⤴️ブログ冒頭の画像:記事内容と関係なさそうな「美人さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c566c210ad11db94fc1d87a5fddcf58e
◆天皇制の意味と射程-丸山真男の蹉跌
丸山真男氏は、「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号所収;『現代政治の思想と行動』(未来社・1956年-1957年)に所収, pp.13-15)にこう記しています。
ヨーロッパ近代国家は「中性国家」たることにひとつの特色がある。中性国家は真理とか道徳に関して中立的立場をとり、そうした価値判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)や個人の良心にゆだねる。国家主権の基礎を、かかる価値内容とは無縁な「形式的な法機構」の上に置くのである。(中略)
ところが日本は明治以後の近代国家の形成過程において、国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。ヨーロッパにおいては思想・信仰・道徳の問題は被治者の「私事」としてその主観的内面性が保証されたが、日本の国家主義は自分自身が価値内容の実体たることにどこまでもその支配根拠を置こうとした。
日本に「内面的」世界の支配を主張する教会勢力は存在しなかった。したがって良心に媒介された個人の自由に関する抗争は日本においてはありえず、国家がその統治妥当性の「形式性」を意識することもなかった。そうして第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者であることの公然たる宣言であったと言っていい。(後略)
敷衍すれば、日本では、私的領域から公的領域に自己を隔絶囲繞するはずの国家権力が、私的領域の脆弱さゆえに、天皇制イデオロギーをその尖兵にして、信仰や家族観等々の私の領域までも覆い、その結果、戦前の日本人は自己の責任で判断する/行動するという体験を究極的な所では積むことがなかった。戦前の日本では、よって、国家に帰依するにせよ憎悪するにせよ、すべて、国家権力の存在感と動向に自己の行動の方途と意味を求める無責任で他律的な思想が蔓延した、と。
まあ、「言ってくれたわね」というか、
まあ、反日というかこの人はリベラルの姿勢を取りつつ、
実は、日本の国民を心底馬鹿にしていたんだろうね。
と、そう感じないではないです。
(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。
蓋し、丸山氏の議論は、近代日本の天皇制イデオロギーが<非宗教としての宗教>である側面は正しく捉えているものの、一方で、欧米の近代諸国家もゲルナーの言う意味での、人類史の中で「歴史的に特殊な新たな自己認識たるナショナリズム」を戴く、日本とパラレルな存在にすぎないことを「解読=脱構築」することができていない。
加之、他方、「戦前の日本の国家社会」が普通名詞の「近代国家」であると同時にこの世に二つと同じものの存在しない固有名詞の「日本」でもある経緯を、換言すれば、「戦前の日本の国家社会」なるものの「固有名詞-普通名詞」としての重層的性格を看取することができないでいる。よって、丸山氏は、戦前といわず戦後といわず、実は、日本どころか、ドイツや英国、アメリカやフランスの国家社会が理解できないでいたの、鴨! と、そう私は考えます。
要は、欧州の(「国民主権=民主主義」が貫かれた)政治をアプリオリに天皇制と矛盾するものと看做している点で、丸山氏の主張は「民主主義」の同義語としての広義の「国民主権」と矛盾する。蓋し、それは一般の国民を見下す傲岸不遜な貴族主義か、または、「民主主義」なるものに普遍妥当なる価値を密輸する、ヘーゲルばりの概念実在論が紡ぎ出す左翼・リベラル派の教条主義、あるいは、その両者であるとも。
尚、現下の「民主主義」が陥っている困難な状況に関しては、それを原発問題の切片から描写した記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11138964915.html
・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd01017dc60f3ef702569bbf8d2134d2
◆天皇制の意味と射程-高師直の洞察
日本の政治史上、「最優秀」とは言えないかもしれませんが、間違いなく「最高」の政治指導者であった足利尊氏公の、「最低」ではあったかもしれないけれど、間違いなく「最優秀」の家臣であった高師直はこう述べたと伝えられています。すなわち、師直曰く、
「都に王という人あり、数多の所領をふさげ、内裏・院の御所という所あって、馬より下りるむつかしさよ。もし王なくてかのうまじき道理あらば、木を以て作るか、金を以て鋳かして、生きたる院・国王をば、何方へも流して捨て奉らばや」(『太平記』)、と。
蓋し、ここに「天皇制」の核心があるの、鴨。
と、そう私は考えないではありません。なぜならば、
(α)当時、権勢64州に並びもない師直にとっても、天皇制は「問答無用で廃止!」できるものではなかった。(β)天皇制の価値とは、個人としての天皇に付属する属性(例えば、万世一系のy染色体の遺伝子等々)ではなく、「天皇をその構成要素とする関係性」に収斂すること。これらを師直は洞察していたということでしょうから。
