奥書を読むと、「小説推理」2018年2月号から2019年4月号の偶数月号に連載された同名作品に加筆修正を加えて2019年8月に単行本化されている。
この小説は、次の文で締めくくられる。本書のタイトルはここに由来するようだ。
「いつか、この傾城町に桜を。
媚びず屈せず、咲かせておくれ。落花狼藉の極みと謗られようと、吉原の嘘と真を見せるんだ。
爛漫と咲いて、散れ。」
この小説は、簡潔に言えば、江戸時代に売色御免の公許を得た傾城町吉原の確立変遷をテーマにした歴史時代小説である。
西田屋の女将となる花仍(かよ)の目を通してみた吉原が描き出される。花仍は孤児の身を西田屋の主に拾われ、育てられ、長じて結果的に彼の女房となり、西田屋を経営した。
江戸時代の傾城町吉原がどのような経緯で形成されたのか。日本橋のはずれに築造された傾城町・吉原はその当時は江戸の埒外だった。だが、豊臣家の大坂城が滅び、家康が没しても、江戸は泰然としていて揺るぎなくより一層繁栄していく。だが江戸が繁栄するにつれて、その城下は広がりを見せる。その結果、政策的に吉原は日本橋のはずれから、さらに辺鄙な地への移転を命じられる。その結果が浅草の浅草寺からはずれた葭の繁る俗に「浅草田圃」と呼ばれる地域に新吉原町が造成される。以前の地は、元吉原と称されることになる。この傾城町吉原の確立変遷のプロセスと吉原がどのような仕組みで成り立っていたかが、吉原を運営する側の視点から描かれて行く。
江戸時代の初期、武士政権の首都・江戸は、真の天下統一を経て絶対的な幕府体制が築かれる過程で日々整備・拡大し続ける時期にある。諸藩が江戸に屋敷を構える。さらには1634年(寛永11)8月には譜代大名の妻子を江戸へ置かし、1635年には、参勤交代制が始まって行く。その中で火事も頻発する。首都域拡大の普請と焼亡後の再建普請が常態となる。江戸は男女比率が大きく崩れ、男の比率が高い社会状況が続く。いわば、性のはけ口として、売色(売春)は必要悪として存在していた。一方で、売色は密かな生業、生活手段として広がっていた。江戸を取り締まる側からすれば、二律背反の問題である。野放図に売色を放置しておけば、江戸という首都の治安維持に大きな影響を及ぼす。そこで生み出されたのが、売色御免つまり、傾城町吉原という売春システムの公認である。
この小説は、花仍の生い立ちと西田屋・花仍の女将としての願望と失敗談を織り交ぜながら、吉原という傾城町の運営と確立、新吉原への移転と不夜城吉原の確立までの変遷プロセスそのものがストーリーとして描き出されていく。吉原確立期までの状況とそのシステムを、運営側の視点に立ち、その苦労話を交えて描き出す。京・大坂とは違った、江戸の水に馴染んだ傾城町の確立プロセスが描き出されていく。ある意味で江戸時代の吉原を客観的に理解し知るためのガイド本とも言える。
少し見方を変えると、江戸時代を背景とし、吉原をポジティブ・サイドから描き出したストーリーと言える。
ストーリーの冒頭は、西田屋女将の花仍が、瀬川という名の格子女郎を含め4人の遊女を連れ出し、駕籠に乗り吉原の大門口を出て寺社の参詣と花見をする。その帰路の場面から始まる。帰路の途中で、先頭の駕籠が女歌舞伎の連中に絡まれる。最後尾の花仍は駕籠を降り、先頭に行き絡まれている状況を知ってその連中に対峙する。売られた喧嘩と、陸尺の棒を片手に立ち合いを始める。だが、その場に亭主の甚右衛門が現れ肘をつかまれて終わりとなる。
