醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1230号   白井一道

2019-10-29 11:56:13 | 随筆・小説



   徒然草58段  『道心あらば、住む所にしもよらじ』



 「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。心は縁にひかれて移るものなれば、閑かならでは、道は行じ難し。

 「求道心があるなら、住むところにかかわりなく仏の道を求めることはできる。家にあっても、人と交わっていても、極楽往生が願い難いことがあろうか」というのは、極楽往生が分かっていない人の言うことだ。本当に、この世をはかなみ、必ず生死の惑いから抜け出たいと思っているというのに、何の面白みがあるのか、朝夕主君に仕え、家族の平安を願うことにやっきになっていることだろう。人の心は周りに影響されるものだから、静かなとこでなければ修行は難しい。

 その器、昔の人に及ばず、山林に入りても、餓を助け、嵐を防くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を貪るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下の事なり。さすがに、一度、道に入りて世を厭はん人、たとひ望ありとも、勢ある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜(あかざ)の羹(すいもの)、いくばくか人の費えをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き」。

 その器量が昔の人に及ばない以上、人里離れた山や林の中に入っても、飢えをしのぎ、風雨を防ぐ手段がなくては生きていけないので、やむなく世俗的な欲を貪るようなことが場合によっては、あるだろうが、それだからといって、「世に背いて遁世した甲斐がない。そうであるなら、なぜ遁世したのか」などと言うことは、全く話にならない。さすがに一度、修行の道に入り、世を厭った人は、例え欲があっても、勢いのある人の世俗的貪欲さに比べられるものではない。紙の寝具、麻の衣、一鉢の食事、あかざの吸い物、このくらいのことは世俗の人にどのくらい負担をかけるものなのか。だから求めるものは簡単に得られ、その心は満足できるものになろう。自分の僧形に恥じるところもあれば、そうは言っても、悪いことには遠ざかり、善いことに近づくことだけが多い。

 人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れんことこそ、あらまほしけれ。偏へに貪る事をつとめて、菩提に趣かざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。

 人間として生まれたあかしには、何としても俗世を逃れることこそが望ましい。偏に欲を満足させることのみにつとめ、悟りの道に入って行こうとしないのは万の畜類にかわるところがない。

 松尾芭蕉は遁世者だったのだろうか。芭蕉の文学は隠者の文学だったのだろうか。そのような偏見を持って芭蕉の句を読んできた。少し芭蕉について調べて見ると芭蕉は断じて遁世者ではなかった。芭蕉の文学は隠者の文学ではない。芭蕉の文学は俗世にまみれていた。元禄時代に代表される俗世にどっふむり漬かった中から生まれて来た文学が芭蕉の俳諧だった。
 俗世の欲望とは、美味しいものを食べたいと言うこと、冬は暖かい衣類に包まれていたいということ、日当たりの良い家に居住したいということ、女性に恵まれた生活がしたいということ、人から尊がられる人になりたいということなどが世俗的な欲望だとしたなら、それらの欲望をほぼ満足させる生活を芭蕉は送ったのではないかと私は思うようになっている。同時代を生きた僧侶の円空とは全く異なる人生を送った人であったように私は考えている。芭蕉とは異なった世界で円空もまた世俗の中に生きた孤高の僧侶であった。
 芭蕉は美味しいものが大好きであった。だから「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」、「鰹売りいかなる人を酔はすらん」、「飯あふぐ嬶が馳走や夕涼み」などの句を詠んでいる。またお酒が好きだった。「御命講や油のような酒五升」がある。また女性も大好きだった。
だから「芋洗ふ女西行ならば歌よまむ」の句がある。