醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1675号   白井一道

2020-04-09 12:19:41 | 随筆・小説


  徒然草第201段 退凡・下乗の卒都婆


原文
  退凡(たいぽん)・下乗(げじよう)の卒都婆(そとば)、外なるは下乗、内なるは退凡なり。

現代語訳 
 退凡(たいぽん)と下乗(げじよう)の卒都婆(そとば)は外にあるのが下乗であり、内にあるのが退凡である。

 卒塔婆の起源   白井一道

紀元前6世紀、インドの霊鷲山で釈迦牟尼世尊が説法をしたが、その説法を聞くためにマカダ国のビンバシャラ王が山頂への道を開き、その途中に荘厳な卒塔婆を一対建てたのだが、それが『退凡・下乗の卒塔婆』と呼ばれるものである。
『下乗の卒塔婆』というのは、ここから先は神聖な場所になるので、そこから乗物を降りよと指示する卒塔婆であった。『退凡の卒塔婆』とは凡人・凡夫の立ち入りを禁止するという意味の卒塔婆である。
 卒塔婆とは、供養のために用いる細長い板のことです。卒塔婆は、故人や先祖を供養する追善供養の目的で立てられます。
塔婆を立てることが「善」とされており、「塔婆を立てる=善を積む」といった行いによって、故人の冥福につながると考えられています。また塔婆供養が先祖への善だけでなく、自身の善い行いとしても奨励されています。
卒塔婆の起源は?
そもそも、卒塔婆は古代インドで「仏塔」という意味のサンスクリット語「ストゥーバ」を漢訳したものであり、ストゥーバ(仏舎利塔)とは釈迦の遺骨を納めた塔で、これが五重塔の起源といわれています。
五重塔をもとに、その後つくられた五輪塔が卒塔婆の起源です。卒塔婆は五輪塔が簡略化されたもので、五輪塔の5つの形の意味を卒塔婆も同じく持っています。また、五輪塔が供養塔と呼ばれるように、卒塔婆そのものが供養を表しています。

醸楽庵だより   1374号   白井一道

2020-04-08 10:27:01 | 随筆・小説



   徒然草第200段呉竹は葉細く



原文
  呉竹は葉細く、河竹は葉広し。御溝(みかわ)に近きは河竹、仁寿殿(じじゆうでん)の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。

現代語訳 
 呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。宮中の庭に流れる小川に近い所に生える竹は河竹、仁寿殿(じじゆうでん)の方に寄りて植えられているものは呉竹である。

 竹を詠んだ万葉集から   白井一道
 万葉の時代から日本人は竹を愛して来た。

吉備(きび)の津(つ)の采女(うねめ)の死(みまか)りし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首

秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひをれか 栲繩(たくなは)の 長き命を 露(つゆ)こそは 朝(あした)に置きて 夕(ゆふへ)は 消(き)ゆと言へ 霧こそは 夕(ゆふへ)に立ちて 朝(あした)は 失(う)すと言へ 梓弓(あづさゆみ) 音聞くわれも おほに見し 事悔(くや)しきを 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 剣刀(つるぎたち) 身に副(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その夫(つま)の子は さぶしみか 思ひて寝(ね)らむ 悔(くや)しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと 〈巻二(二一七)〉
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秋山の美しく色づくような妻、なよ竹のようにしなやかな子は、なにを思ってか栲の縄のように長き命を、露ならば朝に置いて夕べにはもう消えるという。霧ならば夕べに立って朝にはもう失せるという。梓弓の音のように噂に聞いていた私もぼんやりとしか見たことはないけれど、栲を重ねたの枕のように手を重ね合い、剣や刀のように身に添えて共に寝た若草のような夫は、さびしく悲しみながら寝ているだろうか。死なせてしまったことを悔やんで悲しみ恋ているだろうか。思いもかけず死んでいった子が朝露のように、夕霧のように…
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この歌は吉備の国の都宇(つ)郡(現在の岡山県都窪郡)出身の采女が亡くなったときに、柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が詠んだ挽歌です。
結句の「朝露のごと 夕霧のごと」は「朝露のように夕霧のように…采女のことが思われる」の意味。
歌の中に「敷栲の 手枕まきて 剣刀 身に副へ寝けむ 若草の その夫の子(栲を重ねたの枕のように手を重ね合い、剣や刀のように身に添えて共に寝た若草のような夫)」と出てきますが、通常、采女は結婚できない決まりなのでこの采女はそのことを悔やんで入水自害したのではないかと言われています。
人麿自身はこの采女を「おほに見し(ぼんやりとしか見たことはないけれど)」と詠っていますが、そのような特別深い関係はなかった人物にこれだけの挽歌を詠んでいるのは采女の無念の怨念を畏れた朝廷の命によって作った挽歌だからなのでしょうね。
この時代の人々は無念の思いを抱いたまま死んだ者の魂はその場所をさ迷い、その怨念が人々に祟りとなって災いをもたらすと信じていました。
そしてこの歌のようにその死者の無念の魂に語り掛ける挽歌を詠み、その無縁の魂を慰めることで災いを避けようとしたのです。 黒路よしひろ著

