徒然草第201段 退凡・下乗の卒都婆
原文
退凡(たいぽん)・下乗(げじよう)の卒都婆(そとば)、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
現代語訳
退凡(たいぽん)と下乗(げじよう)の卒都婆(そとば)は外にあるのが下乗であり、内にあるのが退凡である。
卒塔婆の起源 白井一道
紀元前6世紀、インドの霊鷲山で釈迦牟尼世尊が説法をしたが、その説法を聞くためにマカダ国のビンバシャラ王が山頂への道を開き、その途中に荘厳な卒塔婆を一対建てたのだが、それが『退凡・下乗の卒塔婆』と呼ばれるものである。
『下乗の卒塔婆』というのは、ここから先は神聖な場所になるので、そこから乗物を降りよと指示する卒塔婆であった。『退凡の卒塔婆』とは凡人・凡夫の立ち入りを禁止するという意味の卒塔婆である。
卒塔婆とは、供養のために用いる細長い板のことです。卒塔婆は、故人や先祖を供養する追善供養の目的で立てられます。
塔婆を立てることが「善」とされており、「塔婆を立てる=善を積む」といった行いによって、故人の冥福につながると考えられています。また塔婆供養が先祖への善だけでなく、自身の善い行いとしても奨励されています。
卒塔婆の起源は?
そもそも、卒塔婆は古代インドで「仏塔」という意味のサンスクリット語「ストゥーバ」を漢訳したものであり、ストゥーバ(仏舎利塔)とは釈迦の遺骨を納めた塔で、これが五重塔の起源といわれています。
五重塔をもとに、その後つくられた五輪塔が卒塔婆の起源です。卒塔婆は五輪塔が簡略化されたもので、五輪塔の5つの形の意味を卒塔婆も同じく持っています。また、五輪塔が供養塔と呼ばれるように、卒塔婆そのものが供養を表しています。