なでしこジャパンがみごとに戦い、そして、散った。
サッカー女子ワールドカップ支那大会。日本代表・なでしこジャパンは、昨日2007年9月17日の予選リーグ第3戦、前回の覇者ドイツ代表に破れ予選リーグでの敗退が決まりました。しかし、みごとな試合。見る者を感動させずにはおかない素晴らしい一戦でした。執政1年足らず、先週の水曜日(2007年9月12日)に電光石火の「退陣表明」を表明した安倍晋三首相のこの1年間を彷彿とさせる、外連味のない全力プレーを尽くした上での潔い敗戦。
欧州には「サッカーは子供を大人にし、大人を紳士にするスポーツ」という箴言があるらしいですが、昨夜のなでしこイレブンは、正に、<戦う淑女軍団>だったと思います。以下この試合を報じた朝日新聞の記事。
●なでしこジャパン、敗れるも「魂が入った試合」
ドイツ相手に、日本は今大会最高のサッカーを見せた。1次リーグ突破はならなかったが、沢が「魂が入った試合をしていたと思う」と振り返る通りの戦いぶりだった。
接触を避け、パスワークで相手を崩す。目指した形を第1、2戦では十分に出せなかったが、ドイツ戦はピッチ状態も良く、攻撃的なパスが小気味よくつながる。ボールとともに、先発の平均身長が9センチ低い青いユニホームが小回りをきかせて動き続けた。肝心のシュートまで持って行けないのは地力の差。前半21分にCKからプリンツにW杯最多となる通算13点目のゴールを許し、後半42分にはPKで失点。女王の肝を冷やすまでには至らなかった。沢は「白黒はっきりした結果。悔しいけど納得している」とさばさばしていた。
「五輪に向け、建物を建て直す必要がある。足りないものをプラスアルファするのか、作り直すのか、じっくり考えないと」と大橋監督。出場を決めている北京五輪で結果を出す糧となれば、この日の善戦も意味あるものになる。(17日、サッカー女子W杯 日本 0―2 ドイツ)2007年09月18日09時15分(朝日新聞:2007年9月18日9時15分配信、以下、引用終了)
実は、ヨーロッパにも日本サッカーの固定ファンがいます。
なに? どこの国にも判官贔屓はいる、ですって。
いえ、ドイツや英国のブログや Web 掲示板に寄せられる投稿を読む限り、また、サッカー専門紙の記事を読む限り、ヨーロッパにサッカー日本代表の固定ファンが存在するのはそんな感傷的な理由からではないと思います。確かに、支那で行われている今回の女子ワールドカップ参加全16チームの中で日本は平均身長も体重も最低。けれども、欧州では「男女とも日本選手は身体能力が他国の選手に比べてかなり見劣りしているのに、そのハンディキャップをものともせず頑張ったのは健気」という程度の感傷がサッカー入り込む余地はそう大きくはないということ。
第8 回ワールドカップ、イングランドを優勝に導いたボビー・チャルトンだったか、彼は「昔はサッカーは人生と同じくらい重要だと思っていたが、今は、サッカーは人生よりも重要だということがわかった」という名言を残しています。そう、欧州のサッカーファンは、生まれつき身体能力に天と地ほどの差があろうとも、努力を重ね、工夫を積み重ね、畢竟、心技体を錬磨した者がチームの有機的な一員となり、而して、そのチームが勝利をつかみ取る全プロセスに意味を認め感動するのです。
アルゼンチンの英雄マラドーナーは公式プロフィールよりも本当の身長は更に低く160センチ前後と言われています。しかし、欧州のサッカーファンは「マラドーナーは体躯に恵まれていないにもかかわらず努力した」から贔屓にするなどということは多分ない。彼等がマラドーナーを(引退後の不品行は別にして)尊敬し贔屓するのは彼がクリエーティブなスタイルを堅持しつつ最高のパフォーマンスを残したからに他ならない。畢竟、ハンディーキャップの有無多少は欧州のファンにとってそう大した意味は持たず、彼等に意味があるのは日本チームの発揮したフォーマンス自体なのです。
蓋し、欧州にサッカー日本代表の固定ファンが存在するのは、1993年のJリーグ開幕以降、サッカー日本代表がハンディーキャップを乗り越えてそこそこの活躍をしているからではなく、(ハンディーキャップを乗り越える努力と工夫を積み重ねるプロセスを経て)ハンディーキャップとは無関係にクリエーティブでオリジナルな高いパフォーマンスを発揮するようになったからだ。私はそう考えています。而して、現在、サッカー女子日本代表(=なでしこジャパン)は「創造性」と「独自性」、および、「世界における相対的位置」の全ての面で(もちろん相対的にですが)男子のフル代表を凌駕している。実際、なでしこジャパンはFIFA世界ランキング10位前後であるのに対して、男子のフル代表は(ご祝儀の20位台の時期を除けば)大体30位前後なのです。
なでしこジャパンが昨夜のドイツ戦で発揮した「創造性」と「独自性」。すなわち、パスの多用と素早い攻撃、全員参加の献身的な守備と巧みなセットプレーは見る者を感動させてきた。身体能力に優る相手との1対1の場面を可能な限り避け、また、脚力にも劣るゆえに大胆なサイッドチェンジも滅多に採用できないなでしこジャパンは、ボールを受けてから比較的に早いタイミングでの短中距離のパスを多用して、素早く果敢に攻める。他方、ターンノーバーの際には全員で組織的にゴールマウスを死守する。
