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ALTは必要でしょうか?

2005年07月18日 13時05分31秒 | 英語教育の話題


まる4年前。もう随分前になりますが、2001年7月に文部科学省は「英語が使える日本人の育成のための戦略構想」という英語教育の指針を発表しました。この「戦略構想」の中で文部科学省は、?中学卒業時に英検三級程度、高校卒業時には英検二級または準二級程度の英語力を子供達に身につけさせるという具体的な成果目標を、日本の英語教育行政の歴史上初めて明示しました。また、その成果目標の達成をにらんだ施策として、英語を学ぶ子供達の動機づけのために、①高校・大学では在学中の留学の機会を増やす、②2006年度を目標に大学入試センター試験への英語のリスニングテスト導入を謳い。かつ、中学・高校における英語の指導体制の充実をはかるべく、③週2回以上は外国人が英語を教えること(そのために必要な外国語指導助手(ALT)総計11,500人の確保を目差すほか、外国人教員の正規採用を促進すること)を提唱しました。

旧聞に属する「戦略構想」ではありますが、私は小学・中学・高校の英語教育のあり方を考えるとき、いつもこの提唱を思い出します。それは、この提言が英語教育行政の指針として影響力を保持し続けていること;4年が経過た今も、この国の初等中等の英語教育はこの提唱の<御釈迦さんの掌>から一歩も出ていないように思われる。これが一つ。そして、特にALTの本格導入というポイントに私は当時も今も違和感を覚えているからです。

「何のための英語教育なのか」、「子供達にとって、また、国家や社会にとってALTの週2回程度の授業にどんな意味があるというのか」。数値目標を設定したことは評価されるべきだと思うものの、これら英語教育の目的について「戦略構想」はあんまり真面目に考えていないのではないか。そういう感想を私は払拭できない。以下、「ALTは必要か」というテーマを検討しながら行政が達成すべき英語教育の目的について考えてみたいと思います。


最初この「戦略構想」を目にしたとき私はいささか複雑な気持ちになりました。それは次のような葛藤を覚えたからです。(イ)全国の津々浦々の学校現場で(それこそ今まで英語を母語とする生身の外国人なんか、大東亜戦争後に村にジープでやって来た進駐軍の兵隊さんくらいしか誰も見たことがないような地域でも)、週に2回程度とはいえ英語のネーティブスピーカーの外国人の先生から子供達が直接英語を教わることは、「純粋に素晴らしいことだよ」というポジティブな気持ち。他方、(ロ)ALT導入は「コストパフォーマンスに問題があるよな」という認識;1名のALTを1年間雇う費用と現場が担うしかない彼/彼女のケアの大変さを考えると(格安のALTブローカーの仲介を頼んだとしても、そのコストと現場の気苦労は、日本人の英語教師をフルタイムで雇うのに比べても安いことはないでしょう)、11,500名のALTを雇う費用があれば英語教育に限定しても他にもっとやれることがあるんじゃないか、という気持ち。これらのALTについての相反する評価を同時に抱いてしまったのです。

4年前も現在も、多くの<ALTの先生方>は、幾つかの学校を掛け持ちしながら多数多様なクラスを順次巡回されている。彼等のアカデミックやプロフェッショナルなバックグランドは(必ずしも)教育関係とは限らないし、実際、「時々教室に来て(日本人の英語の)先生の話を生徒と一緒に聞いている外国人のお兄さん/お姉さん」の域を出ないALTも少なくない。このALTのマクロ的に見た実情を知っている身としては、後者の「11,500名のALTを雇う費用があれば他にやれることがもっとあるんじゃないか」というネガティブな感想の方が漸次強くなってきています。

