英語と書評 de 海馬之玄関

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カップヌードルとナショナリズム?

2011年12月03日 04時19分08秒 | 徒然日記


このエントリーは過去記事の「新装版」です。なんと、2005年3月5日午後1時13分の記事。そう、<2011年3月11日午後2時46分>から遡ること6年前のもの。国政選挙だけに限っても、あれから、いろいろありましたよね。

平成の大宰相・小泉純一郎首相の「郵政解散-郵政総選挙」(2005年8月8日-9月11日)、与党が過半数割れを喫した安倍内閣の参院選惨敗と本格的な「ねじれ国会」時代の到来(2007年7月29日)、政権交代だけが目的の民主党政権の誕生(2009年8月30日)、日本の(否、世界の?)憲政史上最悪の宰相・鳩山由起夫氏と同じく日本史上最低の首相・菅直人氏に鉄槌と退場勧告の洗礼を浴びせた参院選(2010年7月11日)による「ねじれ国会」の再現。そして、東日本大震災(2011年3月11日)

而して、政権の一日でも長い延命だけが目的の菅内閣の、よって、東日本大震災の復興とその他山積する内政外交案件を放置したままの頓死(2011年8月30日)。と、政権交代だけが目的の政権交代からちょうど2年。政治史的には、ここに民主党政権の<役目>は終わったと言えるの、鴨。蓋し、

「政治や国にそう多くは期待すべきではないが、さりとて、「誰が首相になっても、どの政党が政権を取っても同じ」ということでは絶対にない」「進出著しい支那、並びに、恥知らずというより常識知らずの韓国を近隣に持つ不運を抱えながら、而して、昂進著しい現下のグローバル化の波濤から日本国民を守護してくれるものは独り日本の国家しかなく、取りあえず同盟国のアメリカと自民党に期待するしかないにしても、日本において本当に頼りになるのは皇室と自衛隊だけだよね」   


ということ。長い目で見ればこの<貴重な教訓>を日本国民に残したことが、この6年間、就中、そのガバナンス能力の欠如を日本と世界に見せつけた2年間のシャビ-な民主党政権の<役目>若しくは<意味>だったと言えるのでしょうか。もし、次の総選挙における自民党の政権奪還まで日本が日本として存在していればの話ですけれども。

但し、(「放射線被曝を避けるためには死んでもいい」じゃなかった「次の総選挙まで一日でも長く議員バッジを付けていられるためには日本が崩壊してもいい」と考えているだろう)大部分の民主党議員が、2013年9月の衆議院の任期満了を、少なくとも、1年以上残した時点での解散を了承するかどうかはかなり疑問。だから、日本の将来は、これからの最長2年間に亘る「国民と民主党政権の我慢比べ」の帰趨にかかっているの、鴨。

しかし、いずれにせよ、個人的にも波瀾万丈と言えば大げさだけれど紆余曲折を経験した6年間、この6年間のこの社会の来し方行く末を回想して思ったことがあります。それは、

それは、文字通り、「国破れて山河あり」の境地。
日本は素晴らしいなぁー、という偽らざる感慨。


アメリカ在住のある福島美人のブログ友の記事(↓)を契機に、本当に久しぶりにこの過去記事を読み返してみてそう思いました。「日本人の皮をかぶったアメリカ人」より正確に言えば「九州人の皮をかぶったドイツ系アメリカ人」の私でも、否、「日本は可及的速やかにアメリカの51番目の州に<格上げ>してもらえるように努力すべきだ。目指せ第二のルイジアナ州!」が持論の私であるがゆえに一層、そう感じたということでしょうか。何事もその値打ちは外から見ないとよく分からないものでしょうからね。

ということで、以下6年前の記事の転記。ちなみに、上の前口上で述べた事柄、「自民党に期待すべきこと期待すべきではないこと」、加之、「政治に期待すべきこと期待すべきではないこと」を巡る私の主張に関しては下記拙稿(↓)を併せてご一読いただけるようなら大変嬉しいです。

・ナショナリズムの祝祭としてのオリンピック
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/996393535306da1e98ca58ca37c31e17

・ブログ友kadyshamusa姉さんの記事:ホテルでら~めん♪
 http://blogs.yahoo.co.jp/kadyshamusa/35912383.html

・政権奪還の順路☆自民党に期待すること/期待すべきではないこと
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/20d2288d431fa8a920aafe0b3e2a88ad


б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ろう、東北!
б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ろう、福島!
б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ろう、日本!
б(≧◇≦)ノ ・・・破廉恥どころか違法な風評被害をまき散らす脱原発カルトは恥を知れ!
         まあ、死んでも無理だろうけど(笑)←笑い事ちゃうちゅーねん!

        (ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。

б(≧◇≦)ノ ・・・而して、保守改革派の皆さん、共に闘わん!







カップヌードル

2005/3/5(土) 午後 1:13-【書庫:日々雑感】

今日、久し振りにカップヌードルを食べた。寛子ちゃんは出張で週末は京都に行っているし、二日酔いだし、朝食は抜きで、昼食にカップヌードルを食べた。美味しかった。

今、猛烈に忙しい。仕事がである。そんな時に限って、大学や大学院時代の後輩や前の会社の同僚、はたまた、日頃交流のあるネット世界の同志達から「新宿で飲もう」「京都から今度の日曜日K先生が上京されるのだが集まらないか」等々のお誘いやら強迫が舞い込む。

嬉しい限りだ。頭と身体と胃袋と肝臓は生きている内に使わなきゃね。今日も、来週の社内プレゼン用の資料を作成し、知人から頼まれた翻訳のための下読みをした。翻訳していると落ち着く。そう編物と一緒だ。精神を集中しながらぼーっとできる、とでも言おうかね。翻訳は好きだね。それにしてもカップヌードルは美味しい。何時食べてもそう思う。


