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民主党監視塔☆既得権としての戦後民主主義的な教育論の滑稽と害毒

2009年08月31日 10時46分46秒 | 教育の話題

 



◆「民主党監視塔」
2009年8月30日の総選挙の結果はご存知の通り、民主党の歴史的勝利というか自民党の歴史的敗北。しかも、「勝者(民主党候補)得票の20%以上の差での敗戦」が過半。これは「一騎打ち型選挙」においては完敗です。畢竟、<8・30>は政治の内容というより政治の仕組みに対する批判がもろに自民党を直撃した結果でしょう。

ならば、間違っても、<8・30>の結果は「愚かな有権者のせいだ」とか「反日メディアの偏向報道のせいだ」とか他者に責任転嫁することなく、また、「8月15日に麻生総理が靖国神社に参拝していれば状況は変わったはずだ」とか実証データと無縁な我田引水をするのでもなく、自民党が内包していた「もう、自民の政治が続くのだけは勘弁」と有権者の過半が感じていた事実を直視しなければならないと思います。

ただ、逆に、保守改革派にとってはこの事態は戦後民主主義と戦後民主主義的な制度・慣行・意識の抜本的改革の千載一遇の好機でもある。蓋し、2009年8月31日からこそ、我々保守改革派が民主党の政策批判を行なう旬の季節到来ではないでしょうか。楽しみです。而して、この状況下で我々保守改革派がやることは一つ。すなわち、民主党の政策批判あるのみ。これが民主党の反動政策を批判する「監視塔」の連載を開始する所以です。


◆始めに
九州の夏は暑い。否、九州の陽の光は強い。8月の平均気温は郷里の福岡県大牟田市も、学生時代を過ごした京都も現在住んでいる新百合ヶ丘もそれほど変わらないと思う。しかし、光の強さが違う。日中のアスファルトの色が違う。バルト海に面した北欧やドイツの画家が始めて南仏やイタリアの夏を体験した感動が私には理解できる気がします。

けれど、郷里の衰微はあいかわらず。実父が生きていた3年前までは、帰省中にはよく実父の介護で病院に行き、帰りに街の郊外型スーパーマーケットで二人暮らしの老夫婦が買出しするには嵩張るものや重たいものを購入した。地方都市の衰退。半世紀前には日本の外貨のかなりの部分を稼いだこの炭鉱都市も自然死寸前。極々少数の子供達以外には老人しか見かけない。地方再生を実現しなければ、そのためには教育の再生を成し遂げなければと強く感じます。でも、郷里の風景はありがたいですね。元気になる。まあ、鮭でも自分の古里の川の匂いを忘れずに帰ってくるらしい。ならば、まして況や人間においておや、です。


◆日の丸・君が代を巡る曲学阿世的の法律談義を嗤う
そんなアンビバレントな感慨を懐かされる帰省の折、無聊を慰めてくれるのは郷里の書肆で買い求める資料用の文献。肩の凝らない法律雑誌等々。例えば、『季刊教育法』(エイデル研究所)。同誌は戦後民主主義的教育観の拠点の一つですが、敵を知り己を知れば百戦危うからず。敵の主張ほど幅広く丁寧に読むべきだとは、実父から授かったノウハウですがこれは正しいと思います。

コトほど左様に、来る民主党政権に備えて、昨日、選挙の結果を待ちながらあらためてそんな一冊を読み返した。で、流石に酷い出来栄。特に、『季刊教育法』(137号:2003年)所収の成嶋隆「日の丸・君が代をめぐる裁判例について」などはそのあまりの凄まじさに改めて驚愕しました。これ、憲法無効論と同様、子供や素人相手に半プロが書きたい放題に自分の願望なり妄想を叫んでいるとしか思えない代物。

