遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『公安狼』 笹本稜平  徳間書店

2020-06-16 17:11:34 | レビュー
 奥書を読むと、「読楽」2018年9月号~2019年9月号に掲載され、加筆修正して2020年3月に単行本化されている。
 著者による警察小説の作品シリーズを読み始めているが、公安捜査ものを読むのはこれが初めてだと思う。
 
 この小説はストーリーの構成がまず面白い。長編ストーリーが2つの短編A,Bと中編Cで構成され、それが単なる連作ではなく、情報が相互にリンキングしながら、最終的な事件解明への重要な要素として織り込まれて行くという形になる。
 この小説の主人公は唐沢龍二で、警視庁公安部公安第一課第四公安捜査第七係の主任である。彼と彼の率いるチーム、上司の高坂が主な登場人物。唐沢の階級は警部補。唐沢たちの捜査対象はいわゆる極左暴力集団である。

 ストーリーAは、「剣」という異名をもつ左翼過激派セクトの末裔小グループのアジトの張り込み捜査から始まる。捜索差押許可状をとった上で、アジトであるマンションにグループのリーダー、安村が戻ってくるのを待っているという場面。名目は家宅捜索であるが、マンションの室内に、硝安爆弾、もしくはその半製品が存在する可能性が高く、現行犯逮捕を狙っている。
 この張り込み捜査には、メンバーに井川巡査部長というベテランが居る。井川の公安経歴は長く、事ごとに唐沢に反目し自説を主張する。公安の中では素行に問題があると疑惑を持たれ、しょっちゅう周囲の者に嫌がらせをしている捜査員である。唐沢は頭目の安村の身柄を押さえることがこの事案を安全・確実に処理する唯一の道と考えている。だが、井川はもう少し張り込みをつづけて待てば、剣のグループが参集し一網打尽にできると主張する。地元警察署の公安捜査員の協力を得れば可能だと言い張り、独断専行する。だがその結果、地元の公安捜査員の張り込み方のまずさがあり、安村に気づかれてしまう。
 張り込み捜査は、一転して爆発物所持者の立て籠もり事件に転換する。

 ストーリーAに挿入される形で、ストーリーBが唐沢により回想されていく。
 ストーリーBは、1998年7月18日の正午近く、西神田二丁目にある東和興発ビルでの爆破事件に関連する。重軽傷者は数十名に上った。死亡したのは爆発物の入ったスーツケースをビル内に運び込んだ吉村久美子、22歳だった。爆発物には時限爆発装置が仕掛けてあったことが後で判明する。その吉村久美子は同じ大学に通っていて、一時期唐沢の恋人だったのだ。唐沢は久美子に誘われ、映画論を戦わす「グループ・アノニマス」という会に幾度か参加する。参加者は全員、ニックネームで呼び合う。会のリーダーはハンクス、唐沢はレオナルドと呼ばれた。その会に幾度か参加したところで直観的に危惧を感じた唐沢は会から離脱する。久美子との連絡が途絶える。
 久美子から唐沢の電話にメセージが入っていたのが最後になる。それは爆発のあったビルのエントランスの前で待っているということと「お願い。助けて」というすがるような調子の言葉だった。唐沢は急いでビル前に行く。着いて間なしにビル内での爆発に巻き込まれる。新聞は「自爆テロ」と報道。唐沢はハンクスに久美子が殺されたと確信する。
 この事件の折、唐沢は任意同行による取り調べを高坂から受けた。その高坂に誘われて己の進路を変更し警察官となり公安捜査員になった。唐沢の目的は、ハンクスを逮捕することにある。
 爆破事件への憎しみとそういう事態の事前阻止に対する唐沢の執念が読者の心に染み通る事と思う。

 ストーリーAは、井川の横槍から、マンションの住人である田口夫妻とその娘を人質にした立て籠もり事件に急転換していく。唐沢は井川の言動から、安村を逮捕させたくないという思惑や雰囲気を感じ取る。井川を問い詰めた結果、唐沢は肥田知也の名前で登録されている番号を入手する。唐沢は肥田こと安村に対し人質解放と投降の交渉をする役目を担う。
 警備一課のSATの出動が要請され、配備につくという風に事態が緊迫化していく。
 事態はさらに思わぬ展開となっていく。安村の意外な行動。そこが読ませどころとなっていく。

 安村との携帯電話での交渉の中で、唐沢は安村がハンクスと接触した時期があったことを知る。ハンクスが名乗っていた氏名は溝口俊樹だったと安村から伝えられる。唐沢が公安捜査員になって、20年。やっとハンクスに迫る手がかりを得られたのだ。
 一方で、唐沢が公安部に異動して以来、井川は事ある毎に、唐沢が極左系と繋がりがあるのではないかと揶揄してきていた。エスの一人として接していた安村の事件の背後には、更に井川が関与している大きな闇があるのではないかと唐沢は疑惑を深める。そんな矢先、井川が「あんたの尻尾はすでに握っている。それをどう使うかはおれの胸三寸だ」などと、挑発的な恫喝を唐沢に向けてくる。

 唐沢は早速、相棒の木村とともに、安村が唐沢に教えた氏名を手がかりに、ハンクスの追跡捜査を始める。事前に速達で送付した身上調査照会書の手続きによる電話問い合わせである。地道な捜査が始まる。