この冒頭のエピソードだけでも、吉原のイメージが変化するではないか。遊女が傾城町吉原の大門口を出て、昼間に参詣に行くことができたという。私は、何となく吉原に売られて行った遊女は、年季があけるまで、あるいは身請けされるまで、通常では大門口から出ることは認められてないというイメージを持っていた。なので、冒頭からちょっとおもしろそう・・・という気になった。
このストーリーは、花仍が西田屋の主、甚右衛門の女房になり、1年たち、23歳の女将として活動し始めた時点から、大祖母様と呼ばれる立場で息を引き取る瞬間までの人生を描く。花仍の人生が傾城町吉原の変遷と一体となって描かれて行く。
女将として半人前を自覚する花仍が、吉原町の惣名主の女房かつ西田屋の立派な女将に成長していくストーリーである。その間に花仍の幼少期の回顧譚が織り交ぜられる。
花仍は女将として、若葉という格子女郎を太夫にしたいという願望を抱く。それを実現させるが、そこから生み出されていく禍福の経緯が花仍の人生に大きく関わって行く。
次の事項が花仍の人生を形成する要因としてストーリーに織り込まれて行く。
1.西田屋の主、甚右衛門が幕府に願い出て、苦労の末に傾城町形成の「売色御免」の許可を獲得した経緯とその際の付帯条件(元和の五箇条)について。
公許を得るのに12年越しの願い出だったという。願い出にあたり甚右衛門が挙げた3つの悪行が防げるという理由も語られる。
2. 吉原町の町割りと吉原町普請のプロセス及びその苦心譚。
日本橋の北東に位置した吉原と、浅草寺の背後に移転させられた新吉原が描かれる。
3.甚右衛門の経歴と御公儀評定所から傾城町の惣名主に任ぜられた後の甚右衛門の行動とその存在について。
己の見世は二の次で、町政に心血を注いだ甚右衛門は69歳で没した。
三浦屋四郎左衛門が甚右衛門の補佐となる。
4. 吉原の秩序とそのシステムについて。
吉原の町割り。見世と揚屋の関係。遊女の格。昼見世と夜見世。西田屋・三浦屋という大見世の運営システム。吉原の規模。遊女の供給経路など。
5.公認となった吉原町と江戸市中に残る非合法行為の売色の確執。非合法売色の実態。
⇒市中に存在する風呂屋の湯女。女歌舞伎役者の売色。後の料理茶屋。
甚右衛門は数年がかりで奉行所と交渉し「湯女制限令」発布(寛永14年)を得た。
6.日本橋はずれの吉原町が、移転を命ぜられた折の経緯と二代目甚右衛門の活躍。
日本橋の北東に形成された吉原町は、正保2年、富沢町から出た火が因となり全焼した。そして再建される。だが、公儀から吉原町の移転を命じられる。吉原町が選択したのが、俗に「浅草田圃」と称された沼沢地。日本堤の辺りである。二代目甚右衛門が移転条件を交渉する。再び土地の干拓造成から始まる。一方、明暦3年正月18日、本郷丸山近辺の出火が因で、大火となり吉原町は再度全焼してしまう。そして、今戸・新鳥越・山谷あたりでの仮営業を経て、新普請が成った新吉原町がスタートした。この時、長年禁止されてきた夜見世が移転条件の一つとして許可されて、新吉原の不夜城が現出したという。
吉原を知ることは、当時の江戸さらには日本という経済社会並びに江戸幕府体制を知ることに繋がる。吉原から眺めた浮世ばなしとして歴史の一端を学びつつ楽しめる作品である。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にしておきたい。
錦絵で楽しむ江戸の名所 新吉原(しんよしわら) :「国立国会図書館」
江戸時代の吉原遊廓の妓楼の中はどうなってたの?浮世絵や絵草紙で詳しく紹介!
