徒然草32段 『九月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて』
「九月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり」。
九月廿日ころ、ある人に誘われ、お供をして夜の明けるまで月を見て歩いた折に、思い出した家があるとかで、案内させてお入りになってしまわれた。荒れたる庭のしたたる露に、わざわざ焚いたものではないような匂い、しっとりとした薫りが充満し、世俗から離れ、ひっそりとしている気配に深い情緒が感じられた。
「よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。」。
頃合いを見て出ておいでなられたけれど、それでもなお、この家に住む女性の人柄が優雅に思われて、物陰からしばらく見ていたところ、家の出入り口にある板戸を少し開けて見ると、お月見をしている様子だ。やがて家の中に入られてしまったら残念なことであったろう。客が帰られた後まで見ている人がいようとは思いもしなかったのだろう。このようなことをしているのは、普段道理のことなのであろう。
「その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし」。
その方は間もなく亡くなられたと聞いた。
定年退職後、南アルプスの麓の村に移り住んだ知人がいる。若かった頃、山登りを趣味にしていた人だった。現役の頃も年に一度くらい夫婦で山に行っていたようだ。人里まだ車で一時間ほどの距離だと手紙にあった。
現役の頃は出張で一緒になった折には帰りにビールなどを軽く楽しむ仲であった。退職後、山里に転居したというハガキが来た。それ以来、年賀状のやり取りだけの間柄になった。そんな関係が数年続いたがある年、私の出した年賀状が差し戻されてきた。宛先不明という印が押されていた。元気だという風の噂はあったがどうしたのかなと思っていたら、子供の住む街場に住まいを移し、病院通いをしているという話を聞いた。
六〇代の後半だったように思う。空気の美味しい山里の景色は素晴らしい。アルプスの山々を毎朝眺める老後の生活はきっと気持ちよいものであったろう。しかし病を得ると大変なことになる。病院のある町まで行く時間が長い。日常生活の買い物も不便である。世俗の街場を離れ、山里などに住まいを移すことも健康な内はいいだろう。他人の手を借りることなしには生活できない状況になったら、山里では生活できない。
街場の生活に慣れ切った人間が自給自足の生活に憧れて山里に生活の場を移すことは難しいのではないかと私は考えている。山登りのテント生活に馴れた人であっても、それが毎日となるといかがなものであろう。無理があるのではないかと思う。農業の経験が少しでもあり、野菜の栽培方法が分かり、地元の方々との友好関係を結ぶことができなければ、山里では孤立化を深めることになろう。
私は定年退職後、見ず知らずの山里に移り住むことはできないと考えていた。自分の生まれ育った山里に帰り住むというのなら、話は別だ。故郷には子供だった頃の友人・知人たちがいる。それらの人々に囲まれて楽しい老後ということもあり得よう。だが都会に生まれ育ち、見ず知らずの山里に移り住むのはいかがなものであろう。
老人は住み慣れた街場に住むのがベストだと考えている。まず市役所に自転車に乗っていくことができる。郵便局、病院、商店が身近にある。知人がいる。老人は誰でもが他人様のご厄介にならざるを得ない状況になる可能性が高い。特に病院が近くにあるということは決定的に大事なことではないかと思う。体が健康なうちはあまり実感することがないが、少しでも体に異常が起きるとたちまち困ってしまう。
老人は生活の便利な場所に住む。誰か、他人様の援助が得られやすい場所に住む。これが一番だと私は思っている。