KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2010北海道マラソン雑感・男子篇~ボーイズ・フロム・ケニア

2010年09月23日 | マラソン観戦記
長い長い夏がようやく終わりを告げた。全国的に記録的な猛暑だった今年の夏。北海道だけが例外、というわけにはいかなかったようだ。先月29日に開催された北海道マラソンも気温30℃、湿度70%というマラソンには全く不向きなコンディション。(不向きどころか、大会中止を検討してもいい。海外の都市マラソンでは、気温上昇を理由にレースを途中で中止した事例もある。)

残念なことに、日本の男子ランナーから新たなスターとなりえるランナーは登場しなかった。優勝は7月の札幌ハーフマラソンで優勝したサイラス・ジュイで記録はなんと2時間11分22秒。2位はアルン・ジョルゲ、3位はメクボ・ジョブ・モグスと日本の企業に所属するケニア人ランナーが上位を独占した。日本人では4位に一昨年の優勝者である高見澤勝が入ったのが最高の成績だった。

外国人が圧倒的優位という点で、今の日本の長距離界を、モンゴル出身の横綱が連勝街道まっしぐらの大相撲とダブらせる人もいるかもしれない。ケニア人のランナーが日本の駅伝を走るようになって、既に20年もの時が過ぎた。その間、彼らの存在は常に賛否両論の議論に晒されてきた。個々のランナーには、他の競技の外国人選手のように夜の街で遊びにふけったとか暴行事件を起こした、といった類の不祥事が無いのが救いで、受け入れる側にこの近年は不手際があり、せっかく来日したランナーが中退して帰国を強いられる事態にまで発展したケースも見られる。

最近目にした、彼らケニア人留学生ランナーについての意見で、一番面白かったのが、高校駅伝、箱根駅伝で活躍した後、実業団を経て吉本新喜劇入り(!)という異色の経歴を持つ陸上指導者、石本文人氏のブログに書かれていた、

「何で100mや幅跳びとか、短距離種目、跳躍、投てき種目に留学生がいないの?」

「短距離なら、アメリカ、ジャマイカあたりから連れてくるとたいがい強いと思うけどな(笑)

ボルドの弟とか親戚とか、大家族やから沢山血縁はいるし、喜んできそうやけどね。」

という意見である。これは鋭い、と思った。なぜ、陸上の留学生が長距離(駅伝)に限定されているのか、留学生を迎える学校の関係者が口にする「国際交流」と言う言葉の裏にある「本音」がここから見えて来る。つまりは、

「短距離や跳躍、投てきは“広告塔”になりにくい。」

ということなのだ。

それはともかく、ケニアから極東にやってくる少年たち、彼らの歩みも一様ではない。今回上位を占めた3人のランナーが、それぞれ、異なる競技生活を日本で過ごしてきたことに気がついた。

まず、優勝したジュイ。彼は15歳でジョセファト・ムチリ・ダビリとともに来日し、流通経済大学柏高校に入学し、3年後には流通経済大に入学するも、ついに都大路にも、箱根にも出場できなかった。昨年のこの大会の優勝者であるケニア人留学生の先駆けであったダニエル・ジェンガも同校の出身だが、4年間、箱根駅伝の予選会では圧倒的な強さを見せながら、ついに箱根の本大会を走ることはなかった。

「留学生一人の力だけでは、箱根には出られない。」

という好例になったが、その後ジュイとダビリは同校を中退(何らかの事情があったのかもしれない)。ジュイは日産自動車入りするも、同社の陸上部廃部に伴い、茨城の老舗実業団、日立電線に入社。同社には、かつて山梨学院大の箱根駅伝優勝に貢献したステファン・マヤカ(現在は日本に帰化し、真也加ステファン)氏も在籍していた。

日産での「ラストラン」となった、一昨年の熊日30kmレースでは7位に終わり、スピード・ランナーにはよくある「30km以降で失速を繰り返す」タイプと思い、事前予想では評価を低くしていたが、認識不足だった。日立電線移籍後、その弱点を繰り返すトレーニングを積み重ねていたのだろう。同社にはかつて、国際マラソンでは常に前半は先頭グループに食らいついていた鈴木幸夫氏や、先頭グループにはいないのに、ゴール時にはきちんと上位で戻ってくる小松丘育氏(元監督でもある)のような記憶に残るランナーがいた。マラソン・トレーニングについては、ノウハウがあるのだろう。