週に2回以上、よしんば、週5回のレッスンを英語のネーティブスピーカーから受けたとして、30人から40人の一斉授業を通して子供達の英語力が(会話力・読解力・聞き取り能力・英文作成能力のすべてが)、日本人の先生から授業を受けるよりも格段に伸びるということはまずありえない。この点については納得できないという方も少なくないでしょうが、ALTの授業を受け始める段階ですでに単語や文法の知識が豊富で、かつ、ALTのレッスンが始まってからも授業とは別に(自宅でも最低毎日)リスニングのトレーニングを30分以上は持続できるというような、能力的や向学心も高く家庭環境にも恵れたごく一部の生徒を除けば、私はそう断言できます。「基礎なくして応用なし」です。

そして、能力と向学心が備わっている生徒などどんなに多く見積もっても全体の2割どころか1割にも満たない。つまり、11,500名のALT導入というのは、公的な予算を使って全体の2割から1割の子供達にだけ有効かもしれない英語教育サーヴィスの提供にすぎないのではないのか、私は当時も今もこの疑念を捨てることはできません。私に言わせれば、ALT配備の制度目的は、英語のネーティブスピーカーと話す経験を積むことを通して子供達が英語を話せるようになることではありえない。もし、子供達の英会話能力の向上をALTの制度目的と言うのなら、厳しく言えば、そう言われる論者は英会話レッスンの効果についての素人か(どんな名目であれ予算が取れればいいと考える)詐欺師か、その両方かのいずれかだと思います。

では、ALT配備の制度目的は何なのか? ALTはまったくの役立たずなのか。そんなことはない。実際、ALTの授業は子供達にそう評判が悪いわけではない。あたりまえです。異文化体験、しかも、異文化と生に接触する経験は誰にとってもファンタスティックであり、ALTとの生身の交流を通して英語圏の人々の生活や歴史や文化に関心を持つ機会を子供達に与えることは素晴らしいことに違いありません。ならば、ALTに関心を持つ ⇒ 英語に関心を持つ ⇒ 英語学習に気合いが入る/英語学習を継続しようと思う ⇒ 英語学習を頑張り続ける ⇒ 英語力が向上する ⇒ もっと頑張ろう思う ⇒ 英語力がさらに向上する、という良い意味の「風が吹けば桶屋が儲かる」式の<動機と努力と成果>の連鎖も期待できないではないでしょう。

まじ、<動機と努力と成果>の連鎖は馬鹿にならない。例えば、現在1学齢120万人の子供達がいるとして、(大学・短大・専門学校への進学の有無に関わらず)高校卒業の段階で英語学習をギブアップする生徒が同一学齢の(大あまに少なく見積もって)25%いるとします。すると、この中の1割でもALT制度のお蔭で英語への興味を持続できたとすれば、英語ができる/必要とあれば英語を身につける努力を厭わないタイプの労働力として、毎年毎年、現状よりも3万人多くの若者が社会に出て行くことになるのですから(∵120万人×25%×10%=3万人)。もちろん、この試算は「ALTの効果」と「日本の子供達の英語力の現状」に対してかなり甘い想定に基づいている。我ながらそう思います。けれども、ALT配備の制度目的として子供達のモティベーション維持向上を考えることは満更間違いではないと思います。

しかし、と私の中の天邪鬼魂がささやく(笑)。子供達に英語への興味を持ってもらい英語学習を頑張り続けてもらうことは果たして11,500名ものALTを配備するコストは見合うものだろうか、と。つまり、ALTのコストパフォーマンスは妥当なものか、と。しかも、子供達のモティベーションアップのためにALTはそもそも効率的な方法なのでしょうか。もっと、有効かつ廉価な方法があるのではないでしょうか。11,500名のALTを配備するコストはその人件費と採用・研修費用および研修と着任のための交通・宿泊費だけでも恐らく800億円は下らない。果たして、子供達に英語への興味を持ってもらい英語学習を頑張り続けてもらうことに800億円も使う余裕が我が国にあるのでしょうか。そういう問題です。