 近代になると、エジソンが京都の真竹の繊維を炭化して電球のフィラメントを作っている。

『竹の民俗誌』沖浦和光著を読むと竹の文化には深い闇の文化がある事を知る。

醸楽庵だより   1373号   白井一道

2020-04-07 10:14:10 | 随筆・小説



  徒然草第199段横川行宣法印が申し侍りしは

 
原文
  横川行宣法印〈よかわのぎやうせんほふいん〉が申し侍りしは、「唐土(たうど)は呂(りよ)の国なり。律の音なし。和国は、単律の国にて、呂の音なし」と申しき。

現代語訳
 横川〈よかわ〉の行宣法印(ぎやうせんほふいん〉がおっしゃられたことによると、中国は呂旋の国である。律の旋律はない。和国は律旋だけの国であり、呂旋律はないと申された。


 笙篳篥(しょうひちりき)の魅力 白井一道
 東儀秀樹氏は雅楽の魅力を次のように説明している。
 「雅楽は上代から伝わる日本固有の音楽と1400年ほど前から順次朝鮮半島や中国大陸などから伝来した古代アジア諸国やシルクロードの芸能に基づき、またはその影響を受けて日本で熟成され、平安時代中期に完成し、そのまま原形のまま存在している世界最古の音楽芸術です。陰陽道といわれるもの、つまり古代の哲学や天文学や統計学、自然界との調和などが織り込められた計り知れない完成度をもつ芸術です。古代より決められた家(「楽家」(がっけ)という)によって口伝で正確に継承されてきました。
表現としては、「管絃」「舞楽」「歌謡」の三つの形態があり、古来から皇室の典礼、御遊、また神社仏閣の祭典などにも奏されてきました。
「管絃」は楽器だけの演奏表現で、正式には笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の三種の管楽器、琵琶、箏の二種の絃楽器、太鼓、鞨鼓(かっこ)、鉦鼓(しょうこ)の三種の打楽器の編成で演奏されます。指揮者のいないこの演奏はアンサンブルの極致ともいわれるもので、その神髄に迫る演奏をするには担当する楽器に精通することはもちろんですが、共に演奏される八種類の楽器の動きを充分に把握し、演奏者同士の息(意気)や、間を感じ合うことが大切になります。そのため雅楽師というのは主の管楽器のほか、絃楽器のひとつ、打楽器すべて、そのほか舞や歌もマスターしなければ成り立たないのです。
「舞楽(ぶがく)」は音楽とともに奏する舞で、一人で面を付けて躍動的に表現するものや四人から六人でゆったりと優雅に舞うものなど、さまざまな表現があります。「国風舞(くにぶりのまい)」-日本古来の舞いに基づいたもの、「左方舞(さほうのまい)」-中国や東南アジアなどから渡ってきたものに基づいたもの、「右方舞(うほうのまい)」-朝鮮半島から渡ってきたものに基づいたものに分けられ、それぞれ伴奏形態、色彩、舞振りなどに異なる特徴があります。
「歌謡」は雅楽器の伴奏をつけた声楽曲で、大きく「国風歌(くにぶりのうた)」、「催馬楽(さいばら)」、「朗詠(ろうえい)」の三つの種類があります。「国風歌」は日本古来の原始歌謡に基づいたもので、神話の世界で歌われたとされるものがこの起源といわれ、多くは儀式用になります。「催馬楽」は平安時代、馬を牽くときに歌われた風俗歌から発展し、宮中で貴族が楽しむ歌曲となりました。「朗詠」は中国の漢詩に平安時代に日本人がメロディーを付けて、やはり貴族たちの間で流行したといわれている歌です。」
 私の雅楽体験は中学生の頃に聞いた春日大社で演奏された雅楽に尽きる。月見の夕べに催された雅楽である。音色に魅了されたのだ。平安貴族が楽しんだ気持ちが分かったような気分になったものだ。
 月光の魅力が十二分に表現されていた。その時の感動が今も私の脳裏に焼き付いている。決してベートーベンのピアノソナタ『月光』に勝るとも劣るものではないと感じた記憶が残っている。私は雅楽の音色に日本を感じるのだ。洗練された高度な音色に平安時代の日本人の音楽の高さが雅楽にはあるように私は感じている。もっともっと日本人は日本古来の文化に誇りを持っていいのだと雅楽を聞くと感じるのだ。
 雅楽の音色には日本の空気が合っている。日本の空気に雅楽の音色はマッチする。雅楽の音色が風に乗るとそこには新たな別世界が出現するのを私は感じる。その世界は西洋の音楽を聴いた時に感じる世界とは異質なものだ。私の皮膚にマッチする快いものなのだ。雅楽の世界に誘ってくれるこの笙篳篥の音色が西方極楽浄土の世界を表現していると感じるのだ。ここが極楽浄土だと感じさせるのだ。このような感覚を西洋音楽を聴き、感じることはない。

