徒然草56段 『久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事』
久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
長いことご無沙汰していた人と逢い、その人が自分の話を数々残りなく語り続けるのを聞いていることほどつまらないものはない。分け隔てなく親しくしていた人も間をおいて逢うと、遠慮することもなくなるのだろうか。教養や品性に欠ける人はついちょっと外出しても今日あったことを息つく暇もなく語り興ずるところがある。品性のある方のお話は、多くの人がいてもただ一人の人に向き合って話すようなところがあるので人も聞くようになる。よからぬ人の話は誰ともなく、人々の中にでしゃばり、見てきたようなことをまくしたてるので皆同じように笑い大騒ぎをする。やかましい限りだ。面白いことを言ってもそれほど面白がらないのと、趣きのないことを言ってもよく微笑んでいることにその方の人品が分かろうというものだ。
人の身ざまのよし・あし、才ある人はその事など定め合へるに、己が身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
人の容姿の良し悪しについて教養人が批評し合うことに、己が身を引き合いに出して口をはさむのは聞き苦しい。
飲み会が盛り上がっていた。三十代と四十代の職員が大半だった。女性職員も五、六人参加していた。мが言った。Kさん、Iさんと引っ付いていますよ。言われてみるとмとIさんはмの左腕がIさんの右腕にぴったりくっついている。周りの職員がオカシイと発言するとどれどれと言ってのぞき込む者がいた。寿司屋の座敷に十数人が座り、反省会と称して飲み会を初めて二、三十分した時だった。Iさんは三十代の女性職員、体育会系のスタイルのいいさっぱりした気質の方だった。мは四十代のまとめ役をしている男性職員だった。
Iさんははっきり言った。мさんだったら、私、何されてもいいわ。今日、付き合えと言われたらついて行くわ。
мはすかさず言った。そーれ、見ろ。聞いたか。Iさんの言葉を、聞いたかと、発言した。
今日はどこに行く予定ですか。予約は取れているんですかと、мと仲の良い職員が言った。
盛り上がった座の中でмとIは肩を寄せ合うと軽いキスを交わした。俺、奥さんに電話しておくわと、мの仲間が言った。そこに参加していた他の女性職員は我関せずという雰囲気で静観している。
二時間近く、飲み会が続き、お開きとなった。その後、мとIがどのような展開になったのか、わからないが、静かにそれぞれ夫や妻の待つ家に足早に帰ったことと私は想像している。
このような飲み会がある一方、仲間の悪口を言い合って楽しむような飲み会もある。「私、野暮用がありますので、お先に失礼します」などと言い、飲み会から早く帰る職員がいると「アイツはいつもそうだな」と、発言する職員がいる。「彼は恐妻家なんですよ。小遣いにいつも不自由しているみたいだな」と知ったふうな発言する職員がいる。「いやいや、彼は年の割に子供が小さいので大変みたいだ」とか、「彼は酒が飲めないからなんじゃないか」、「住宅ローンの返済が厳しいみたいだ」、「実家が九州で親の介護の負担が大きいみたいだ」といろいろな話が出てくる。ひとしきり、早く帰った職員の話で盛り上がる。これといって楽しい話題があるわけではない。なんとなく、一緒に仕事をしている仲間として飲み会が催される。一体感をもって仕事に励むという目的で飲み会があるのかもしれないが、飲み会が終わった後には何もない。
翌日は真面目な顔をした職員が昨日、あのようにふざけたことを言ったのが不思議なような顔をして、事務的に職務をこなしている。