醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

滋養楽庵だより   1202号   白井一道

2019-10-01 11:14:55 | 随筆・小説



   徒然草30段  『人の亡き跡ばかり、悲しきはなし』 


 「人の亡き跡ばかり、悲しきはなし」。

 人が亡くなった跡ほど悲しいことはない。

 「中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく、狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日数の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我賢げに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ」。

 死後49日の間、山里に移り住み、不便で、狭い所に大勢でいました。死後の法事なども行ったので心慌ただしい日々でした。時の過ぎゆく速さほど、似るもののないほどです。49日の終わる日は実に情けないことに、お互いに話すこともなく、我先に片づけをしたため、散り散りに分かれてしまいました。元の住いに帰り着き初めて更に悲しいことが多ございました。「しかじかの事は慎んだ方がよかろう、残った遺族のために避けるべきだろう」などと言うことほど、この悲しみの最中に何ということかと、人の心は情けないもののように思われました。

 「年月経ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸は気うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、ほどなく、卒都婆も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける」

 年月を経ても、一切忘れることなどはないと言うが、亡くなった者は日々忘れられていくことになるから、そうは言っても、亡くなられた当座のようには覚えてはいられない。際限もないおしゃべりをしているうちには笑いも出てくるようになるだろう。亡骸は人気のない山中に埋め、墓参すべき日だけ詣でていることを見れば、ほどなく卒塔婆も苔むし、木の葉が降り積もり、夕べの嵐、夜の月だけが頼りになるばかりだ。

 「思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪(たきぎ)に摧(くだ)かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき」。

 思い出して偲ぶ人がいる限り墓参する人がいるだろうが、その人も間もなくいなくなり、聞き伝えられるだけになると哀れなものだ。墓参する人がいなくなると誰の墓なのかも分からなくなり、毎年春ともなれば生えだしてくる草だけが繁茂するのみだ。心ある人だったら哀れだと思うところを、はては、嵐に揺れる松も千年を待つことなく、薪に割られ、打ち捨てられた墓は犂(す)かれて田圃になる。墓だった形すらなくなることほど悲しいことはない。

 今からおよそ700年前の人の書いた文章を私は今、毎日読んでいる。定年退職後の暇な時間を楽しむために『徒然草』を読んでいる。
 読むという営みは700年前の兼好法師との対話でもあるように思う。思い出して偲びたいから墓参りに行くように兼好法師さんの考えを聞きたいから『徒然草』のページを開く。人はこの世にほんのチョットの間、存在し、人は人のためになることを何等か行って亡くなっていく。場合によっては人のためにならない悪いことをして人は亡くなることもあるだろう。しかしそのような人でさえ何らかの人のためになっていると思わざるを得ない。半面教師ということがあるから。
 『徒然草』のような著作を残し、後の世の人のためになる人ばかりでなく、野草のように春になると萌えだし秋になると萎れてしまう人の一生でさえ、尊いものであったが故に現代社会があると私は考えている。
 利害の対立が人を孤立化させ、人は人にとって狼であるような社会は社会ではない。真実の社会は 世界中の人々が世界中の人々のために生きる社会だ。ここに真実があると私は思っている。このようなことが実感できるような社会になってくれることを私は願っている。