表紙を見ると、タイトルの「黙示」に Apocalypse という単語が併記されている。
英語の辞書を引くと、the Apocalypse と記せば、新約聖書の最後の書『ヨハネの黙示録』のことだそうである。まず第一羲は the apocalypse として「この世の終わりの日」を意味し、第二義に[単数形で]「大惨事、大事件」を意味するとある。
この小説のストーリーを読むと、直接的には「大事件」という意味が一番近いと思う。しかし、この窃盗事件解明のストーリーの背景に、古代史、超古代史の世界が広がっているので、旧約聖書を含めて語り継がれた話とこの世の終わりということもダブル・ミーニングとして使われていると言える。それ故、タイトルが「黙示」となっているのだろう。
本書は「小説推理」(2019年3月号~2020年2月号)に連載された後、2020年6月に単行本として刊行されている。
渋谷署管内の超一等地、松濤の戸建て住宅で窃盗事件が起きた。警視庁刑事部捜査第三課に連絡が入り、係長の指示で窃盗を捜査する第五係の萩尾秀一警部補はペアを組む武田秋穂と現場に赴く。渋谷署盗犯係の林崎係長とその部下たちに協力しながら、萩尾・秋穂のペアによる捜査がストーリーの中心になる。萩尾は刑事になって以来、盗犯担当一筋というベテランである。秋穂とペアを組むようになり、戸惑いを感じつつも、徐々に秋穂の持つ感性、女性の観察眼の鋭さに注目するようにもなってきていた。そんな一組の刑事の捜査活動が描かれて行く。
被害に遭ったのは、現在は社名を「タテワキ」と改称した会社の経営者であり、資産家の家柄の館脇友久60歳。盗まれたのは「ソロモンの指輪」だけ。しかし、その指輪は国宝級のもので、なんと4億円で入手したと言う。館脇はその指輪を所蔵していることを世間に知られたくないと言う。
館脇はその指輪のことを多くは語りたがらなかった。その内容を語ると、己の身に危険が迫る恐れがあり、命が危ないのだと訴える。だが、萩野は捜査の必要性から少しずつ指輪についての情報を聞き出していく。
館脇は松濤の自宅の書斎、ドアの両脇の書棚の先の左右の壁と正面の壁にそれぞれ2つずつ合計6つ、ガラスがはめ込まれた陳列棚を設置している。部屋には窓がない。それぞれの棚は5段。そこに歴史的な考古学の出土品といえる品々が並んでいる。例えば、シュメールの楔形文字が刻まれた粘土板、それを入手するのに3億ほどかかっているという。館脇は古代史の研究や出土品の収集をするマニアなのだ。
館脇は自宅全体とこれらの陳列棚について、大手の警備保障会社・トーケイとセキュリティ契約をしている。
館脇は言う。未明の1時頃に陳列棚に指輪があった。そして午前8時に指輪がなくなっているのに気づいたと。その後、警察に連絡をしたのだ。
萩尾が事件現場に居るとき、30代半ばの男が現れる。館脇は萩尾にその男を紹介した。石神達彦と称する私立探偵で元警察官。館脇は、警察とは別に、石神に事件の調査と併せて己の身辺警護を依頼していたのだ。
館脇は結婚していない。両親の死後は一人暮らしの自宅である。松濤の家の鍵と防犯装置専用キーを持ち、陳列棚を開ける認識番号を知る人間は館脇本人以外に、次の二人が居ることがわかる。
横山春江 55歳。家政婦。先代の頃から30年、この家に通いで働いている。
雨森夕子 47歳。会社の秘書。館脇が自宅で仕事をすることが多いため。
また館脇は、事件発生後に雇った石神に自宅の鍵と防犯装置専用キーを預ける機会があった。
館脇がソロモンの指輪を所有することを知っているのは、その結果、家政婦の横山、秘書の雨森、この事件を契機に雇った石神、そして世田谷の美術館のキュレーターである音川理一だという。考古学的な展示で貸し出す折に音川と知り合い情報交換する持ちつ持たれつの関係にあるという。
事件現場の書斎を検分後、萩尾は秋穂とともに、住居の周囲を見て回った。渋谷署の捜査員も同様にチェックしている。だが、だれも、窃盗犯が侵入できそうな個所、あるいは侵入したと思われる箇所を見出すことはできなかった。
つまり、玄関か裏口のいずれかから鍵を使って入ったとしか思えないのだった。