:「exciteニュース」
浮世絵の民俗学 ⑤ 吉原遊郭 三浦屋 花魁 :「五井野正 博士ファン倶楽部」
“文化のゆりかご”だった江戸吉原:浮世絵や歌舞伎、狂歌を育んだ幕府公認遊郭
:「nippon.com」
吉原遊郭 :ウィキペディア
庄司甚右衛門 :ウィキペディア
庄司甚右衛門 :「コトバンク」
庄司甚右衛門 :「江戸ガイド」
五ヶ条の御法式 :「吉原遊郭データベース」
三ヶ条の書付 :「吉原遊郭データベース」
吉原遊郭跡 :YouTube
「2階で小便」は吉原遊びの意味? 理由は妓楼の構造にあった! :「BEST T!ES」
最高級遊女花魁と楽しむ方法……実は、お金がなくてもイイんです!驚きの吉原遊びのルール :「BEST T!ES」
吉原 遊里と郭 :「歌舞伎用語案内」
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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『悪玉伝』 角川書店
『阿蘭陀西鶴』 講談社文庫
『恋歌 れんか』 講談社
『眩 くらら』 新潮社
この小説は、次の文で締めくくられる。本書のタイトルはここに由来するようだ。
「いつか、この傾城町に桜を。
媚びず屈せず、咲かせておくれ。落花狼藉の極みと謗られようと、吉原の嘘と真を見せるんだ。
爛漫と咲いて、散れ。」
この小説は、簡潔に言えば、江戸時代に売色御免の公許を得た傾城町吉原の確立変遷をテーマにした歴史時代小説である。
西田屋の女将となる花仍(かよ)の目を通してみた吉原が描き出される。花仍は孤児の身を西田屋の主に拾われ、育てられ、長じて結果的に彼の女房となり、西田屋を経営した。
江戸時代の傾城町吉原がどのような経緯で形成されたのか。日本橋のはずれに築造された傾城町・吉原はその当時は江戸の埒外だった。だが、豊臣家の大坂城が滅び、家康が没しても、江戸は泰然としていて揺るぎなくより一層繁栄していく。だが江戸が繁栄するにつれて、その城下は広がりを見せる。その結果、政策的に吉原は日本橋のはずれから、さらに辺鄙な地への移転を命じられる。その結果が浅草の浅草寺からはずれた葭の繁る俗に「浅草田圃」と呼ばれる地域に新吉原町が造成される。以前の地は、元吉原と称されることになる。この傾城町吉原の確立変遷のプロセスと吉原がどのような仕組みで成り立っていたかが、吉原を運営する側の視点から描かれて行く。
江戸時代の初期、武士政権の首都・江戸は、真の天下統一を経て絶対的な幕府体制が築かれる過程で日々整備・拡大し続ける時期にある。諸藩が江戸に屋敷を構える。さらには1634年(寛永11)8月には譜代大名の妻子を江戸へ置かし、1635年には、参勤交代制が始まって行く。その中で火事も頻発する。首都域拡大の普請と焼亡後の再建普請が常態となる。江戸は男女比率が大きく崩れ、男の比率が高い社会状況が続く。いわば、性のはけ口として、売色(売春)は必要悪として存在していた。一方で、売色は密かな生業、生活手段として広がっていた。江戸を取り締まる側からすれば、二律背反の問題である。野放図に売色を放置しておけば、江戸という首都の治安維持に大きな影響を及ぼす。そこで生み出されたのが、売色御免つまり、傾城町吉原という売春システムの公認である。
この小説は、花仍の生い立ちと西田屋・花仍の女将としての願望と失敗談を織り交ぜながら、吉原という傾城町の運営と確立、新吉原への移転と不夜城吉原の確立までの変遷プロセスそのものがストーリーとして描き出されていく。吉原確立期までの状況とそのシステムを、運営側の視点に立ち、その苦労話を交えて描き出す。京・大坂とは違った、江戸の水に馴染んだ傾城町の確立プロセスが描き出されていく。ある意味で江戸時代の吉原を客観的に理解し知るためのガイド本とも言える。
少し見方を変えると、江戸時代を背景とし、吉原をポジティブ・サイドから描き出したストーリーと言える。
ストーリーの冒頭は、西田屋女将の花仍が、瀬川という名の格子女郎を含め4人の遊女を連れ出し、駕籠に乗り吉原の大門口を出て寺社の参詣と花見をする。その帰路の場面から始まる。帰路の途中で、先頭の駕籠が女歌舞伎の連中に絡まれる。最後尾の花仍は駕籠を降り、先頭に行き絡まれている状況を知ってその連中に対峙する。売られた喧嘩と、陸尺の棒を片手に立ち合いを始める。だが、その場に亭主の甚右衛門が現れ肘をつかまれて終わりとなる。
この冒頭のエピソードだけでも、吉原のイメージが変化するではないか。遊女が傾城町吉原の大門口を出て、昼間に参詣に行くことができたという。私は、何となく吉原に売られて行った遊女は、年季があけるまで、あるいは身請けされるまで、通常では大門口から出ることは認められてないというイメージを持っていた。なので、冒頭からちょっとおもしろそう・・・という気になった。