而して、南朝なるものが100年近く存続できたのは、逆に、ネズミの糞にたかる蠅の涎の如き南朝でさえ足利将軍家は軽んじなさらない、と。そう率先垂範して、要は、そういう実例を通して、「ならば、北朝の貴さよ、その北朝にオーソライズされた将軍家の権威の高さよ」、と。かくの如き、メビウスの帯び的な梃子の原理を通して、南朝なるものの存在も室町幕府の権威の維持に役だったから、鴨。
と、そう私は考えています。高師直は時空を超えて、
丸山真男の蹉跌を見抜いていたの、鴨とも。
丸山真男の蹉跌と高師直の洞察を反芻するに、次のことだけは言えると思います。
すなわち、「天皇をその構成要素とする関係性」の維持・再構築に関して、誰が天皇であるかなどは非本質的な事柄である。つまり、「天皇」と社会的に看做される人物が存在することが天皇制の必須の要素であって、その逆ではないということ。つまり、アプリオリに「天皇」である人物が存在するから、天皇制の存在が社会的な必然性を帯びるということはないということです。
ならば、例えば、男系の「万世一系」の<神話>は天皇制イデオロギーを飾るお洒落な要素ではあるけれど、それは「天皇をその構成要素とする関係性」そのものからは非本質的な要素にすぎないことになりましょう。
蓋し、女系の天皇が出現されたとしても、彼女や彼の卑属に流れ込む/流れ出す系統に「万世一系」の性格や意味内容をこの社会の過半の国民が表象するのならば、女系天皇制を導入した後の皇統も、この社会の<憲法>がサポートすると言う意味で、「正規の皇統」に他ならないのです。畢竟、「天皇」もまたケルゼンの言う意味での「帰属点」に他ならないということです(★)。
★註:帰属点
ハンス・ケルゼンは、法人たる国家を含む人間集団やその組織の機関を価値や評価の「帰属点:Zurechnungspunkt」として整理しました。畢竟、それはある価値や評価が結びつけられる表象の単位として人間の観念の中にのみ存在する表象、すなわち、観念の形象なのです。
例えば、女子サッカーのワールドカップで、宮間がゴールしても川澄がゴールしても「日本」に1点が入る。しかし、私は、例えば、日本代表の岩清水梓選手を百合ヶ丘の魚菜屋さんで見かけたこともありますが、「日本:日本代表」自体には誰も触ることはもちろん見ることもできはしないのです。それはサッカーのルールブックとサッカーの慣習が意味的世界、意味の空間に作り上げた帰属点なのだから。
而して、「なでしこジャパン」などこの世に物理的には存在しないにもかかわらず、決勝戦のPK戦4本目、左上にズバッと決まった熊谷選手のゴールで、「なでしこ」は3対1で「アメリカ」に勝ちワールドカップ優勝を決めた。と、そう「記録される=帰属する」ことでも分かるように「帰属点」とは、権利と義務、意味と価値がそこにタグ付けされる観念の形象なのです。
◆総括・雑感
蓋し、「国家」も「天皇」も帰属点であり、帰属点と帰属を巡るルールが変容すれば、「国家」や「天皇」の意味内容もそれに伴って変化することは当然のことでしょう。
比喩を使えば、「国家」も「天皇制」も「ユニフォーム」や(例えば、「誰がゴールキーパー」かを明示する)「選手リスト」にすぎない。けれども、「ユニフォーム」や「選手リスト」がなければ試合のスムースな運営が些か難しくなるように、国家や天皇制が「ユニフォーム」や「リスト」にすぎないからといって国家や天皇の価値が否定なり減額されることはないのです。
加之、近代の「主権国家=国民国家」「国民国家=民族国家」の成立以降、人間は、ある国家のユニフォームを纏わない限り、国内的にも国際的にも行動することが難しくなっている。つまり、ユニフォームは単なる記号や帰属点にすぎないにしても、ユニフォームを着ていることが国の内外を問わず社会的活動というゲームに参画する基本的なルールになっている。
ならば、天皇制が「リスト」にすぎないという認識は、天皇制の矮小化ではなく、寧ろ、その価値と機能のリアリティーを示唆顕揚するもの、鴨。と、そう言えるのではないでしょうか。
而して、天皇制に引きつけて換言すれば、「天皇」が帰属点にすぎないことは、「天皇をその構成要素とする関係性」が、現行の日本の憲法の中枢・中核であることと矛盾しない。否、それどころか、前者は後者の論理的帰結でさえあるのです。
最後に、「女系天皇制」に絞ってこの経緯を検算しておけば、「天皇をその構成要素とする関係性」が、国民の法的確信の維持獲得という点で男系ではない天皇、すなわち、「女系の天皇」という概念によって再構築可能であれば、「天皇」という帰属点に女系の人物が座ること、女系天皇制の導入は<2011年3月11日午後2時46分>の年の現在、天皇制の伝統に新風を吹き込む智慧であり、それは、天皇制を豊穣にする伝統の再構築の営みである。と、そう私は考えます。
尚、憲法基礎論の領域における「女系天皇制」を巡る私の基本的な理解については
下記三部作記事をご参照いただけるようであれば嬉しいです。
【保守主義からの女系天皇制肯定論-海馬之玄関ブログ三部作】
・「女性宮家」は女系天皇制導入の橋頭堡:「女性宮家創設をどう思う?」-私家版回答マニュアル
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c2748f9892e1018e1a3f1cb6910ad8a7
・覚書★女系天皇制は<保守主義>と矛盾するものではない
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4e4851bc3a1a404bbc8985650d271840
・女系天皇は憲法違反か
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3ab276729a79704d3dbe964193ad5261