事件翌日、再び事件が発生する。松濤の館脇宅のリビングルームが荒らされたのである。現場を見た萩尾と秋穂はなぜか、その荒らされた状況に違和感を感じた。
このストーリーのおもしろいところがいくつかある。
1.密室殺人事件と同様に、この事件は密室窃盗事件という状況にある。その捜査と謎解きが進んで行くことになる。
2.「ソロモンの指輪」の理解のために古代史に話が及んでいくこと。つまり、旧約聖書に記されたイスラエル王国の三代目の王、ソロモンという実在の王の指輪だという。鉄と真鍮でできた指輪。だが本物なら価値は計り知れない。
館脇が言った音川への聞き込みから萩尾は古代史の背景を聞かされることになる。つまり、読者もまた、古代史に誘われる。それはさらに、超古代史であるアトランティスの話にまで及んでいく。古代史ロマンの香りが濃厚に折り込まれて行く。
3.館脇が指輪のことを公表すると命の危険を感じるというのは、古代史にリンクしている。音川が伝説化されていると言いつつ、イスラム教の分派のさらに分派である二ザール派の存在を語る。「山の老人」とか「山の長老」と称される暗殺教団が居るという。それが関わってくる可能性を示唆する。萩尾は音川の話の信憑性にとまどう。
4.館脇が命が危険に曝されていると主張するので、萩尾は係長にその旨報告する。その結果、捜査一課の刑事二人がこの窃盗事件に端を発して関わってくることになり、彼らが思わぬ方向に走り出すことになる。それは萩尾の目には冤罪事件を引き起こしかねない暴走に見える。そこでその対応を迫られる羽目になる。
5.「ソロモンの指輪」というキーワードが実に巧妙に使われている。このストーリーのモチーフはここにあるようだ。意外な事実展開へと進展する。
6.「窃盗」という犯罪事件の成立要件は何か。改めて、原点を考えさせるところが興味深い。
読み初めて「ソロモンの指輪」という名称が出て来た時、最初に連想したのは、動物学者コンラート・ローレンツが書いた『ソロモンの指輪』という本のタイトルだった。この本のことはこのストーリーの中でもその名前が出てくる。
ネット検索で調べてみると、「ソロモンの指輪」がトルコで発見されたというニュースが、2017年10月に報道があったようである。ひょっとしたら、これがこのフィクションの創作への一つのヒントになったのかも・・・・と後で思った。単行本のカバーの使われている指輪がそれに相当するものと思われる。
このストーリー、密室窃盗事件という点と指輪の由来に関連する古代史語りの側面に引きこまれ、一気読みをしてしまった。エンターテインメント作品として面白い。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連し、関心事項を少しネット検索した。一覧にしておきたい。
ソロモンの指輪 :ウィキペディア
Magical Seal of Solomon May Have Been Found in Turkish Raid
Paul Seaburn October 6, 2017 :「UNIVERSE」
伝説の「ソロモンの指輪」を遂にトルコで発見か! 悪魔を操り動物の声を聞く“神秘の指輪”を警察が押収、大騒ぎに!【歴史的偉業】 :「知的好奇心の扉 トカナ」
ギルガメッシュ :ウィキペディア
ギルガメシュ叙事詩 :ウィキペディア
アトランティス :ウィキペディア
ブラウン気体 :「オーバーツの謎 古代文明研究」
酸水素ガス :ウィキペディア
「ソロモンの指環」とは何なのか :「VIEW NHKテキスト」
コンラート・ローレンツの同名の本の解説の中で、「ソロモンの指輪」を語る。
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』 幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『機捜235』 光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』 講談社
『プロフェッション』 講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18