私は、大学生の頃、フェミニズムを語る人々が自然食やベジタリアンの運動にかなり強い相関関係をもって引き付けられることに奇異な感じを受けていた。また、そのような人々の多くが遅れて来た/裏切られたマルキストであるらしいことにはなお更疑問を感じていた。マルクス主義はそのオドロオドロしくも厳しい用語や論理展開のスタイルを剥ぎ取った時、それはどう見ても、近代合理主義の鬼子であり(否、嫡出子でさえあると思う)、その合理主義的な世界観とフロイト流のフェミニズムおよびエコロジー思想が、矛盾はしないまでも親和性がそう高いとは思えなかったからである。

あの頃のKABUは若かった。今よりも遥かに未熟だった。

なーに、簡単なことだ。基本的にはマルクス主義の世界観を維持した上で足りない部分(マルクス主義で説明のつかない現象に、)フロイトやエコロジーを膏薬のように貼っているだけのことなのだ。こっちが、真面目に体系的整合性とか考えてあげるのは「深読み」というもの、寧ろ、「余計なお世話」というものだ。最近、歳とって世間擦したせいかそう考えるようになった。要は、論理的にではなく知識社会学的に、左翼思想を持つ人々とフェミニズムおよびエコロジーの思想に好感を持つ人々が、日本の1970年代から90年代にかけて、重なっていただけのことである。【今般の福島第一原子力発電所の事故で、この「野合」は2011年現在での続いていることが確認できたの、鴨】

そんなこと考えながらカップヌードルを食べた。それにしても、カップ麺といえばカップヌードルである。そして、ラーメンと言えばカップヌードルでしょう。これには思い出がある。2つエピソードを紹介しよう。


大学時代の彼女んちが、それはもうエリート左翼の家庭で、お母様が<自然食>と<男女同権>にうるさい方だった。その家庭では、合成着色料とか添加物とかはサリンよりもトリカブトよりも<悪>とされていたくらいの、それはそれは<御健全>かつ<ハイソ>なお家。

そんな家庭で、大学時代の私の彼女が中学生の反抗期に何をしたか? 

彼女はお小遣いでカップヌードルを買ってきて、お母様と妹さんの見ている前で食べたとか。彼女の妹さんはその事件(その家庭では「カップヌードルの乱」と呼ばれているらしい。)から7年後に、「人生で最大のショックを受けた光景だった」と私に対して仰った。げに、左翼上流階級のやることはわからんです(笑)。


ちなみに、KABUの故郷、福岡県大牟田市のラーメンは、いまでいう、「長崎ちゃんぽん」だった(リンガーハットのそれと考えて頂いて大きな間違いはない)。私は、大学進学のために京都に出たのだが、「都会では「ラーメン」が<支那そば>で、<ラーメン>を「ちゃんぽん」というのか」と最初思ったくらいだ。

いままでの人生で一番美味しいと思ったラーメンはカップヌードルである。中学3年生の時に(確か、「卒業旅行」で行った京都府は天橋立のドライブインもどきの雑貨屋さんで)、うまれて初めて食べた日清カップヌードル。

長期出張で廻っていたアメリカの中西部の奥地(どこや!)で毎日毎日、オートミルとハンバーガーとサニーサイドエッグまたはスクランブル・・・、で暮らしていて、ふと立寄ったオリエンタルフーズの店で入手したこれまた日清カップヌードル。

当時【今でも?】、東洋人自体珍しかったウィスコンシンのハズレの街に立寄ったその時は、モーテルに入るなりすぐ食べた。美味かった。本当に美味しかった。あの瞬間から、私は真正の民族主義者になったのだと思う。そう胃袋で痛感した。

カップヌードルはエコロジー思想に対する激しいアンチであり、エコロジー思想という羊の皮を被ったマルクス主義の狼に対する強烈な批判を内在している。蓋し、それらが解体し空洞化せんとするナショナリズムへの攻撃に対してカップヌードルは堅固な防波堤でありそれらの害毒に対する強力な解毒作用を持っているのではないか。とかなんとか考えて今日の昼食も終わった。 






◆元記事KABUコメント抜粋

海外、特に、アメリカで販売しているカップヌードルはグルタミン酸ナトリューム(←味の素)が抜いてあり、なんか気の抜けたビールのような味ですよね。けれど、2週間以上日本を離れていると、それさえも日本を感じてしまう。産卵のために遡上する鮭はその匂いや味を頼りに自分が産まれた川を見つけると言いますが、鮭さんの気持ちがよくわかるというものです。

2008/9/20(土) 午後 1:28   


日本のコンビニで売っている最近の「高級カップ麺」(笑)、大体、350円前後ですが、正直、下手なラーメン屋さんのラーメンより美味いです。聞くところによると、ブランドを維持するためにそれこそ水面下では凄まじい資金と担当者の方々の情熱が注がれているとのこと。だからこそのブランド。それこそブランドというものでしょうね。

変わらないために変わる。『鏡の国のアリス』の中で、確か赤の女王様がアリスに「止まっているためには最低でも二倍のスピードで走らなければならない」(←何の2倍なの?)と諭していましたが、ブランドの維持というのはその愚直な実行ではなかろうか。そう私は考えています。

2008/9/20(土) 午後 1:33   
 




◆【おまけ:関連記事】

・英文読解 one パラ道場:健康的で塩分少なめの製品開発を狙う日清食品
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/74f4427e01d068755ffa3723b62a7bef



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