 芭蕉も奈良にあるお寺の仏たちに親しみのようなものをもっていたのじゃないのかな。
華女 唐招提寺で詠んだ句があったわね。
句郎 「若葉して御めの雫ぬぐはヾや」かな。『笈の小文』に載せてある句だね。
華女 盲目になった鑑真和上を詠んだ句なのよね。
句郎 唐招提寺の開山忌に訪れた芭蕉は鑑真和上像を拝し、詠んだと言われている。
華女 芭蕉は奈良の街中の寺は廻り歩いたのかもしれないけれど、斑鳩の方には行かなかったのかしら。                           
句郎 法隆寺の仏様を詠んでいる句はあるのかな。多分ないのではないかと思う。芭蕉は伊賀上野から奈良に出て大坂に行った。法隆寺の方には行かなかったのではないかな。
華女 芭蕉は仏教にそれほど興味関心はなかったのかもしれないわね。
句郎 「奈良には古き仏たち」と詠んでいることは、古き仏たちに芭蕉は新しさを見出していないと言うことだと思う。
華女 そうかもしれないわ。「菊の香」と「古き仏」との取り合わせの句よね。この二つの言葉が醸しだすイメージには古びたお堂と人々から顧みられることがなくなった仏さまというイメージね。
句郎 力のある仏様は現代社会にあっても力強く人々に訴えてくるものがあるように感じる。例えば運慶作と言われる興福寺の無着世親像などは決して古びることのない新しさがあるように思う。もちろん唐招提寺の鑑真像も決して古びることのない仏さまだと思う。今だにそれらの仏さまの前に行くと跪くことなく拝観はできないような気持ちになる。そのような仏さまが本来の本尊佛なのだと思う。そのような力の籠った仏さまが奈良の街にはたくさんある。
華女 芭蕉にとって奈良にある仏さまは古びている。今を生きる人々には力を持ちえないものとして仏像を見ていたのね。