KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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箱根駅伝、その人気の正体

2008年01月19日 | 駅伝時評
13日の日曜日の朝、所用で出かけるまでの時間潰しにテレビを見ていた。新聞のテレビ欄によると日テレ系の「ザ・サンデー」は未だに箱根駅伝の関連特集をやるようなのでチャンネルを合わせていたのだ。

そこで紹介されていたのが「箱根駅伝歴代名場面ベスト10」なる企画。まあ、どうせ全国ネットでの完全生中継が始まった'87年以後の大会からのみ選んだもので、石井隆士さんや服部誠さんや大久保初男さんら'70年代の名ランナーは出て来ないのだろうなと思ったが案の定だった。

しかし、「ベスト10」に選ばれたシーンを見て、正直唖然とした。一体誰がどのような基準でもって選んだのだろうか?事前に一般視聴者にアンケートを取っていたのか(普段、この番組はほとんど見ていないので知らない。)?スタッフが合議の上で決めたのか?それとも毎年、沿道で応援しているというこの番組の司会者がどこかの「マラソン大賞」のように独断と偏見で選んだのか?

もし、僕が選ぶなら、絶対に選ばないようなシーンが幾つも入っていた。(実際に選ぶとして、10も選べるだろうか、自信がない。)

10の内、途中棄権のシーンが3つ、脱水状態でリタイア寸前になるシーンが2つ。繰り上げスタートのシーンが1つ。半分以上が、「あって欲しくないアクシデント」のシーンだったのだ。

人の好みは十人十色、あの子ああ言うこの子こう言うものだから、他人が何に感動しようが、余計な口を挟むべきではないとはないと思うが、それにしてもなんか「違うんじゃないか」と思ってしまった。なにせ、ナンバー1が'96年の、あのランナーの4区での棄権シーンだったのだから。

近年、箱根駅伝の人気の過熱には、厳しい批判の声が少なくない。実は
「箱根駅伝など1度も見たことがない。」
のだと公言する海外在住のスポーツ・ジャーナリスト氏までがネット上でボロクソに批判していたほどだ。(一流のスポーツ・ジャーナリストなら、そんな粗雑な事をしても許してもらえるのだろう。僕など、自分がこの目で見たものについてしか、書く勇気がない。)
「数多の才能と可能性を秘めたランナーが箱根駅伝で潰れている。」
との批判の声は根強いが、はっきり言って、途中棄権や脱水状態でフラフラになるシーンというのはまさしく、ランナーが潰れる決定的瞬間の実況中継ではあるまいか?
「この経験を次に生かして」
なんて、足の傷よりも深い傷を心に負ったランナーに言えるほど、僕は無神経ではないつもりだ。

以前にも書いたが、繰り上げスタートのシーンを「悲劇的名場面」と扱うのも僕の好みではない。道路使用許可をめぐる現実的な問題を隠して、
「仲間の汗の染み付いたタスキが途切れた!」
と絶叫するのはいかがなものかといつも思う。

しかも、ここで「母校のタスキを渡せなかった男」として悲劇のヒーローと扱われたのが、'99年の法政大の9区を走った大村一さんなのが納得できない。大村さんと言えば、2年後の5区で暴風の中、トップでタスキを受け取り、順天堂大の奥田真一郎と中央大の藤原正和という「駅伝エリート」の猛追撃を振り切ろうともがくように坂を登っていたシーンこそ、名場面として選ばれるべきだった。

残り4つは、まあ妥当な選択だった。

「山の神、今井正人(順天堂大)」
「中川拓郎(順天堂大)のごぼう抜き新記録」
「初の外国人ランナー、J.オツオリ(山梨学院大)」
「箱根駅伝の申し子、渡辺康幸(早稲田大)」

しかし、あえて言わせてもらうなら、駅伝において「ごぼう抜き」というのは、テレビ的には華やかではあるが、そのランナーより前の区間のランナーがブレーキを起こさないと見られないものなのだ。真に強い駅伝ランナーは、ぶっちぎりのトップでタスキを受け取り、独走状態で区間賞を取れるランナーなのである。'97年初優勝時の神奈川大のアンカーのように。

現在早稲田大駅伝監督の渡辺さんは確かに学生時代、素晴らしいランナーだったが、'94年の1区はむしろ、井幡政等にとっての「名場面」だった。区間新記録の渡辺さんにわずか27秒に詰め寄る彼の走りが、この年の山梨学院大の優勝につながったのだから。ちなみに区間3位の高橋健一さんは1分41秒差をつけられていた。

高い人気を誇る箱根駅伝だが、アクシデントにばかり注目が集まるようでは、この中継テレビ局が毎年夏にやっている24時間テレビの100kmマラソンと大して変わりないではないか。

まあ、別にそれでもいいけど、それなら去年の世界選手権、惨敗惨敗と言うなよな。



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