例えば、教科書採択区単位での年2回(各2週間)の英語コミュニケーション能力強化・異文化理解促進合宿、そして、その合宿準備も兼ねた月1回の英語のネーティブALT(というか、Assistant Language Performer = ALPという規定の方が現状に合うと思いますが)の巡回レッスンとかの方がはるかに廉価で効果にも当たり外れがないのではないでしょうか(効果が高いとまでは言いませんが)。まして、英語の能力開発以外にも教育の課題は幾らでもある;例えば、現在の子供達の国語力低下をなんとか挽回する、あるいは、国を思い国を愛する心を育てそれを子供達が日々の行動で表せるようにすることなど文教行政がタックルすべき課題は山積でしょう。ならば、財政再建の途上の現下の文教行政を取り巻く状況下で、11,500名ものALTを配備することは果たして合理的なのか。私は一英語教育屋として疑問を感じています。

冒頭で紹介した「文部科学省戦略構想策定」は数値目標と納期、およびそれらを達成するための施策を明記したものであり優れた政策の提唱だと思います。しかし、再度言いますが、肝心なことは「何のための英語教育なのか」、「子供達にとって、また、国家や社会にとってALTの週2回程度の授業にどんな意味があるのか」であり、「戦略構想」ではこの点はそう真面目に考えられているとは思えない。皆さんはいかがお考えでしょうか。ご意見を伺いたいと思っています。



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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この国では (f597132)
2005-07-20 20:39:25
教育とか医療とかに対して費用対効果というのをあまりにも考えなさ過ぎですよね。

そりゃ、確かにネイティブの人とお話できたら楽しい刺激になるでしょうけど…。

(自分はどうだったかなぁ?)
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政治とは予算配分なり! 喝! (KABU)
2005-07-21 11:36:46
>f597132さん



「教育とか医療とかに対して費用対効果というのを考えなさ過ぎ」と私も思います。そのような、本質的に正義にかなった(?)分野では丼勘定も許されるというような感覚がこの社会を覆っているように思います。それに対して理屈ぬきに、防衛費は高いだの、クラスター爆弾は人道的でないからその購入配備は税金の無駄遣いだとか(でもって、武器輸出を解禁して正面装備のコストを削減しようというと、それは国是に反することで(閣議決定事項にすぎない武器輸出禁止が何で国是なの?)そこまでして防衛費を下げなくともよいとかとか)、もうわけがわからない議論が横行していると思います。



限られた予算を何にいくら使うかこそ政治の核心でしょう。その決定自体は、ある種、論理化できない価値判断の対象としても、政治家や国民が予算配分の価値判断をする上で、コストパフォーマンスの情報はこの国では重要なんじゃないんですかね。施策の本性上(例えば諸サーヴィスの受益者と負担者の満足度-納得感の比較等々)、コストパフォーマンスが<数値化できないという情報>を含めコストパフォーマンスの情報は政治判断の共通の前提になるべきだと私は思っています。



しかし「確かにネイティブの人とお話できたら楽しい刺激になる」ことは間違いないです。特に、東京とか神奈川とか大阪や愛知という都会の方には最早ピントこないかもしれませんが、九州・中国・四国・北陸・東北・北海道の子供達にとっては得がたい体験だと思います。そして、東京・神奈川・大阪・愛知を除く地域に日本の全人口の70%が住んでいるのだから、私はALT(英語講師補助者)は全く意味がないとまでは言えないと思っています。
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Unknown (star)
2007-04-15 13:50:06
これ、KABUさんの記事ですか。寛子さんですよね。文体がちがうもの。同感です。「費用対効果」の側面からALTに費やす多額の金は税金の無駄遣いです。そんなことより生徒全員に教科書の音声CDを配布したほうが効果的です。ABCのアルファベットの読み方を授業中に覚えられない子をフォローする方法がないのです。
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まあ共作ですよ (KABU)
2007-04-15 14:51:48
star姉さん>

「そんなことより生徒全員に教科書の音声CDを配布したほうが効果的」はその通りだと思います。私は英語に関してはともかく、全教科を考えた場合、現在のALTは税金の無駄遣いだと断言します。
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ALTいらないです (ストレスフルフル)
2009-06-12 21:17:59
小学校でALTと一緒に仕事をしています。彼らは夏休みの間、自宅学習と称して学校に3週間ほど出てきません。出てきたところで何もすることがないのですが。それでも30万。4時15分までの勤務ですが4時頃には帰っていきます。誰も何も言いませんが。ALTも仕事が遣り甲斐がないといって愚痴っています。KABUさんの言うとおりALTがまったく意味がないとは言いませんがお給料が30万は絶対高すぎです。うちの学校に来るALTは大学出たての22歳で英語教えるのもへたです。