なんといっても茨城県というところは陸連公認のフルマラソンが年に3回も開催される、という「マラソン王国」だ。ジュイの次のレースだが、おそらくは来年の東京かびわ湖でサブテンを狙ってくるだろうが、鈴木氏や小松氏らのように、地元茨城の勝田マラソンで優勝して、同大会の提携大会であるボストンに派遣されて、そこで世界の強豪たちと勝負してもらいたい、というのが個人的な要望である。

2位のジョロゲは同じ茨城の小森コーポレーションに所属。このチームにはジュイの同期生のダビリも所属している。彼はケニアの高校を卒業してから来日。その直後に丸亀ハーフマラソンに出場していきなり優勝してみせたランナーである。昨年の福岡で初マラソンで8位。今回2度目のマラソンで2位とステップ・アップしたが、もっと存在感をアピールしたいところだ。

3位のモグスは、一番名前を知られているだろう。山梨学院時代の箱根駅伝では「花の2区」で2年連続区間新記録をマークした走りを思い出す人も少なくないと思う。卒業後は、かつては母校の先輩だったオンベチェ・モカンバと同様に、求人広告紙を発行するアイデムのサポートを受けて競技を続けているが、先述の真也加氏をはじめとして、箱根駅伝を沸かせた同校のケニア人留学生ランナーの大半は、卒業後マラソンでは好成績を残せずにロードを去っている。このモグスも、初マラソンである昨年の福岡ではリタイア。今回も26km過ぎて先頭に立ち、独走するものの、終盤で失速しジュイとジョロゲにかわされた。

気になるのは、レース途中で紹介されたインタビューの中で、

「暑さは苦手」

と発言していたことだ。初マラソンで失敗しているのだから、2度目のマラソンはもっと、自分にとって好条件の大会を選べば良かったのにと思ったが、スポンサーとの「絡み」で、自身では大会を選べないのであろうか?ただ、この一言だけで揚げ足を取るような事を書いてはいけないとも思うが、今の環境ははたして彼にとって、ベストだろうかと考えてしまった。一人で競技を続けるよりも、学生時代のように、駅伝のチームメイトたちと交流しながら強くなっていく環境の方がいいのではないかと思ってしまった。次は、冬のマラソンで本領を見せて欲しい。

そして、7km過ぎから積極的に飛び出し、独走したジョセフ・ギタウ。駅伝の強豪である世羅高校出身で同校の都大路優勝に貢献、卒業後は広島のJFEスチールに入社。「県立高校出身の留学生」ということでは異色の存在である。彼も昨年の福岡が初マラソンだったがリタイアしている。

こうしてみると、在日ケニア人と言っても、そのキャリアは様々だ。高校、大学時代に駅伝で活躍した者、できなかった者。しかし。彼らが目指すものは一つだろう。ダグラス・ワキウリ、エリック・ワイナイナ、そしてサミュエル・ワンジル。日本に留学、ないし実業団入りして五輪のマラソン・メダリストとなったランナーたちの系譜の中に、自身の名前を刻もうとしているのだ。

特に、北海道マラソンは、ワイナイナが初マラソン初優勝を果たした大会である。ケニアから来日した彼らにとっては、特別な大会であろう。ちなみに、現在は37歳で、一線を退いたかに見えたワイナイナは今年のサロマ湖100kmマラソンで、100km初挑戦で初優勝して健在ぶりを見せた。将来はサロマの上位もケニア人ランナーが独占するかもしれない。

日本勢は10km過ぎて、テレビカメラに捉えられることがなくなった。唯一、過去に優勝を経験している高見澤だけが、

「ここでは、日本人には負けられない。」

という気持ちを持っていたのか4位に食い込んだのが最高だった。やはり、マラソンというのは「気持ち」が大事だ。






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