新潟大学の成嶋さん、確か、どこかで東京工業大学の橋爪大三郎さんが言っていたと思うけれど、素人や子供相手に獅子吼するんじゃなく、また、日常的な出来事を表現するメタファーとして専門用語を振り回すのは程々にして、(a)玄人相手に、(b)専門領域の課題を語るために日常の出来事をメタファーに使い、(c)海外のものを誤訳と曲解つきで日本に持って来るのでもなく、日本の知的果実を海外に持って行って学問の本場で勝負しなさい、よ。と時空を超えてお節介なアドヴァイスを口にしてしまいました。成嶋論文はこう書き始められています。以下、引用開始。

1999年の「国旗・国歌法」の制定は、これらの国家シンボルをめぐる日本社会の問題状況を一変させた。国旗・国歌の定義規定をおくのみで、尊重義務規定をもたない同法のもとで、あたかも「日の丸・君が代」に敬意を示すことが国民にとっての法的義務であるかのような雰囲気が醸成され、これに異議を唱える者を《異端》として排除する《同調圧力》が高まっているのである。この《強制の構図》において、矢面に立たされているのは学校教師とりわけ地方公務員たる公立学校教員である。強制に抵抗する彼ら・彼女らの作為・不作為が処分の理由とされ、その教育者としての良心が押し潰されている。そして、こうした教員の統制をとおして、子どもたちの内心の自由に対する侵犯が進行している。子どもたちが自由にその思想・良心を形成し、国家シンボルへの向きあいかたを自律的に判断するのを手助けしようとする教師の行動さえ抑圧されているのからである。(後略、以上引用終了)


成嶋さんは、この引用箇所の後、20個の判例を紹介し氏の認識を補強しようとしています。曰く、「注意しなければならないのは、「日の丸・君が代」をめぐる紛争が法廷にもちこまれ、それらに対する法的裁断がなされる訴訟において、わずかな例外を除き、ほとんどの裁判所が、前述したような《強制》と《異端排除》の構図を司法的に追認しているという実態があることである」、と。

実際、KABUの算定によれば、成嶋さんが列挙した20個の訴訟のうち、「日の丸・君が代」の<強制>に抗議したサイド(つまり、日教組や民主党側)の訴えが認められたのは3件、しかも、その3件の内、1件は可罰的違法性を欠くとの(違法性の低さに焦点を置いた)判断であり、1件は学校長や教育委員会サイドの手続上の瑕疵、他の1件は私企業たる私立学校における労働契約の解釈に基づくもの。要は、成嶋さんが憤られるように(笑)、日の丸・君が代の<強制>に抗議する側は、実質的には17戦全敗なのです。而して、私は言いたい。民主主義国家で17戦全敗ということは成嶋さんや日教組・民主党の主張が少なくとも法律的には根拠薄弱ということですよ、と。

私は、己の主張がアプリオリに正しく、それを容認しない行政や司法は邪な勢力だと感じる成嶋さんの態度には少なからず嫌悪を感じます。そして、これこそ大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の残滓、すなわち、戦後民主主義の既得権意識に他ならないと思う。而して、成嶋論文の最後のパラグラフを読んでこの感は確信に変わりました。以下、引用開始。

多くの事案において、「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱が、教育現場の自治的慣行や教育条理を踏みにじる形で強行されたり、教職員の最低限の消極的抵抗さえ恣意的に「信用失墜行為」「職務専念義務違反」と認定されたり、さらには事実誤認など手続的な適正を欠く処分が横行している状況がみられる。そして問題は、このような教職員への強制を媒介として、学校がマインド・コントロール装置と化し、子どもたちの自由な価値観の形成が阻害されるという事態がもたらされていることである。このような事態は、思想・良心の形成の自由をも保障する憲法19条や、子どもが親の指導・指示のもとに思想・良心の自由を享受することを締約国が尊重しなければならないとする子どもの権利条約14条に違背する。こうした違憲かつ条約違反の「日の丸・君が代」強制の構造において、その基底に位置するのが「国旗国歌条項」なのである。その司法的断罪を勝ちとることが急務になっているといえよう。(以上、引用終了)


