醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1221号   白井一道

2019-10-20 11:43:40 | 随筆・小説



    徒然草49段 『老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ』




 老来りて、始めて道を行(ぎやう)ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽(たちま)ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔(くや)しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

 もう少し、年取ってからでいいだろうと仏道修行を始めるのを待つようなことをしてはならない。昔の墓の多くはみな少年のものだ。思わぬ病をえて、たちまちこの世を去ろうとする時になって初めて今まで間違った考えをしていたと気付くことになるだろう。誤りは他でもない。今すぐしなければならない事をせず、どうでもいいことに夢中になり、あんな事をしなければ良かったと後悔することになる。その時になって後悔しても後悔先に立たずだ。

 人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤(つと)むる心もまめやかならざらん。

 世が無常迅速だと言うことを人は、ただ心にしっかり持って身に迫ってくることを束の間も忘れることがあってはならない。そのように心がけるならば、この世の濁りに染まることも少なく、仏道修行に励む心も生まれてくるであろう。

 「昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、『今、火急(かわきふ)の事ありて、既に朝夕(ちょうせき)に逼れり』とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因(じふいん)に侍り。心戒といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。


 三界六道には、心安く、尻さしすゑてゐるべき所なきゆゑ也」『一言芳談』

 あるひと云く、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくとも候、なうなうとうたひけり。その心を人にしひ問はれて云く、生死無常の有り様を思ふに、この世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけたまへと申すなり、云々。『一言芳談』

 昔の修行僧は、人がやって来て自他の用事を言うのを聞いて、『今、火急の用事がありますので、既に朝夕(ちょうせき)に逼っております』と言って耳を塞いで念仏を唱え続けて、ついに往生を遂げたと、『往生十因』という本にある。心戒という上人(しょうにん)は、余りにもこの世のはかなさを思い、静かに安座することなく、常にしゃがんだままであったという。

 宗教と政治は若者を夢中にさせる。若者が大人になることが難しい。難しいが故に若者はつまずく。ただ大半の若者は親を見習い、親の真似をしているうちに親と同じような大人になっていく。しかし親と同じような大人になりはぐる少数者がいる。それらの少数氏が頼るのが宗教と政治なのではないかと感じている。
 今、マルクス主義に興味を抱く若者はいないようだ。1960年代後半、マルクス主義に興味を抱く若者がいた。全体から見れば少数者であった。大半の若者はマルクス主義などに興味を抱く若者は少数者であった。大学にあっても多数者は無関心、興味・関心の中心は実存主義というのが知的若者の多数者だったのではないかと思う。
 マルクス主義にかぶれた少数の学生が派手な行いをした結果、目立っただけなのじゃないかと思う。私自身、マルクス主義に興味関心を持ったがこのような運動によって社会が大きく変わることはないという実感があった。特に就職する時期が近づいてくるとマルクス主義などどうでもよいものになっていた。就職試験の勉強とアルバイトに勤しみ、マルクス主義など、どうでもよいものになっていた。ただ一時期、強き引き付けられるものがあっただけだ。