醸楽庵だより   1372号   白井一道

2020-04-06 12:48:32 | 随筆・小説


   
 徒然草第197段諸寺の僧のみにもあらず



原文
   諸寺の僧のみにもあらず、定額〈ぢゃうがく〉の女孺(によじゆ)といふ事、延喜式に見えたり。すべて、数定まりたる公人(くにん)の通号(つうがう)にこそ。

現代語訳
 もろもろの寺の僧侶の定員、定額は、僧侶だけではなく、「定額〈ぢゃうがく〉の女孺(によじゆ)」という言葉が延喜式にあるということは、宮中に奉仕する下級の女官にもすべて定員が定まっていた。


 古代社会にあって、宮廷に仕える人々はすべて僧侶も含めて公務員であった  白井一道

 近代以前の社会にあっては、支配する者と支配される者とが明瞭に区別されていた。支配する者の姿、格好、服装からしぐさまでが視覚化された社会であった。支配するということが公務であった。支配される人々の事は一切無視されていた。人の口をきく動物以外の何ものでもなかった。
 僧侶は支配する者たちに仕える支配のイデオロギーを普及する役割を担っていた。だから政府から給与されて生活していた。だから寺には定員があった。宮廷に仕える人々も支配する側にいた。だから定員があった。支配される民衆は生涯、天皇を頂点とする支配階級に富を献上するのみだった。
 「税」という字は「禾」が意味を表す意符であり、「兌」が音符のようだ。「禾」とは、稲の収穫を意味する。農民が収獲した実りを天皇に奉げたものが税である。人民一般が働き獲得した富を天皇に奉げることを栄誉する精神構造を創りあげた者が僧侶であり、神官たちである。天皇自身が神として君臨した社会が奈良、平安の時代である。兼好法師が生きた時代は古代天皇制社会が崩れ出し、東国を中心に天皇支配する力が徐々に弱体化していった時代である。関西以西の地域にあってはまだまだ古代的な天皇支配体制が強固に残存していた。
 支配の体制が天皇と天皇を支える貴族たちから武家と言われる人々に変わっていくことによって、人民、民衆の意識が少しずつ変わり、農村共同体が自立していく傾向が出てくる。このような時代に兼好法師は生きていた。
         

