もう8年前のこと。2002年日韓ワールドカップの最中、サッカーとナショナリズムの関係について朝日新聞は社説でこう書きました。「サッカーはナショナリズムを刺激しがちな競技である半面、「世界共通の言語」であるとも言われる。 それぞれの国にはそれぞれのサッカーを文化としてはぐくむ土壌がある。W杯は、地域で磨かれた最高のサッカーを、ボールを媒介にして表現する場でもある」(2002年6月 1日社説)、と。サ . . . 本文を読む
公私多忙中にも「忙中閑あり」の日はあるもので、昨日はふと肩の凝らないファンタジーを読んでしまいました。これです、宇田伸夫『百済花苑-大化改新異聞』(近代文芸社刊・1996年)比較言語好きの間では結構有名な<空想科学歴史小説>。「入鹿虐殺の謎を追って/『日本書紀』に隠されていた『古代朝鮮語』と『蘇我百済王朝』の謎」という帯びの宣伝からして鬼面人を驚かす雰囲気が漂ってくる。もちろん、本書は、「万葉集は . . . 本文を読む
グローバル化の昂進の中で日本はどこに漂着しようとしているのか。本稿はこの些か大仰なテーマについて描いたデッサンです。而して、その理路は、グローバル化の時代というものの措定、そして、グローバル化が歴史的に特殊なある社会に影響を及ぼす様相の検討の順に進みます。尚、本稿の基盤である私の社会思想に関しては下記拙稿を併せて参照いただければ嬉しいです。・読まずにすませたい保守派のための<マルク . . . 本文を読む