英語と書評 de 海馬之玄関

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自民党の支持率――リベラル派のジャーナリストさんは世間の風景が見れども見えず、鴨。

2019年12月13日 11時00分06秒 | 日々感じたこととか

 

>ジャーナリズムの使命は権力の監視である

でもね、NMB 48の贔屓の安田桃寧さんの桃寧じゃなかった、でもね、畢竟、「ジャーナリズムは権力を監視する役割がある」とかいわはるのなら、はい、蜃気楼徴用工さんとか、戦地公娼さんとか、所謂「ホワイト国」問題とか、とかとかとかとかに関する韓国政府のお粗末な対応に対して無言の行と業を貫く外務省。その外務省の<無作・無策>を放置している政治権力をこそマスメディアは監視して批判されればいかがでしょうか。桜とか盛りかけとかよりも?

・ウィーン条約と日韓関係を鑑みるに外務省はイラン、

 ジャマ(イカ)、盲腸ではなくもう「不必要悪」❗

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ceaac1bf1326448fb5abffca9c22658a


確かに、「話し合いで・・・」問題が起きないようにするのは良策でしょう。が、しかし、北朝鮮はもとより韓国国内での「邦人見殺し」の事態が論理的に確実である以上、「話し合いで・・・」とともに、この点の権力の不作為をつくのはジャーナリズムの使命ではないか。そう思いませんか、朝日新聞さん。NHK さん。と、そう私は考えます。

 

蓋し、確かに
 
 
>ジャーナリズムは権力の監視が使命だ
 
これは「監視も」と解すればまんざら間違いではないのでしょう。でもね、それはあくまでも、ジャーナリストさんたちのコミュニティー内部の格言であって、だから、ジャーナリストは「権力を批判することなら」何を書いても許されるとかを--よって、「政権側はマスメディアを批判してはならない」「政権はその主張を述べるメディアを選別してはならない」「政権、まして、行政側はマスメディアに情報を開示する義務がある」とかとかを--、政権を含む世間や非ジャーナリストコミュニティーに対して要求できるものではないでしょう。ワンセンテンス長くなりましたが、要は、日本は国民主権の国なのですから・・・。
 
ジャーナリズムが権力の監視を使命とするとしても、ジャーナリズムが必ずしも反権力(ある政権の進める政策に)反対しなければならないなどということはない。例えば、安倍政権の進める改憲に賛成しつつ、その進めの遅れを「監視する」というのも立派な「権力の監視役としてのジャーナリズム」の役割ではないか、と。そう、思います。いずれにせよ、国民の知る権利に奉仕して、民主主義を正常に機能させるとかいう「報道機関の権利や役割」は、どこまで行っても、国民の表現の自由と国民の参政権をサポートする「制度的な保障」の範疇にある、憲法的には二次的な権利であり役割なのですから。

・民主主義--「民主主義」の顕教的意味/密教的意味
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a11036903f28f118f30c24f1b1e9f2bf

・日本社会の「右傾化」を嘆き憤るリベラル派の怠慢と傲岸
 --マーケットが変化したのなら商品の方を変えなさい
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5dda58e6b05976d6658553df6d20742f

・150年前に「朝日新聞の壊滅」を洞察したバジョットの慧眼❗

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/57b5d22d9043c96421702d6f7fa9b98b

 

 
  
まあ、日本のマスメディアは典型的な(末期のダイエーや大蔵省、ロンドン五輪以降平成末までのなでしこジャパン、あるいは、現在の日本の憲法学界の多数派のみなさんのような?)既得権益に寄生する自己改革不能な存在なの、鴨。と、そう私は考えています。

実際、まさに、朝日新聞のコラム「政治断簡」で朝日の世論調査部長さまが、要約「安倍内閣の支持率が高いのがなんぼのもんじゃい」と泣き言書いていましたが、アメリカでもそうですがリベラル派メディアの影響力は確実に落ちてきている。さすがに、彼らもそれを皮膚感覚でわかってはきているのでしょうかね。ただ、
 