醸楽庵だより   1371号   白井一道   

2020-04-05 11:13:42 | 随筆・小説




   
 徒然草第196段東大寺の神輿



原文
 東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より帰座(きざ)の時、源氏の公卿(くぎやう)参られけるに、この殿、大将(だいしやう)にて先を追はれけるを、土御門相国(つちみやどのしやうこく)、「社頭にて、警蹕(けいひつ)いかゞ侍(はんべ)るべからん」と申されければ、「随身の振舞は、兵杖(ひやうぢやう)の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
 さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄〈ほくざんせう〉を見て、西宮(せいきう)の説をこそ知らざりけれ。眷属(けんぞく)の悪鬼(あくき)・悪神(あくじん)恐るゝ故に、神社にて、殊に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。


現代語訳
 東大寺の神輿(みこし)が東寺の八幡宮より元の座所に戻った時に源氏の公卿が参られたので、久我内大臣殿は右近衛大将として随身に先ばらいをさせたところ、太政大臣源定実は「神社の前で先ばらいをなさることは、いかがなものでございましよう」と申されたので「随身の振る舞いは武官の家柄の近衛大将に就く家だけが知っていることです」と答えられた。
 さて、後に仰せられたのは、「この太政大臣源定実は朝廷の故実書を見て、源高明の著した『西宮記』の説を知らなかった。一族・身内の悪鬼(あくき)・悪神(あくじん)を恐れるために神社では殊に先ばらいをする理由がある」と仰せられた。


 中世社会は呪物が社会を支配した  白井一道
 有職故実が決定的に大事なものだったと、高校生の頃、日本史の授業で教わった記憶がある。その時、なぜ儀式がそれほど中世社会では決定的に重要な意味を持つのかが理解できなかった。教師もまたその理由を説明することはなかった。
 私は公立高校の世界史担当の教師になった。十年ほどたったころであったろうか、なぜ中世社会にあっては、有職故実が決定的に重要な意味をもつのかを一コマ、50分の授業をした記憶がある。
 高校入学式には新入生呼名という儀式がある。何々年度、何々高等学校入学者一年一組何々と担任予定者が一組生徒名を呼名していく。呼名された生徒は「はい」と答えて起立する。担任予定者は次々に呼名していく。40名呼名し終わると次、二組担当予定者の教師が何組生徒名を呼名していく。8組まで呼名し終わると最後に以上320名と8組担任予定者が発言すると体育館の壇上に起立していた校長が以下の者の何々高等学校への入学を許可すると発言する。この儀式が入学式の最も重要な儀式である。なぜなら何々高等学校入学予定者が何々高等学校生徒になった瞬間であるからである。この新入生予定者の呼名という儀式を静かな会場で厳粛に執り行うことが入学式の最も重要なところである。
 しかし実際は入学を希望する生徒にとっても親にとっても最も大事な出来事は合格者発表の瞬間である。泣きを笑いの一瞬でもある。1980年代、いわゆる進学校と言われる有名大学に進学する生徒が多数いる高校への入学者には厳しいものがあった。だから実質的には合格者発表が学校にとって最も大事な事業である。だから入学式は単なる形式に過ぎない。単なる形式に過ぎないから、やむを得ず欠席することも認められている。事前に欠席の連絡があれば入学を取り消されることはない。
 入学式というものは単なるイベントに過ぎない。校長はモーニングのような服装をする。校長になると服装をいちいち気にする。入学式に相応しい訓辞をするのに四苦八苦する。担任教師もまた礼服を着て、式に臨む。この儀式が学校にとっては大事な行事の一つになっている。この行事が生徒をその学校の生徒にしていく。教師もまた行事を通してその学校の教師になっていく。学校にとって行事は生徒が成長していく過程で決定的に重要な意味を持っている。
 何々高等学校への入学を許可するという校長の発言そのものに呪力がある。行事が学校を作っていく。行事そのものに学校を作る呪力がある。このような呪力が何よりも増して社会の中で決定的な意味を持っていた社会が過去の社会である。中世社会より古代社会の方が更に儀式の呪力は大きかったように思われる。この呪力に昔の人々は神の存在を感じたのではないかと私は考えている。この呪力が少しづつ失われて近代社会が成立する。                        

醸楽庵だより   1370号   白井一道

2020-04-04 11:14:22 | 随筆・小説



   
 徒然草第195段或人、久我縄手を通りけるに


原文
 或人、久我縄手(こがなわて)を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。
 尋常(よのつね)におはしましける時は、神妙に、やんごとなき人にておはしけり。

