ヨルダン軍のパイロットの処刑のシーンをテロ組織「イスラム国」がウェブ上に公開した直後、ヨルダン政府も「イスラム国」側の二人の死刑囚の死刑執行でその暴挙に応じたこと。または、安倍首相の「積極的平和主義」による支那包囲網の強化。これらのことを巡ってリベラル派が時に口にするコメントがあります。
それは「不幸な報復の連鎖」あるいは「不毛な軍拡競争」。
そんな「不幸な報復の連鎖」あるいは「不毛な軍拡競争」はやめよう、と。
私は、そんな、リベラル派の使う「不幸な報復の連鎖」あるいは「不毛な軍拡競争」という言葉にかなりいかがわしいものを感じています。はたして、人間が「無意味」とか「不毛」とかを断定できるものなのかと。そこには、人間の万能感と国家権力の万能感という傲岸不遜が横たわってはいないか。そう感じるのです。
実際、冷戦を終結させたのはレーガンの軍拡でしょう。
グローバル化の昂進を背景とした「不毛な軍拡競争」に
旧ソ連が耐えられず社会主義陣営は崩壊したのでは
なかったのですか。
つまり、
少なくとも、「1989-1991」に至る国際政治の局面では、
軍拡競争は「不毛」ではなく「妥当」だったということ。
蓋し、人間の有限さを自覚する保守派は「完全な平和」なるものや「恒久の平和」なるものが実現できるとは端から考えない。そんなお伽話の世界の<平和>ではなくて、各国が各々その時代時代で相対的により安全な状況を実現するしかない、と。そのために外交と防衛の両面で努力する。そして、例えば、「国連安保理」というシステムは安全保障においてそうそう効果的なものではないのだから、各国が多国間の軍事同盟関係を強化するのは寧ろ当然のこと。
保守派とはそのように考えるタイプの人達だと思うのです。
ならば、近隣に「無意味」や「不毛」どころか「不気味」な軍拡を続けている支那があれば、また、その海洋進出の傾向が顕著であれば、資源を海外に頼る日本がシーレーンをより効果的に防衛するために行う自衛隊の増強と日米軍事同盟の再強化は「有意味」であり「妥当」なのではないでしょうか。繰り返しますけれども、一体、リベラル派はどういう根拠で「無意味」とか「不毛」などと断定しているのか。私にはそれが疑問なのです。
それは、ひょっとしたら、
ひょっとしたら、それは、
平和的な話し合いを通して国の安全をはかる道がある。
と、そう彼等は考えているのかしら。そして、相互の信頼関係の深化。
まさか、テロリストとの話し合い、例えば、「イスラム国」との話し合い。
ヨルダン空軍パイロットの処刑がウェブ上で公開された現在、
いかなイノセントなリベラル派も「イスラム国」とも話し合いを通じて、
かの地の紛争を解決できるなどとは言わないでしょう。
けれども、支那や北朝鮮に関してはリベラル派は話し合いで
東アジア地域の安全保障問題を解決できる。と、そう考えている節がある。
もし、この私の想定が満更間違いではないとすれば、
なぜ彼等はそう考えるのか。蓋し、そのヒントは、これまた彼等が時に
口にする「囚人のジレンマ」の喩、鴨。
なにその「囚人のジレンマ」って、それ美味しいの?
