徒然草55段 『家の作りやうは、夏をむねとすべし』
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
家づくりは夏を快適に過ごせるよう配慮すべきだ。冬はどのような所にも住むことができる。暑いころ、悪い住まいは堪え難いものだ。
深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸(やりど)は、蔀(しとみ)の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。
底の深い川には涼しさがない。浅い川の流れには遥かに涼しさがある。細かな物を見るに、遣戸は蔀の間よりも明るい。天井の高い家は冬寒く、明かりが暗くなる。余裕のある造りをした方が見た目にも趣きがあり、いろいろな用にもたつと人は言っていますよ。
家づくりを私は一年間勉強し、自分で建築確認申請を県の建築事務所に提出した。
家づくりの基礎は土台がしっかりしていることだ。その土台を作ることが大事だ。鉄筋コンクリートの土台をつくった。大工さんと一緒に材木屋に行き、土台になる材木を見に行った。鉄道の枕木になっている木材は栗や桧葉、桧の木だと教えられた。特に青森ヒバは建築材料としては最上品だと教えられた。大工さんと相談し、その青森ヒバを土台の材木として採用することを決めた。自分の家ができていく気持ちが湧きあがってくる。次は柱だ。四寸角の桧を柱にすることを決めた。長さは一三尺、天井の高い家にすることにした。梁と桁の小屋組みになる木材は輸入物の米松にした。
私は若い大工さんと知り合いだった。日曜日の度に家内と一緒に大工さんの家を訪ね、素人のできる範囲で手伝いをした。仕事場の掃除とか、昼食の準備や後片付けなどが中心だった。
この木は何になるのかなと大工さんに質問する。それは小屋組みを支える棟束(むねつか)になる木材だと教えられる。何の木なのかなと質問する。それは杉だよと教えられる。母屋になる木、垂木の木、様々な部材になる材木を知るようになった。屋根は瓦になるからこのような材木でなければ支えきれないと教えられる。
ラーメン工法の家づくりが始まっていくという実感が加工される材木を見ていると湧きあがっていく。この工法が従来からある日本の家づくりの基本なんだという認識が確認されていく。屋根の重量を柱と小屋組みで支えていく。これが通風と日当たりを重視する日本の風土にあった家造りだと確認する。日本の家造りは壁で屋根の重量を支える構造ではないことを知る。壁の厚さを重視するヨーロッパの家造りと違うことを認識する。ヨーロッパの家は壁の厚さ、頑丈さで屋根の重量を支えるため、日本のように通風や日当たりを重視しない家造りがあることを知った。南向きの家が日本では一般的であるがイギリスやドイツの民家では、そのようなこだわりがないことを本で読んで知っていた。壁工法の家とラーメン工法の家では、風土の違いが文化の違いになっていることを知った。
日本の家は柱を大事にする。大黒柱という言葉があるがそのような名詞になっている言葉は英語にはないようだ。言葉にはその土地の文化が反映している。ドイツやイギリスのように夏、涼しくないのが日本の夏だ。日本の夏は湿度が高く、暑い。だから通風の良さを重視する。大きな壁があっては通風を妨げる。空が灰色に曇る毎日が続くイギリスやドイツの冬と違い、日本の冬には晴れた青空がある。この青空に日本の空があり、日本の家造りの基本がある。私は自分の家造りを通して日本の文化の特徴は日本の風土からつくられていることを知った。
日当たりと通風が良い家、天井の高い家が私の理想だった。それを実現することができた。家が出来上がり、家具もそれほど整わなかったころ、夏になっても一日中涼しかった。風通りがよく、快適だった。しかし我が家の前に家が建ち、我が家の東側にも大きな家が出来上がってくるにしたがって、徐々に風通しも悪くなり、数年後にはクーラーを入れるようになった。我が家の東側にできた家は、壁工法の家だった。我が家は一年の時間をかけて家をつくったが隣の家は三か月ほどで出来上がった。一日で家の大枠が出来上がったのには驚いた。