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放射線被曝の危険性論は霊感商法?-生き物たちも、そしてリスクたちも、できれば公正に扱ってあげたい

2011年05月29日 22時37分53秒 | 雑記帳


ブログ友のfukufukimama女史の記事転載です。正に、我が意を得たりの記事。蓋し、「音羽屋~♪」もしくは「座布団3枚!」の内容、鴨。而して、動画と解題を同時に搭載する都合もあり、打ち直した上で転載させていただくことにしました。以下、引用開始。


【元記事】
・生き物たちも、そしてリスクたちも、 できれば公正に扱ってあげたい
 http://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/63453139.html 






東日本大震災における原発事故は、単に災害の問題ということのみならず、色々なことを考え始めさせてくれます。被災地から離れた安全な場所にいる人間のお気楽な生活、という自覚は失わないようにしつつも、せっかく始めたことは続けていきたいとも思っています。

あの最悪のチェルノブイリ事故(レベルが同じにされたとはいえ、福島第一原発の事故とは性質が違います)で、放射能により増えたことが今現在確認されている疾患は、我々が放射能からイメージする色々な病気、ではなくて、甲状腺がんというたったひとつだけの疾患だということ、

そして、そのために亡くなったかたの人数は約10名だということ、そして、そのかたがたの人数を含めて、チェルノブイリ事故でのこれまでの死亡者数は、約60名であること。

こうした事実からは、「低量から中量の放射線が人間の健康へどの程度影響するのか」が、①少なくとも事実として「大いに影響する」ということを、まだ人類が確認できたことはない、ということと、②つまり人間には「まだ分からない」のだということ。この二つのことだけは、体感的に理解できます。


そしてわたくし、色々考えるにつけ、不思議なのです。

現在、(わたくしから見ればややヒステリックなほどに)放射能の影響の怖さを説く素人玄人様々の人々の言い方が、ダブルスタンダード、いえ、トリプルスタンダードになってしまっている点です。

彼らは、大抵、まずは「ありとあらゆる権威ありそうな機関や専門家の名前を挙げ、様々な数字とか数値とかをあげて」危険性を主張します。

しかし、シンプルな事実、「結局、何が証明されているわけでもない。人類は、まだ、単に分からないだけではないのか」という反論を受けると、とたんに、数値やらなにやらを放り出し、「どのくらい危険なのかよく分からないなら、すごく危険かもしれないのだから、なるべく遠ざかるようにすべきでしょう」と、急に「謙虚な」感じのもの言いになる。

不思議です。くるくる使い分けられる、ダブルスタンダード。


・・・・わかるから怖いのか、わからないから怖いのか、結局どちらなのですか?・・・・





こういうことを思うとき、わたくしついつい、
地球温暖化と、捕鯨反対について、思い出します。

2年前にロンドンで、ある女性フリージャーナリストのかたから、欧米社会がつくりあげた「人間の出す二酸化炭素が地球を温暖化させる。だから二酸化炭素排出量は減らさなければならない。」という説が、いかに怪しいものか聞いた日から、国際機関というものが信じられなくなったわたくしですが、そのときも、同じ場にいた聴衆のひとりが、こう質問したのです。

「二酸化炭素が原因、というのが本当かどうか、分からないならば、もしかしたら本当であるという可能性だってあるのだから、二酸化炭素を減らしておくほうがいいじゃないですか。減らして困ることはないんでしょう?」と。

わたくし、こういう質問をする人って、なんという頭の悪いひとだろうと思ってしまいましたが(失礼!)、フリージャーナリストのかたは、次のように応えておられました。

「霊感商法で、この壺を買わないと不幸になりますよ、と言われたら、それが本当かどうか分からないけれど、もしかしたら本当かも知れないと思って買う。そういう人がかなりの数おられるため、霊感商法は成り立っているのではないでしょうか。」


霊感商法。

地球温暖化以上に、自分の体に直接の影響がありうると感じられる、放射能は、
霊感商法に非常に向いているネタだと思います。



そして、さらに、ダブルのみならぬ、トリプルスタンダード。

世には、放射能以外にも、人間の体に悪そうなもの、そしてなおかつ、実際はどの程度悪いのかまだまだ分からないものが、ごまんとあるはずです。そうしたものたちと比べて、放射能が破格のVIP扱いを受けている理由が、本当の意味でよくわからないのです。

なんだか不公平な感じがしてしまって。

捕鯨反対に反対するビデオで、牛さん豚さんたちが、「なんで鯨ばっかり可愛いって言われるの? おれたちだってなかなかのもんだよな」と言うセリフがありましたが、それをちょっと思い出すのでした。

(2011/5/29(日) 午前 9:39)

【以上、転記終了】







◆転記感想

今年の夏は猛暑になりそう。加えて、(実は、原子炉の停止だけでは原子力発電所の危険性がそれほど下がるわけでもないにもかかわらず、当時の)菅首相の人気取りの思いつきによって浜岡原発が停止させられた。よって、今年の夏は例年よりも「お化け屋敷」や「ホーラー映画」のお世話になる人が増えるかもしれません。

