醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1214号   白井一道

2019-10-13 11:47:32 | 随筆・小説



    徒然草42段 『唐橋中将といふ人の子に』



 唐橋中将(からはしちゅうじょう)といふ人の子に、行雅僧都(ぎょうがそうづ)とて、教相(けうさう)の人の師する僧ありけり。気(け)の上(あが)る病ありて、年のやうやう闌(た)くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面(おもて)のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂(いただき)の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。

 近衛中将の唐橋という人の子に僧正に次ぐ位にある行雅僧都(ぎょうがそうづ)という方がおられた。真言密教の教理を教え、研究されている僧侶であられた。時に逆上する病を持ち、徐々に年の盛りが過ぎゆくうちに鼻の中がふさがり、息もしにくくなり、さまざまな治療を施したけれども、病状が進み、目・眉・額なども腫れて、顔全体を覆ってしまい、ものも見えなくなり、舞楽の曲、「案摩(あま)」の後、二人の土民の舞に用いる異様な面のように見えるが、ただ恐ろしく、鬼の顔になり、目は吊り上がり、鼻は額の辺りになり、後には僧坊に住む人々からも離れ、自分の部屋に籠り、久しい年を経て、なほ病は進み亡くなられた。

 かゝる病もある事にこそありけれ。

 このような病気が本当にあるのだなぁー。

 
 政党「れいわ新選組」から舩後靖彦さんと木村英子さんの二人が参議院議員に初当選した。舩後靖彦さんは意思疎通に特別な対応が必要な難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者である。木村氏は手足がほとんど動かない脳性まひの障害を持つ。
 山本太郎氏は人間を生産性のみで見るのは間違っていると主張している。人間は存在するだけで尊いということが認められる社会でなければならないとも主張している。
 私はこの世に生きていてもいいのだということが実感できる社会、そのような社会にしなければならないというのが山本太郎氏の主張のようだ。年を重ね、老いた人間も正々堂々と生きていていいと若い人々から敬われる社会であってほしいと私も願う。
 社会保障はムダ金だ。ドブに金を捨てるようなものだというような考えの人に政治をしてほしくない。社会保障はムダ金だというような主張がある国はまだまだ貧しい国だ。貧しいからこそ社会保障はムダ金だというような主張がでてくるのだろう。山本太郎氏の率いる「れいわ新選組」が参議院で二議席獲得したということは日本という国がそれなりに豊かな社会になったという証明ではないかと思う。
 この世に生きるすべての人が誰からも敬われる社会になるにはすべての人がすべての人を互いに認め合うことが大事だ。性同一性障害を持つ人々がいる。自分の身体的性を自分の心が受け入れがたいということのようだ。このような心身の不一致に苦しむ人々がいる。このような人を障碍者としてではなく、ごく普通の人としてすべての人が受け入れられるような社会になってほしいと思う。
 昔、盲人に大学の門戸を開けという運動をしたことがある。実際、同じクラスに盲人の仲間がいた。彼の成績は優秀だった。しかし学内にはもう一人盲人がいた。その彼が自殺した。学業について行くことにくたびれて自殺した。この出来事が新聞に報道されると大学側はこの事件以後、障碍者の受験を阻むようなことをした。このことを私たちは批判し、障碍者への大学門戸を開けと運動をした。
 障碍者が障害を乗り越えることはできないと視覚障碍者は言う。盲人はどんなに努力したところで目が見えるようになることはないとある視覚障碍者が発言していた。盲人は目が見えないという現実を受け入れ、正々堂々として晴眼者と対等な存在として誰からも受け入れられる社会になってほしいと主張していた。目が見えないということは障害ではなく、個性として受け入れてほしいとその盲人は発言していた。この発言を聞き、私は納得した。黒人の肌の色が白くなることはない。肌の色が黒いということはその人の個性として私たちは受け入れている。生れ付いて持っているものをそのまま受け入れ合う社会がいい。そこに差別や区別を持ち込む必要はない。あるがまま受け入れ合う社会がいい。