現代語訳
 或る人が鳥羽の作道、久我縄手(こがなわて)を通っていると、小袖に袴を着た人が木造の地蔵を田の中の水に浸して懇ろに洗っていた。不思議に思って見ていると狩衣を着た男が二、三人表れ、「ここにいらっしゃった」と言って、この人を連れて行ってしまわれた。久我内大臣殿でいらっしゃる。
 正気でおられたときは、殊勝にも立派な方でいらっしゃられた。

 認知症とは  白井一道
 今、電話で話した人が誰であったのかが分からなくなってしまう。誰と話したのかなと考え込んでしまう。こんなこと、珠にありますよね。
同じことを何度も言わなくちゃ、安心できない。何回も同じことを問うてみなければ納得できない。そんなことが年取ると起きてくるように思いますね。
しまい忘れ置き忘れが増えいつも探し物をしている。
財布・通帳・衣類などを盗まれたと人を疑うことがある。こんなことになるともしかして、認知症なのかと不安になる。
 認知症と老化には、似た現象があるが、大きく異なっているようだ。確かに年をとると物忘れしがちであるが、 脳の認知機能に障害が起き、物を忘れてしまう事とは違っている。一切をすべて忘れてしまうのが認知症のようだ。昨日は東京に行き、若かったころ、よく時間ができた時など銀座の街を歩いたことを思い出し、服部時計店の五階催し会場に行った。そうだ。五階では何が催されていたのか、思い出そうとしても思い出せないことがある。このようなことは老化によるもの忘れなのであろうが、認知症によるもの忘れは昨日、東京に行き、銀座の街を歩いた事をすべて忘れてしまうようだ。脳の認知機能に障害が生じた結果のようだ。だから昨日は歌舞伎座ではなく、新橋演舞場で行われた歌舞伎を見に行った。歌舞伎を見終わり、酒を飲むにはまだ間があったので銀座の街をぶらぶらしたのだ。このような時間や場所の記憶がすべてなくなってしまうのが認知症のようだ。時間や場所の見当がつくのが老化だとすると皆目見当がつかなくなるのが認知症のようだ。忘れたと自覚できるのが老化のようだが、忘れた自覚がないのが認知症のようだ。だから老化は日常生活に幾分障害がでるが決定的な障害を防ぐことが可能だが、認知症の場合は日常生活に大きな障害が出るようだ。
 記憶を失う。私は何の何平だという自覚を失うことは、私は私であると言う自覚を失うことである。私が私でなくなる。記憶が私は私だということを担保している。記憶がなくなると私は私でなくなる。記憶があって初めて私は人間であるという自覚ができる。記憶が人間をして人間たらしめている。記憶を失っても生物的には人間は人間であり続けるが、社会的には人間が記憶を失うと人間は人間ではなくなってしまう。重度の認知症患者は生物的には人間であっても社会的には人間ではなくなってしまうから大変なのであろう。
 記憶を失うことは歴史を失う事でもある。歴史があってこそ今、現在がある。現在の私は今までの私の結果である。記憶があってこそ、今がある。記憶を失うことは今、現在を失うことでもある。人間とは記憶である。記憶の集積の結果が今の私である。文書として記憶を残すことが人間である。図書館の存在は人間にとって無くてはならないものなのであろう。古代ギリシアの時代から、いや人類の誕生以来、人間は記憶を残す営みを絶やす事はなかった。人間が人間であり続けるために記憶を残す営みをし続けてきた。その結果の一つが原始社会の洞窟壁画である。フランス、ラスコー洞窟、ラ・マルシュ洞窟 - リュサック・レ・シャトー近郊、ショーヴェ洞窟 - バロン・ポン・ダルク近郊。スペイン、アルタミラ洞窟。これらの洞窟壁画は人類の誕生を意味する記憶の誕生でもある。壁画として記憶を残す。この記憶が人間を人間にしていった。記憶を積み重ねることが人間を作りだした。



                                  