 
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ALT賛成 (ドミー)
2011-07-16 15:10:21
現場にALTが入り、はじめはひどいものでしたが、最近は勉強熱心な立派な方が多いです。中には給料高すぎの人も・・。しかしこれは委員会等の選考や指導に問題があると思います。慣れない人もはじめの年に出会ったJTE(日本人英語教師)や指導で本当に自分ですばらしい授業ができる様になっていきます。CDより楽しいし答えてくれる分、子供にも忙しいと文句を言いながらコミュニケートする教師にもためになっています。一番効果のあった施策だと思っています。
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Unknown (ALT)
2012-02-10 02:13:25
私のALTとしての意見を書かせてもらいたいですが・・・

コストパーフォマンス的にはまったく賛成です。偏差値がすごく低い学校でALTの存在意義は薄すぎる。本当に英語に関心ある生徒のある学校(SELHIなど)ではALTは本当に生徒に役に立つと思うんだが、自分は低い偏差値の方に配置されている。日本語でさえまともに分からない生徒にネイティーブの発音を聞かせてもあまり意味がない。

ALTがなにもしないっていうことに関しては・・・俺に本当の仕事も与えないで(特に夏休みなどの間)毎日学校に来て学校にいろだと?飼い殺しされて、いつも職員室の中に軟禁されているような気持ちで苦痛でしかないが、一回事務室に「どうせ仕事がないから、この夏休みだけでもやすませて、で、この一ヶ月は給料いらないよ。政府はお金を節約できるし、私は飼い殺しされずに済むし」みたいなことを提案したら、ルール違反になるからってだめだと・・・こんな馬鹿なルールを決めたCLAIRという団体が悪い。ALTの給料をもっと低くして、本当の仕事がある時だけ来させればいいのに(INTERACみたいに)。

管理職にはただ「教材研究でもしろ」と言われるが、俺はもう十分しているつもり。教科書一切使わないで、授業は毎時間斬新なプリントを作っている(手前味噌になるが、一応生徒に楽しい、分かりやすいと言われている)。ALTとしては他の常勤の先生と違って、雑務:書類作成、生徒や保護者の対応、とかないから、教材研究は普通にいつもできている。夏休みまで教材研究する必要性は見られない。

国際理解という授業でもPowerpointを通して、ギリシャ神話を教えている。そういう時は大変で、時間がかなりかかるが、普通はJTEがやる仕事が、生徒は俺の授業が面白いと言ってくれるので、国際理解を全部担当するよとこっちから言い出した。ある意味、それで自分の仕事の量を増やしたけど、まあ、いつも勤務時間で暇だから、別にいいじゃないと思う一面もある。

少なくとも、私の経験では、ALTはある意味、暇であるかどう、コストパーフォマンス的に本人次第。私みたいに積極的に「はい、私がやりますよ」もあるが、友達のALTに聞くと「こっちからやるよ」とALTから言い出しても、「いや、いいよ」や「だめ」とか言われて、JTEが全部やりたがるケースもあるし、だからそういう場合、ALTは給料のことと関係なく「この仕事はやりがいがないなあ」と思ってしまう。

長文失礼しました。
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ALTいりません (M・S)
2013-09-01 14:29:56
中学校の非常勤職員でALTとは一緒に仕事します。彼らに不満があるわけではありませんが、果たして我が町には財政的に無駄なものに支払うお金があるか否か疑問です。完全に公務員病です。自分が中小企業の社長だったら、小さなお店の店長だったら、果たしてそこまでお金を払えますか?結局「我が自治体では国際教育にこれだけ予算をさいています。」というアピールだと思います。
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