このストーリーは、花仍が西田屋の主、甚右衛門の女房になり、1年たち、23歳の女将として活動し始めた時点から、大祖母様と呼ばれる立場で息を引き取る瞬間までの人生を描く。花仍の人生が傾城町吉原の変遷と一体となって描かれて行く。
女将として半人前を自覚する花仍が、吉原町の惣名主の女房かつ西田屋の立派な女将に成長していくストーリーである。その間に花仍の幼少期の回顧譚が織り交ぜられる。
花仍は女将として、若葉という格子女郎を太夫にしたいという願望を抱く。それを実現させるが、そこから生み出されていく禍福の経緯が花仍の人生に大きく関わって行く。
次の事項が花仍の人生を形成する要因としてストーリーに織り込まれて行く。
1.西田屋の主、甚右衛門が幕府に願い出て、苦労の末に傾城町形成の「売色御免」の許可を獲得した経緯とその際の付帯条件(元和の五箇条)について。
公許を得るのに12年越しの願い出だったという。願い出にあたり甚右衛門が挙げた3つの悪行が防げるという理由も語られる。
2. 吉原町の町割りと吉原町普請のプロセス及びその苦心譚。
日本橋の北東に位置した吉原と、浅草寺の背後に移転させられた新吉原が描かれる。
3.甚右衛門の経歴と御公儀評定所から傾城町の惣名主に任ぜられた後の甚右衛門の行動とその存在について。
己の見世は二の次で、町政に心血を注いだ甚右衛門は69歳で没した。
三浦屋四郎左衛門が甚右衛門の補佐となる。
4. 吉原の秩序とそのシステムについて。
吉原の町割り。見世と揚屋の関係。遊女の格。昼見世と夜見世。西田屋・三浦屋という大見世の運営システム。吉原の規模。遊女の供給経路など。
5.公認となった吉原町と江戸市中に残る非合法行為の売色の確執。非合法売色の実態。
⇒市中に存在する風呂屋の湯女。女歌舞伎役者の売色。後の料理茶屋。
甚右衛門は数年がかりで奉行所と交渉し「湯女制限令」発布(寛永14年)を得た。
6.日本橋はずれの吉原町が、移転を命ぜられた折の経緯と二代目甚右衛門の活躍。
日本橋の北東に形成された吉原町は、正保2年、富沢町から出た火が因となり全焼した。そして再建される。だが、公儀から吉原町の移転を命じられる。吉原町が選択したのが、俗に「浅草田圃」と称された沼沢地。日本堤の辺りである。二代目甚右衛門が移転条件を交渉する。再び土地の干拓造成から始まる。一方、明暦3年正月18日、本郷丸山近辺の出火が因で、大火となり吉原町は再度全焼してしまう。そして、今戸・新鳥越・山谷あたりでの仮営業を経て、新普請が成った新吉原町がスタートした。この時、長年禁止されてきた夜見世が移転条件の一つとして許可されて、新吉原の不夜城が現出したという。
吉原を知ることは、当時の江戸さらには日本という経済社会並びに江戸幕府体制を知ることに繋がる。吉原から眺めた浮世ばなしとして歴史の一端を学びつつ楽しめる作品である。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にしておきたい。
錦絵で楽しむ江戸の名所 新吉原(しんよしわら) :「国立国会図書館」
江戸時代の吉原遊廓の妓楼の中はどうなってたの?浮世絵や絵草紙で詳しく紹介!
:「exciteニュース」
浮世絵の民俗学 ⑤ 吉原遊郭 三浦屋 花魁 :「五井野正 博士ファン倶楽部」
“文化のゆりかご”だった江戸吉原:浮世絵や歌舞伎、狂歌を育んだ幕府公認遊郭
:「nippon.com」
吉原遊郭 :ウィキペディア
庄司甚右衛門 :ウィキペディア
庄司甚右衛門 :「コトバンク」
庄司甚右衛門 :「江戸ガイド」
五ヶ条の御法式 :「吉原遊郭データベース」
三ヶ条の書付 :「吉原遊郭データベース」
吉原遊郭跡 :YouTube
「2階で小便」は吉原遊びの意味? 理由は妓楼の構造にあった! :「BEST T!ES」
最高級遊女花魁と楽しむ方法……実は、お金がなくてもイイんです!驚きの吉原遊びのルール :「BEST T!ES」
吉原 遊里と郭 :「歌舞伎用語案内」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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その点、ご寛恕ください。)
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『悪玉伝』 角川書店
『阿蘭陀西鶴』 講談社文庫
『恋歌 れんか』 講談社
『眩 くらら』 新潮社
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