美味しいかどうかはわかりませんがそれは大凡次のようなもの。
ある犯罪で共犯関係にある囚人Aと囚人Bが、
別々に取り調べられているイメージ。
そして、例えば、
①自分が黙秘しているのに相手が自分を裏切り自白すれば
自分は最悪の懲役で相手は自由の身になる
②自分も相手も双方ともに相手を裏切り自白すれば双方ともに2番目に重い懲役
③自分も相手も相互に信用して完黙すれば双方とも最も軽い懲役
になるという状況
そんな状況下に二人の囚人が置かれているとします。
詳細は割愛しますが--興味のある方は「ゲーム理論」とか「囚人のジレンマ」で検索していただければと思いますけれど--、囚人Aと囚人Bは自分なりには<合理的>なつもりで行動選択をした結果、②双方ともに相手を裏切って愚かにも「2番目に重い懲役」を受けることになる。両者が協調すれば③の「最も軽い懲役」を双方ともに勝ち取れたのにね、というストーリー。
この「囚人のジレンマ」の喩をしばしばリベラル派は
軍拡競争や報復の連鎖にからめて使っているようです。
つまり、報復や軍拡が愚かな「囚人のジレンマ」状況に陥ることに
警鐘を鳴らすリベラル派は、例えば、支那や「イスラム国」と他の
諸国が情報を開示しあい相互に相手を信用することができれば、
このジレンマ状況をより有利に切り抜けることができるのではないか。
と、そう想像しているの、鴨。
けれども、もともと、「囚人のジレンマ」は経済活動において合理的なはずのプレーヤーである企業や家計や国家が、なぜ、時に非合理な行動を取るのか、とり続けているのかを説明するゲーム理論のパラダイムの一つ。すなわち、それは、各プレーヤーが持っている情報の非対称性と有限性が介在するところでは、その非合理的な結果こそ各プレーヤーにとっては<合理的>な「最適解」だという指摘なのです。
つまり、
囚人のジレンマ状況の中ではプレーヤーたる囚人Aと囚人Bが行う②の行動選択は
あくまでも<合理的>であり「最適解」なのです。
要は、(1)囚人Aと囚人Bの間の情報が遮断されており、また、(2)双方ともに相手を信用していない状況ではそういえる。そこで「お二人には--③の「自分も相手も相互に信用して完黙して双方ともに最も軽い懲役」を勝ち取るという--もっと有利な選択肢もあったんですよ」と言うのは、このゲームをプレーヤーの目線ではなく、外からの目線、あるいは、すべてをお見通しの人ならぬ身の神様の目線からの発言。
畢竟、それは傲岸不遜というもの。
もちろん、国際政治はオールオアナッシングではないのでしょう。
ですから、テロリストとは話し合いもすべきではないにしても、
支那との話し合いは不可欠なのでしょう、多分。
支那と日米を始め他の諸国が話し合い、支那とそれ以外の国々が
可能な限り相互の行動の予測可能性を高める外交努力を積み重ねる
ことは貴重でしょう、多分。
そうすれば、支那の軍拡のスピードもある程度鈍化して、
日米を始めとした諸国の安全保障面でのコストも軽減できる、鴨。
けれども、
けれども、究極の所、国が違えば国益は対立する。
しかも、国が違えばその時点時点での国益も非対称的。
つまり、諸国家間では、(1)原理的に情報が遮断されており、また、
(2)現実的には、どの国も他の国を信用できない関係状況にあるということ。
例えば、そして間違いなく、
資源を求めて領土を拡張しようとしている支那、あるいは、
国内体制の維持のためには「人民解放軍」という名の中国共産党軍を
自転車操業的に拡大増強するしかない支那と、
シーレーンを安全に保ち自由な貿易が維持できる現状を確保しよう
としている日本の国益は対立するしそれは非対象的。
そして、国益の対立と非対象性という経緯は、日本とアメリカについても
言えること。それが厳然たる国際政治の現実なのだと思います。
つまり、
究極の所、日本は自国を自分で守るしかないということ。
よって、日米軍事同盟をメンテナンスして再強化するためにも、
日本はもう唯一の超大国ではなくなったアメリカのできない部分を
一層積極的かつ効果的に担うしかないということ。
ことほど左様に、畢竟、「囚人のジレンマ」は寧ろ報復や軍拡が必ずしも愚ではないことを示唆する喩なのです。而して、「不幸な報復の連鎖」あるいは「不毛な軍拡競争」と述べる際に、リベラル派がもし「囚人のジレンマ」を念頭に置き援用しているのであれば、その議論はその前提からしてすでに破綻している。それは傲慢なだけでなく瓦解している。と、そう私は考えます。
最後に蛇足を。
極論すればですけれども、
白黒はっきり言えば、
蓋し、無意味な報復の連鎖こそ--神ならぬ身の人間にとっては--、
後から見れば、唯一意味のある<歴史>を作ってきたのではないでしょうか。
悲惨な宗教戦争と戦慄すべき魔女裁判の嵐を潜って近代の立憲主義が形成されたこと、ある意味、英本国政府による課税を巡る謂わば報復の連鎖によってアメリカ合衆国が誕生したこと、そして、なくてもよかったかもしれない戊辰戦争を経て明治の日本国家が作られたこと。
これらを想起するに私はそう考えないではないです。
これこそ保守派の穏当な認識ではないのかしらとも。
母の誕生日に、
母のいない母の誕生日に
そう考えました。
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