「あんたら戦後民主主義者に「学校がマインド・コントロール装置と化し」なんぞ言われる筋合いはあらへんがな!」と、昨日の午後8時過ぎ、開票速報が出口調査の結果を伝え、民主党の圧勝、自民党の歴史的大敗の予想を告げる中で私は思わずそう叫んだ。蓋し、1945年8月以来、64年間、学校現場を「マインド・コントロール」の舞台にしてきたのは誰でしょうか。死んでも平和。国家は悪。戦前の日本は極悪。戦争は悪。核兵器は悪の権化、等々という刷り込みを続けてきたのは誰でしょうか。それこそ、法的にそうする何の権限もない、地方教育公務員が子供達の「自由な価値観の形成を阻害」してきたという事実は(戦後民主主義を信奉する憲法研究者、例えば、西原博史『良心の自由と子どもたち』(岩波新書・2006年2月)さえ認めざるを得なかったように)人権抑圧以外の何ものでもないのではないでしょうか。

そもそも、「自由な価値観の形成」とは何。子供はほっとけば(ほっといても)各自の価値観を獲得形成するとでも成嶋さんや日教組、民主党考えているのでしょうか。そして、子どもの権利条約が国民としてのアイデンティティ獲得を子供達に<強制>する国家の行為を違法と認識しているとでもいうのでしょうか。そんなことは断じてないのです。畢竟、子供は躾られ教育されて初めて一人前の人間になる。そして、ある国家がその子供達に当該国民としてのプライドとアイデンティティを与え涵養することは、国家の社会統合を維持するための国家権力のど真ん中のタスクであり責務でさえある。もし、彼等がこれらの認識を否定するというのなら教育学的、憲法論的および国際法的な根拠を一つでも挙げるべきである。と、そう私は言いたい。


◆結語
確か、この成嶋論稿を実家で始めて読んだ6年前の夏。NHK-BSで『おしん』の佐賀平野編を見た。渋谷を舞台とした女子小学生の援助交際のレポートも同じチャンネルでやっていた。それらを見て、大正生まれの元公立中学校校長の父が言った。「日教組の先生達は、このおしんの時代なんか、自由な価値観の形成が阻害された時代ち言うとやろうけど。また、今の少年非行は【2006年12月に改正される前の】教育基本法の不徹底が原因ち言うとやろうけど、もう勝負は明らかばい。大正とか昭和の一桁くらいまでかんしらんね。本物の日本人がまだ生きとった時代は」、と。論証抜きに言わせてもらおう。霊界の父よ、貴殿の言うとおりですよ、と。

教育現場における戦後民主主義の既得権意識は、例えば、収賄や政治資金規正法違反でつかまった国会議員が、真顔で「何で俺だけがつかまるんだ」と怒るのと同じだと思います。要は、彼等には悪いことをしているという意識がない。改正教育基本法とはいわず学習指導要領に明記されている国旗・国歌を「尊重する態度を育てるよう配慮すること」という規定の履行命令をいかにも理不尽なことと感じる感性とはなんでしょうか。それは、教師の教育権や子供達の発達する権利などという美辞麗句とは無関係な、職業人に不可欠な、自己を律し社会の要請に応えるというプロ意識の欠如だと思います。

畢竟、プロであるはずの教師にプロ意識を持ち難くした戦後民主主義の既得権意識。ならば、その既得権意識を復活再生させようとする日教組・民主党の反動を許してはならない。総選挙の開票結果がほぼ出揃った本日未明そう私は思いました。

打倒、民主党!
打倒、日教組!
日本と日本の子供達のために共に闘わん!
頑張りましょう。




【参考記事】

・民主党の反動に抗して義務教育において教育改革の目指すもの
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4c6963ebfaaf4ba1c0f7060d7f12873d

・Only yesterday☆ある九州の元公立中学校校長の回想
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65230731.html

 ・教育基本法改正を求める理由☆30年前の現実と現在
 http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/43582391.html

 ・教育基本法改正☆日教組「非常事態宣言」を撃つ
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-151.html




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