幽霊の正体見たり 枯れ尾花

蓋し、キングギドラよりも幽霊が怖い、鴨。要は、それがどんなに凶暴で狂暴で強暴でも、その正体が分かっていれば対応策も取れる。極論すれば諦めもつく。けれど、相手が何物か分からなければ手の施しようもなく、殺されても成仏できない、鴨。

ことほど左様に、幽霊の怖さは未知のsomethingに対する恐怖でしょうか。他方、ゴジラやキングギドラに抱く怖さは物理的な恐怖なの、鴨。そして、人間が感じるほとんどの恐怖は(例えば、迷い込んだ熱帯雨林で300メートル位先の山陰に虎の姿を見かけた時の心の動揺を想像するに)、これら両者のコンビネーションなの、鴨。閑話休題。   




放射線被曝の何が怖いのか。正直な所、例えば、成人男子で、年間積算20ミリシーベルト(mSv)程度の放射線被曝を恐れなければならないのなら、実は、普通の空気も水も<幽霊的恐怖>の観点からは立派な恐怖の対象だと思います。10年くらい前に流行った(!)「環境ホルモン」は、正にこの理路上にある。要は、現在、低線量や中線量の放射線被曝の恐怖を真顔で訴えている<善男善女>と「環境ホルモン」の危険性を説いていた<伝道師>のロジックの間には、統計学的・科学方法論的に見て、今流行の比喩を用いれば「0.005μSv/h」程の差もないのではないかということです。

何を私は言いたいのか。畢竟、人類史が産業革命に突入して2世紀。大規模化学工業が成立してからでも1世紀。而して、この2世紀の間に新しい、そして、人間の生理と生命に及ぼす影響が未知な化学物質が大量に生産され、かつ、地球の生態系中に放出され続けていることは間違いないことでしょう。ならば、その危険性が疫学的どころか統計学的にも確定されていない低線量や中線量の放射線被曝の危険性なるものに打ち震えるくらいなら、「公平」の観点からは、普通の空気や水にもそれくらいの恐怖を日々感じてもバチは当たらないのではないかということです。

尚、放射線被曝の危険性なるものについて、現在、最も熱心に発信しておられるお一人、武田邦彦氏の主張もまたそれほど一貫したものでも、確たる根拠に基づいたものでもないという経緯については下記外部記事をご参照ください。   

・武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる
 http://news.livedoor.com/article/detail/5493439/?p=1



実際問題、有象無象のリスクの中でなんで放射能だけVIP待遇の取り扱いを受けているのか。蓋し、それは、逆に言えば、放射能がそこそこ安全であり、管理可能であり、かつ、管理の責任主体が国や大企業という、相対的に資金が潤沢で責任追求のし易い団体(損害賠償の取りっぱぐれがない組織!)だからではないでしょうか。要は、未知の危険性の中でもその危険の「幽霊度合」が低くより管理し易いがゆえに、逆に、放射能の問題は世間を一層騒がせる結果になっているの、鴨。

実際、武田邦彦氏の「放射線被曝の危険性論」の根拠は日本の国内法における放射線被曝許容基準に収斂している。私にはそう思われます。そして、ご案内の通り、日本の許容基準の大枠は国際放射線防護委員会(ICRP)が策定した基準のカーボンコピー。ところが、繰り返しになりますけれども、

(α)転記記事も言及しておられるように、その基準自体にさしたる科学的根拠はないこと
(β)放射能漏れの有無を確認するための放射線被曝許容値と、中長期に亘る放射性物質の放出が不可避なことが確定した段階での、地域住民の生活便益と健康被害惹起の確率的な危険性を比較考量して定められるべき許容値には違いがあって当然であること
(γ)日本の国内法体系において、①放射線被曝基準の実際の値は(白黒はっきり言えば)委任立法事項であり、②また、ICRPの勧告や基準自体が国内法的効力を持つことはないこと(念のための申し添えて置きますが、国際法の中にも、例えば、自動執行性のある条約等々、国際法の形式そのままである国の国内法的効力を帯びるものも少なくありません。けれども、ICRPの勧告や基準はそのタイプの国際法ではないのです。) 
  

これらを鑑みれば、政府が福島原発事故を早期に押さえ込むべく、合理的な範囲でその許容値を大幅に引き上げることはなんら問題ではない。蓋し、19世紀半ば、ドイツの概念法学の滑稽なまでの文字フェティシズムを批判したキルヒマンは「法律の条文が3条変われば図書館一杯の法律書が反故になる」と嘲笑しましたが、私に言わせれば、「日本政府の被曝許容値が年間積算ベースで10mSvも変われば、放射線被曝の危険性を巡る武田邦彦氏の言説の98.75%が反故になる」のではないかとさえ思います。

尚、放射線被曝に関する私の基本的な考え、および、「Fukushimaの衝撃もあってドイツを始め欧州諸国が一旦足踏みしている今こそ、その間隙を縫って日本は原子力発電をいよいよ果敢に推進すべきである」という私の基本的な主張に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
   





・放射能の恐怖から解脱して可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/8662b74f5b1f15da4739d0a9642916dd
 
・原発推進は日本の<天命>である--可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/?mode=m&no=911

・社会現象として現れるであろうすべての将来の原発問題への序説
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/95bf9c9a01aca3435196a8a613787ce2


・魔女裁判としての放射線被曝危険論
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/54614e99fb98e2b28bd96c1022c1e029








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