醸楽庵だより   1370号   白井一道

2020-04-02 10:56:41 | 随筆・小説


   
 徒然草第194段 達人の、人を見る眼は


原文
  達人の、人を見る眼(まなこ)は、少しも誤る所あるべからず。
例へば、或人の、世に虚言(そらごと)を構へ出して、人を謀る事あらんに、素直に、実と思ひて、言ふまゝに謀らるゝ人あり。余りに深く信を起して、なほ煩(わづら)はしく、虚言を心得添ふる人あり。また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。また、いさゝかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。また、実(まこと)しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんとて止みぬる人もあり。また、さまざまに推し、心得たるよしして、賢げにうちうなづき、ほゝ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。また、推し出して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。また、「異なるやうもなかりけり」と、手を拍ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、この虚言(そらごと)の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構へ出したる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。
 愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、惑へる我等を見んこと、掌の上の物を見んが如し。但し、かやうの推し測りにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず
現代語訳
達人の人を見る目は、少しも間違うことはない。
 例えば、或る人が世にうまい話を作り出し、人を騙そうとしていることに、素直に本当のことだと思って騙される人がいる。あまりに深くその話を信じて、更にいろいろと嘘を加える人がいる。また、何とも思わず、心に入れない人がいる。また、少し心配になり、誰かを頼みにするでもなく、頼まないでもなく、案じている人もいる。また本当のことだとも思わないけれども、人の言う事なのでそのような事もあるであろうと思ってしまう人もいる。またいろいろと推し量り心得たように賢げに納得し、微笑んでいるがほとんど何も分かっていない人もいる。また、推し量り嘘を見破り「ああ、きっとそうなのだろう」と見破りながら、なお私の憶測に間違いがあるかもしれないと心配する人がいる。また「格別のこともなかったのだなぁ」と、手をたたいて笑う人がいる。また、納得したけれども、分かったとは言わずに、はっきりしないことには格別のことなく知らない人と同じように見過ごす人がいる。また、この上手い話の本意を最初から見抜き、少しも小馬鹿にしないで、上手い話を作った人と同じ気持ちになって協力する人がいる。
 愚か者がする戯れだと分かっている人の前では、この様々な人の対応が言葉にも、顔にも隠れることなく知られるであろう。まして、明らかになっている人の惑える我らを見ることは、掌の上の物を見るかのようなものだ。ただし、このように推し測り、仏法の嘘も方便を同等なものと言ってはならない。

 山尾志桜里さんの国会質疑を聞いて 白井一道
 「新型コロナウイルスのさらなる感染拡大に備え、総理大臣が「緊急事態宣言」を行い、都道府県知事が外出の自粛や学校の休校などの要請や指示を行うことを可能にする特別措置法案は、12日、衆議院を通過し、13日、参議院内閣委員会で質疑と採決が行われた結果、賛成多数で可決されました」。
NHKニュースより
 衆議院議員山尾志桜里さんは「新型コロナウイルス特別措置法案」が「緊急事態宣言」が出せるようになったことに不安を覚え、立憲民主党が賛成を決めている中、反対票を投じた。その後、山尾議員は立憲民主党から離党した。その主な理由は、「緊急事態宣言」が言論の自由を統制し、政府の方針を批判する言論弾圧が可能になることに抗議して、山尾議員は立憲民主党を離党したと私は理解した。現安倍政権はそのようなことはしないと内閣府副大臣は山尾委員の質問に答えているが、将来にわたってそうなのかという山尾委員の質問に対して、政府はその時の政権の意向によるという回答を聞き、自民党政権の意向は政府の方針に対する批判的言論を統制したいと言う事なんだと理解したと私は理解した。山尾議員の認識は正しいと私は思う。現自民党政権には民主主義を守り抜くとは思えない。

醸楽庵だより   1369号   白井一道

2020-04-02 10:56:41 | 随筆・小説



   
 徒然草第193段くらき人の、人を測りて



原文
 くらき人の、人を測りて、その智(ち)を知れりと思はん、さらに当るべからず。
拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禅師、互ひに測りて、己れに如かずと思へる、共に当らず。
己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず。