英語の辞書を引くと、the Apocalypse と記せば、新約聖書の最後の書『ヨハネの黙示録』のことだそうである。まず第一羲は the apocalypse として「この世の終わりの日」を意味し、第二義に[単数形で]「大惨事、大事件」を意味するとある。
この小説のストーリーを読むと、直接的には「大事件」という意味が一番近いと思う。しかし、この窃盗事件解明のストーリーの背景に、古代史、超古代史の世界が広がっているので、旧約聖書を含めて語り継がれた話とこの世の終わりということもダブル・ミーニングとして使われていると言える。それ故、タイトルが「黙示」となっているのだろう。
本書は「小説推理」(2019年3月号~2020年2月号)に連載された後、2020年6月に単行本として刊行されている。
渋谷署管内の超一等地、松濤の戸建て住宅で窃盗事件が起きた。警視庁刑事部捜査第三課に連絡が入り、係長の指示で窃盗を捜査する第五係の萩尾秀一警部補はペアを組む武田秋穂と現場に赴く。渋谷署盗犯係の林崎係長とその部下たちに協力しながら、萩尾・秋穂のペアによる捜査がストーリーの中心になる。萩尾は刑事になって以来、盗犯担当一筋というベテランである。秋穂とペアを組むようになり、戸惑いを感じつつも、徐々に秋穂の持つ感性、女性の観察眼の鋭さに注目するようにもなってきていた。そんな一組の刑事の捜査活動が描かれて行く。
被害に遭ったのは、現在は社名を「タテワキ」と改称した会社の経営者であり、資産家の家柄の館脇友久60歳。盗まれたのは「ソロモンの指輪」だけ。しかし、その指輪は国宝級のもので、なんと4億円で入手したと言う。館脇はその指輪を所蔵していることを世間に知られたくないと言う。
館脇はその指輪のことを多くは語りたがらなかった。その内容を語ると、己の身に危険が迫る恐れがあり、命が危ないのだと訴える。だが、萩野は捜査の必要性から少しずつ指輪についての情報を聞き出していく。
館脇は松濤の自宅の書斎、ドアの両脇の書棚の先の左右の壁と正面の壁にそれぞれ2つずつ合計6つ、ガラスがはめ込まれた陳列棚を設置している。部屋には窓がない。それぞれの棚は5段。そこに歴史的な考古学の出土品といえる品々が並んでいる。例えば、シュメールの楔形文字が刻まれた粘土板、それを入手するのに3億ほどかかっているという。館脇は古代史の研究や出土品の収集をするマニアなのだ。
館脇は自宅全体とこれらの陳列棚について、大手の警備保障会社・トーケイとセキュリティ契約をしている。
館脇は言う。未明の1時頃に陳列棚に指輪があった。そして午前8時に指輪がなくなっているのに気づいたと。その後、警察に連絡をしたのだ。
萩尾が事件現場に居るとき、30代半ばの男が現れる。館脇は萩尾にその男を紹介した。石神達彦と称する私立探偵で元警察官。館脇は、警察とは別に、石神に事件の調査と併せて己の身辺警護を依頼していたのだ。
館脇は結婚していない。両親の死後は一人暮らしの自宅である。松濤の家の鍵と防犯装置専用キーを持ち、陳列棚を開ける認識番号を知る人間は館脇本人以外に、次の二人が居ることがわかる。
横山春江 55歳。家政婦。先代の頃から30年、この家に通いで働いている。
雨森夕子 47歳。会社の秘書。館脇が自宅で仕事をすることが多いため。
また館脇は、事件発生後に雇った石神に自宅の鍵と防犯装置専用キーを預ける機会があった。
館脇がソロモンの指輪を所有することを知っているのは、その結果、家政婦の横山、秘書の雨森、この事件を契機に雇った石神、そして世田谷の美術館のキュレーターである音川理一だという。考古学的な展示で貸し出す折に音川と知り合い情報交換する持ちつ持たれつの関係にあるという。
事件現場の書斎を検分後、萩尾は秋穂とともに、住居の周囲を見て回った。渋谷署の捜査員も同様にチェックしている。だが、だれも、窃盗犯が侵入できそうな個所、あるいは侵入したと思われる箇所を見出すことはできなかった。
つまり、玄関か裏口のいずれかから鍵を使って入ったとしか思えないのだった。
事件翌日、再び事件が発生する。松濤の館脇宅のリビングルームが荒らされたのである。現場を見た萩尾と秋穂はなぜか、その荒らされた状況に違和感を感じた。