>わかっちゃいるけど(反日は)やめられねー♪
 
という、ある意味、末期の旧陸軍のような感じ、鴨。ほんと、朝日新聞といい(私は昔「岩波書店」とやりとりしたことがありますが)NHKといい、いやー、
 
>官僚より官僚的
 
ですよね。そこで働いている人は、お世辞ではなく--実は、5人程、KABUは朝日新聞社からの企業派遣留学に関して、アメリカの大学院留学研修の際に直接カウンセリングとか英語指導とか担当したことがありますけれど--、優秀な方も多いのに、その組織の一員として行動するとなると「ド官僚」さんにならはると思います。
 
で、昔は、朝日の記者さんなりは専門領域の学識も世間から見れば優秀だったのが--まあ、大学学部時代、KABUに刑法・刑事訴訟法を学年末試験のために教えにもらいにきてた同級生が某全国放送局の刑事報道のえらいさんにならはった程度ではありますが(笑)--、現在では、どの分野でも、少し詳しい素人さん程度でしかなくなった。これ、末期の旧大蔵省のキャリアさんと同じ、鴨です。

実際、あの「ノーパンシャブシャブ醜聞」の際に、これまた、私が留学カウンセリングを直接担当した旧大蔵省の若手キャリアの方に聞いたら、
 
>大蔵省は権力を簒奪している~!
 
とかの「プロ市民」のカラオケ持ち歌的な批判より、
 
>大蔵キャリア官僚ていったって、所詮、経済・経済学の素人でしょう?
 
という批判の方が堪えたとか。
だって、事実だものね(笑)

 
 
 
要は、あの「おしん」が子守りしながらあこがれながら覗き見ていたころの、日本の知識の分布において、小学校でさえ、そこで伝授・流通・交換される知識・情報レベルと世間一般レベルの差は、現在では、そんな当時のくっきりと隔絶していたであろうレベル差はネットによって、最早、あるいは、
 
財務省<東北の限界集落の後期高齢者の学習グループ
 
になっているかもしれないということです。
まー、ネット情報は、流石に「玉石混淆」ではありますけれどもね。
と、そう私は思います。
 
蓋し、リベラル派が「保守派の人々はネットで自分と同じ意見の主張だけを読み、どんどんその方向に突き進んでいっている」とかご託を述べられるとき、彼等は、暗黙裡にせよ、「普通の人々はリベラル派の主張に接すればそれに同意/共感するはずだ」とかいう能天気な思い込みを抱えているのではないかと思います。

・前川喜平「愛国心はならず者の最後の拠り所」・・・So what?
 
・崖っぷちなのは「リベラルメディア」の方ですよ・・・
 だって、市民から乖離してますもの

あのー、確かに、新聞を購読していない、TVもみない人々が増えているのは事実ですけどね。あのー、日本の新聞・TVのほとんどすべてがリベラルメディアなのだから、普通に普通の人々は「リベラル派の主張」に接しているのですよ。而して、ほとんどの有権者・国民はあなたたちの垂れ流す主張や情報に接してはいるけれど、現在、多くの普通の人々はその主張や情報に同意できず不信を抱いているからこそネット空間に集っているのではないですか。要は、リベラル派は自分たちの「商品が売れなくなった現実」を<消費者が馬鹿だ>と言っているにすぎない、それは、おたく何様ものの認識ではないか。と、そう私は思います。
 
ならば、言論の自由を市民がリベラルメディアから取り戻すのは必然である。
だって、ちなみに、政治研究者の三浦瑠麗さんの実証研究によれば、日本の有権者・国民の
7~8割は「保守派」なのですから、NHK、TBS、朝日新聞、毎日新聞・・・・が、リベラルな自己
願望と妄想を垂れ流すのを--もちろん、それは彼等の勝手だけれど--、ネットの時代、
われわれ<日本の市民>が忌避して、自分たちの主張をネットを通じて交流交換・切磋琢磨するのは
当然の権利ではないかと思うからです。
 
・英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話(英文全文)

いずれにせよ、令和2年年明けなのかどうか、
いずれにせよ、そろそろある次の総選挙。
 
>立憲民主党を殲滅しましょう~!
>許さん、「民主党」~!





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