現代語訳
 愚かな人が人を推し量るのを聞き、それを聞いてもっともだと思うこともないし、更にその評価が当たっていることもない。
 未熟な人が碁を打つことにかけては頭が働き、優れているので、下手な碁を見て、自分の碁の力には及ばないなと思い決めて、いろいろな分野の匠が己の分野についてこの人は何も知らないのだと思い、自分は優れていると思うことは大きな間違いである。文字を知っている法師、経を暗証している禅師は互いに評価し合い、己には適うまいと思うのは、共に間違っている。
 自分の専門外の者をひき比べることはしてはならないし、良し悪しを批評してはならない。

 山本太郎氏の街頭記者会見を聞いて
              白井一道
 山本太郎氏の話を聞いて感動する。日本全国を回って一人一人の話に耳を傾ける。厳しい生活をしている人が山本太郎氏になけなしの金を献金する。きっと私と同じように山持太郎氏の話に真実があると感じるからであろう。その真実とは一人一人の存在が貴いものであるということを感じさせてくれるからであろう。この世に存在しなくともいいような人は一人もいないのだと心の底から山本太郎氏は訴えていると感じるからなのであろう。私のような存在、いてもいなくてもいいような存在だと日々感じさせられている社会の中に生きる哀しみを噛みしめてている人間にとって山本太郎氏の訴えは身に沁みるのだ。
 あなたの代わりになる人はいくらでもいます。嫌であったら辞めてください。あなたの仕事を見ていると嫌々しているように見えます。そんなに嫌なら辞めていただいて結構です。気に入られないとこのような事を言われてしまう。だから気に入られようと誰もが必死に生きている。
 兵士の命は一銭五厘と昔の人から聞かされたことがある。太平洋戦争参戦記には招集された新兵が上官から「お前ら兵隊は一銭五厘でいくらでも集められる消耗品だ」。「お前らの命は一銭五厘の値打ちしなかい」と言われたという。兵士の命は羽毛より軽いとも言われた。
 明治時代に出された軍人勅諭には次のようにある。「軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ」と。
 日本国民の命を「鴻毛よりも輕し」と日本の支配者たちは見なしていたのだ。このような思想が日本の指導層の人々の中に今も息づいているのだ。その中で山本太郎氏は身体に重いハンデを持った人を二人、参議院議員に当選させたのだ。この世に生きる人々はすべての人がどのようなハンデを持った人であってもかけがえのない存在であることを主張し、実現したのだ。今まで誰も実現することの出来なかったことを身をもって実現したのだ。
 山本太郎氏は人間を生産性で評価してはならないと主張する。昔のイヌイットの社会では猟の上手な人も下手の人も収獲したものを平等に食べる。特に上手な人がたくさん食べていいと言う事はなかった。分配は平等なのだ。これが社会というものなのだ。能力の高いものもいれば、低い者もいる。それでいいのだ。その上で人間は平等なのだ。この平等観を実現することなしには平和を実現することは不可能であろう。平等なしには平和はないのだ。

醸楽庵だより   1368号   白井一道

2020-04-01 10:40:45 | 随筆・小説



    徒然草第192段神・仏にも、人の詣でぬ日


原文
 
神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。

現代語訳
 神、仏に人の詣でない日や夜に参るのもいいものだ。

 神様も仏さまも日本人は大事にしてきた
              白井一道
 ここの仏さんには、旧制中学時代、殴られた経験があるんです。この仏さんは配属将校でしたからね。私はこの仏さんの甥っ子でしたけれども、何の容赦もありませんでしたよ。皆同じように殴られました。
彼の話はとりとめもなく続いた。
 我々日本人にとって亡くなられた方を仏さんと言い、この仏さんは実に勤勉な方であったと、語り合ったりする。法事などで良く耳にする言葉である。決して神様の話をすることはない。家に帰り、台所に行くと荒神様のお札が貼ってあったりする。奥さんが自分の母親がやっていたことを真似て神社から台所の神様、家内安全を祈願した神様を祀ったつもりでお札を貼っている。
 私たちの日常生活には特に意識することなく、仏様と神様が入ってきている。仏教を信じているわけでもなく、日本神教を信仰していると自覚することはない。ただ私たちは日常生活から神様も仏さまも排除する必要を特に感じることがない。このような状況は兼好法師の時代からのものであるということを私は『徒然草第192段』を読んで感じた。