このストーリーのおもしろいところがいくつかある。
1.密室殺人事件と同様に、この事件は密室窃盗事件という状況にある。その捜査と謎解きが進んで行くことになる。
2.「ソロモンの指輪」の理解のために古代史に話が及んでいくこと。つまり、旧約聖書に記されたイスラエル王国の三代目の王、ソロモンという実在の王の指輪だという。鉄と真鍮でできた指輪。だが本物なら価値は計り知れない。
館脇が言った音川への聞き込みから萩尾は古代史の背景を聞かされることになる。つまり、読者もまた、古代史に誘われる。それはさらに、超古代史であるアトランティスの話にまで及んでいく。古代史ロマンの香りが濃厚に折り込まれて行く。
3.館脇が指輪のことを公表すると命の危険を感じるというのは、古代史にリンクしている。音川が伝説化されていると言いつつ、イスラム教の分派のさらに分派である二ザール派の存在を語る。「山の老人」とか「山の長老」と称される暗殺教団が居るという。それが関わってくる可能性を示唆する。萩尾は音川の話の信憑性にとまどう。
4.館脇が命が危険に曝されていると主張するので、萩尾は係長にその旨報告する。その結果、捜査一課の刑事二人がこの窃盗事件に端を発して関わってくることになり、彼らが思わぬ方向に走り出すことになる。それは萩尾の目には冤罪事件を引き起こしかねない暴走に見える。そこでその対応を迫られる羽目になる。
5.「ソロモンの指輪」というキーワードが実に巧妙に使われている。このストーリーのモチーフはここにあるようだ。意外な事実展開へと進展する。
6.「窃盗」という犯罪事件の成立要件は何か。改めて、原点を考えさせるところが興味深い。
読み初めて「ソロモンの指輪」という名称が出て来た時、最初に連想したのは、動物学者コンラート・ローレンツが書いた『ソロモンの指輪』という本のタイトルだった。この本のことはこのストーリーの中でもその名前が出てくる。
ネット検索で調べてみると、「ソロモンの指輪」がトルコで発見されたというニュースが、2017年10月に報道があったようである。ひょっとしたら、これがこのフィクションの創作への一つのヒントになったのかも・・・・と後で思った。単行本のカバーの使われている指輪がそれに相当するものと思われる。
このストーリー、密室窃盗事件という点と指輪の由来に関連する古代史語りの側面に引きこまれ、一気読みをしてしまった。エンターテインメント作品として面白い。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連し、関心事項を少しネット検索した。一覧にしておきたい。
ソロモンの指輪 :ウィキペディア
Magical Seal of Solomon May Have Been Found in Turkish Raid
Paul Seaburn October 6, 2017 :「UNIVERSE」
伝説の「ソロモンの指輪」を遂にトルコで発見か! 悪魔を操り動物の声を聞く“神秘の指輪”を警察が押収、大騒ぎに!【歴史的偉業】 :「知的好奇心の扉 トカナ」
ギルガメッシュ :ウィキペディア
ギルガメシュ叙事詩 :ウィキペディア
アトランティス :ウィキペディア
ブラウン気体 :「オーバーツの謎 古代文明研究」
酸水素ガス :ウィキペディア
「ソロモンの指環」とは何なのか :「VIEW NHKテキスト」
コンラート・ローレンツの同名の本の解説の中で、「ソロモンの指輪」を語る。
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』 幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『機捜235』 光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』 講談社
『プロフェッション』 講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18
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