醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1226号   白井一道

2019-10-25 12:04:17 | 随筆・小説



   徒然草54段 『御室にいみじき児のありけるを、』



 御室(おむろ)にいみじき児(ちご)のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたゝめ入れて、双(ならび)の岡の便(びん)よき所に埋み置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。

 御室に可愛い稚児がいたのでなんとか誘い出し遊ぼうと企む法師どもがいた。知恵のある遊び上手な法師どもが語らい、しゃれたデザインの重箱のようなものをねんごろに作り、箱のように見えるものにしたためて、双(ならび)の岡の都合のいいところに埋めて置き、紅葉を散らしてかけ、思いもよらない状況にして、御所に行き、稚児をそそのかして出てきた。

 うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる苔のむしろに並み居て、「いたうこそ困(こう)じにたれ」、「あはれ、紅葉を焼かん人もがな」、「験(げん)あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木の下に向きて、数珠おし摩(す)り、印(いん)ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。埋みけるを人の見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立ちて帰りにけり。

 ようやく誘い出せたことをうれしく思い、ここかしこと遊びまわり、さきほどの苔のむしろに並んで、「ひどく草臥れてしまったなぁー」、「あぁー、紅葉を焚いてくれる人がいてくれたなぁー」、「修法の効験ある僧侶たち、試みにお祈りされよ」など言いながら埋めた木の下に向かって、数珠を念じて印を大げさに結び、もったいぶって木の葉をかきのけてみても何も出てこない。埋めた所を間違えたのかなと、掘り探したところもないほど隈なく山を探し回っても見つけられなかった。埋めているのを人が見て、法師どもが御所に行っている間にその人が盗んでいた。法師どもは言葉もなく、聞き苦しい口論をしたあげく、腹をたてて帰って行った。

 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。

 あまりにも趣向を凝らすと、かならず無様な結果になるものだ。

 市民文化会館を借り切って、県立K高校の合唱祭が予定されている。三年生の各クラスは優勝を狙って、趣向を凝らしていた。原則は制服で歌うことになっている。しかし頭や手、足に纏う物に特に規制はなかった。帽子や髪飾り、マフラー、テープを投げるなどは自由であった。そのような事を生徒たちがするとは教師たちも考え及ばなかった。そこを生徒たちが狙った。
 発表順はくじ引きで決まった。一年生のクラスの発表はクラスメート全員が制服を着て、コンダクターのもと、一所懸命に声を併せて、高校生らしい合唱曲を披露していく。言って見れば面白みに欠ける発表である。問題は三年生の発表である。三年生のクラスの発表になった。クラスの生徒全員がばらばらに舞台に駆け出してきた。舞台の上でも走り回り、一瞬にして清冽すると大声で歌いだした。女子は足を揃えて、動かし、手には花を持ち、ソプラノの独唱も入る。男子生徒たちは最後に客席に向かってテープを投げた。
 一年生の生徒たちはびっくりしている。見ている方も楽しんでいる生徒たちが大半だった。だが、燃えに燃え切っていた三年生の生徒たちが市民会館備え付けの備品を勝手に動かしたことに会館側から苦渋が来た。音のボリュームも最高に上げ、この事も会館側から指導があった。
 この行事終了後、合唱祭を指導した教師たちは職員会議で他の職員たちから批判をうけることになった。特に問題になったのは舞台からテープを投げることだった。その結果、来年度から合唱祭は本校の体育館で実施することになった。生徒たちの合唱祭実行委員会は市民会館での実施を強く要望していたが、それは認められなかった。職員たちは「高校生らしい合唱祭」がいいと多少欠伸や居眠りがあってもその方がいいという考えだった。