南米や欧州のチームに比べて日本が「素早く攻め」ざるを得ないのは、南米や欧州のチームと違い、日本がマイボールをキープするための身体能力と個人のテクニックに劣るからですが、大和撫子のハンディーキャップが、なでしこジャパンの「創造性」と「独自性」、而して、なでしこジャパンの試合を見た者の心に湧き上がる感動の原泉なのだと私は思います。昨夜のドイツ戦はその集大成ともいうべきブリリアントな一戦でした。
しかし、負けは負け。敗北は敗北。更に、昨夜のドイツ戦は、なでしこジャパンのエクセレンスを証明したと同時にその限界をも残酷なまでに世界に曝した。パスの精度といい、味方が抜かれた場合のカバの役割分担の不徹底といい、昨夜のドイツ選手のコンディションは最悪に近かったのかもしれない。しかし、そのドイツに日本は魂が入ったプレーで臨み完敗した。
こう考えれば、なでしこジャパンの限界を誰も否定しようがないのではないでしょうか。而して、この壁を打ち破る道は(身体能力に優る選手の獲得と育成という長期的な施策と並行しながらも)創造性」と「独自性」をどこまでもどこまでも限りなく(♪)追求していくことしかないでしょう。畢竟、ハンディーキャップをチームの豊かな個性に昇華させるのみ、です。そして、それが実現できたならば、秋の支那に散った<なでしこ>が極めて近い将来<次世代なでしこ>として華開くことは充分に期待してよい。昨夜のドイツ戦」をTV観戦して私はそう確信しました。そこには、安倍首相の非常識なまでに潔い退陣表明と通底するものさえあると感じたからです。
蓋し、安倍政権は、その執政1年足らずの間に、教育基本法の改正・「防衛庁→防衛省」の昇格・憲法改正の国民投票法の制定、そして、公務員制度改革と大洋国家日本に移行するためのアジア大洋州諸国との連携強化という業績をあげながら、安倍政権の責任や落度とは到底いえない「年金問題」や「政治と金」の問題なるものへの拙劣な対応が原因となり<頓死>に至った。而して、退陣の決断と表明は、非常識なほどの安倍首相の強い責任感と非常識なほど潔い安倍首相の精神の結合であったと思います。
9・17のドイツ戦に敗れたなでしこジャパンと9・12に突然の退陣表明を行った安倍首相の類似点はなにか。それは、ハンディーキャップを乗り越えて花咲かせた「創造性」と「独自性」であり、他方、入神のパフォーマンスを発揮しながらもハンディーキャップをついには乗り越えられず敗北した点だろ思います。
「政権の責任とは到底言えない閣僚の不祥事」の発覚、あるいは、そのような内閣の業績とは無縁なイシューをさも大問題であるかのように喧伝するマスコミの存在は(よって、世論誤導の積み重ねの結果でもある参院選敗北をして、安倍首相の掲げる「戦後レジュームからの脱却」が国民から否定されたとする曲解を喧伝するマスコミの存在は)、取りあえず自分では何ともしようがない「身体能力の落差」であり「個人のテクニック水準の差異」と喩えることも可能でしょう。而して、安倍政権は、今までの歴代政権が避けてきた、戦後レジューム(の核心たる憲法と教育基本法、および、公務員制度)の改革から手をつけました。これこそ「創造性」と「独自性」の発揮以外の何ものでもない。
しかし、負けは負け。敗北は敗北。7月の参院選の「歴史的敗北」は「歴史的敗北」であり、「敵前逃亡的退陣」は「敵前逃亡的退陣」なのです。畢竟、これらを含む安倍政権の1年間の軌跡は、安倍政権のエクセレンスを証明している同時にその限界をも残酷なまでに、文字通り、世界に発信したのだと思います。
蓋し、(甲)「更なる構造改革」と「地方再生」の同時実現。他方、(乙)(自治労等からの内部情報リークと連動したのかもしれない)朝日新聞等の反日マスコミの世論誘導に対抗しうる「危機管理機能」の確立、更には、(丙)「国民への平明・明晰かつ率直な説明を随時かつ適宜行う体制の確立」の同時実現。これは、たとえ今度の自民党総裁選で小泉-安倍の両政権を継ぐ麻生政権が実現しないとしても、遅くともここ2年以内には発足することはまず間違いない、次の保守改革派の政権がそれまでに克服すべき「現在の保守改革派政権に組込まれた限界」なのではないでしょうか。而して、安倍政権の光と蔭をこう回顧・反省するに、安倍政権となでしこジャパンの類似性がくっきりと私には感じられるのです。
敗北は敗北。次行きましょう。而して、なでしこジャパンとの類推で言えば、保守改革派がその際採るべき指針は「創造性」による「独自性」の練磨しかない。保守改革派がこれからも進むべき道は「戦後レジュームからの脱却」という「創造性」と、その脱却においては、憲法改正論議を避けず戦後民主主義の荒唐無稽さについて口を閉ざすことがないという「独自性」をどこまでもどこまでも限りなく(♪)追求していくことしかないのではないかということです。
次世代なでしこと次世代の保守改革派政権はともに数年後芳醇な香り漂うパフォーマンスを華開かせるに違いない。一昨日から開始された自民党総裁選挙運動における麻生太郎幹事長の明るく論理的で人情味のある政策論、そして、昨夜のなでしこジャパンの「魂が入った」対ドイツ戦を見ていてそう私は確信しました。
臥薪嘗胆も一興、頑張れ日本!