 そんな最中に、新たな事件が発生する。ストーリーCの始まりだ。
 佐伯の指示で、第7係全員が第四公安捜査の会議室に集合する。佐伯が全員に告げたのは爆破予告が各所に送付されてきたという事実である。東京都内の企業や政府系団体十数ヵ所に。セムテックスというプラスチック爆弾約1グラムを入れ、同封の文は送付先が関係するアジア、アフリカでの開発事業を、3ヵ月以内に中止し世界に公表せよという。その要求に応じなければ国内外の関連施設を爆破するというのだ。「汎アジア・アフリカ武装解放戦線」と犯行グループは自称する。自爆テロと報道された西神田の事件の際の犯行声明文の二番煎じともいえる文面だった。
 捜査一課特殊犯捜査係が、剣の事件を解決した実績を見込んで、公安第一課第四公安捜査に名指しで共同捜査の申し入れをしてきたという。
 その結果、捜査一課と公安という組織体質が水と油の関係のような2つの組織が共同で特捜本部を設置することになる。

 ストーリーCの展開にはおもしろい要素が幾つか内在している。
1. ハンクスの絡んだ西神田の事件と類似の犯行声明文は、この爆破予告にハンクスが絡んでいることを意味するのか?
2. 安村から得たハンクスへの手がかりとなる氏名・溝口俊樹。
  その氏名を戸籍から追跡するという手段がどう進展するのか?
  それがこの爆破予告事件と関係するのか?
3. 水と油の関係のような組織体質の捜査1課と公安の共同がうまく行くか?
  共同とは言いながら、その特捜本部運営は具体的にどのようになるのか?
4. 井川もまた、公安の一員としてこの特捜本部に参加する。それが捜査の足を引っ張ることになるのか? 或いは、井川に対する疑惑が逆に事件解明への材料に繋がるのか?
5. セムテックスという日本国内では入手できないプラスチック爆弾が同封されていた事実は、海外のテロ集団がこの事件に絡んでいることを意味するのか?
  海外からのセムテックスの持ち込みを考えると、資金面でも海外組織が絡むのか?
6. 3ヵ月以内というタイムリミットが何を意味するのか?

 「可塑性爆発物送付テロ予告事件」という看板の特別捜査本部が、警視庁本庁8階の大講堂に設置された。帳場の総勢は100名を超える規模になる。
 今後の捜査の方向についての全体会議がまず開かれる。普通郵便で送付された封書関連から手がかりは得られない。同封されていたセムテックスは古いタイプのもので、爆発物マーカーは添付されていないことが判明した。何らかの擬装をして少量の密輸なら容易という。高坂が今回の事件と20年前の西神田の事件のハンクスを結びつける考えを説明し、さらに唐沢に発言を求めた。唐沢は自らがハンクスと接触した経験を語ることから始めた。捜査一課の松原管理官が積極的な姿勢を見せると、井川が横槍をいれ、唐沢についての嫌味たっぷりな発言を行う。公安部の一員として叛旗を翻すような発言だった。冒頭から井川は特捜本部の中で奇妙なスタンスを示していく。
 高坂・唐沢にとっては、獅子身中の虫ともいえる井川の行動の背景を洗い出すことが一層重要となる。そこから意外な糸口がみつかるのかもしれないと。
 読者にとっては、早く先を読みたくなる進展となっていく。

 少し、ヒントを記しておこう。
 井川が独自に動き出した。井川が会っていた人物の写真を井川と組んだ所轄の刑事が何とか撮ってくれたのだ。木村が所轄の刑事をうまくそそのかし井川と組んでもらった成果が早速現れた。その写真を見て、唐沢が即座にアーノルドだと気づく。捜査で判明した実名は片山春樹だった。
 中央防波堤外側埋立地で大規模な爆発が発生した。現場に駆けつけた深川消防署から特捜本部に通報が入った。セムテックスが示すタイプの破壊性状との判断からという。唐沢らが現場に駆けつけた直後に、ハンクスから唐沢の携帯に電話が入る。ここでの爆破は挨拶代わりだ・・・・と。
 
 ハンクスの挑発を受け、特捜本部の捜査は俄然急展開し始める。第9章~第13章の160ページ余がこの捜査の進展を描いて行く。この事件についての意外な真相が明らかになる。
 なかなかおもしろい構想のストーリー展開となっている。戸籍というものが存在する日本ならではの追跡捜査プロセスが含まれていて、その手続きと捜査の進展が興味深い事象の一つになる。
 あとは本書をお楽しみあれ。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心で、いくつかの事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
三菱重工ビル 過激派が爆破  :「NHK放送史」
NHKBSで13日「連続企業爆破事件」 刑事・記者・被害者の物語 「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」 2018.3.8  :「産経新聞 THE SANKEI NEWS」
東京都心の爆弾テロ、43年後の真実①  竹内明  :「note」
連続企業爆破事件  :ウィキペディア
連続企業爆破事件 北海道庁爆破事件  :「オワリナキアクム」
セムテックス :ウィキペディア
プラスティック爆弾  :ウィキペディア
プラスチック爆弾  :「レプマート」
可塑性爆薬の探知のための識別措置に関する条約  :ウィキペディア
爆発物マーカー :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館


最新の画像もっと見る

コメントを投稿