落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

抜け殻

2012年03月02日 | 政治・外交
河村市長の「南京事件は無かった」発言に批判が出ている。

「1998年11月、江沢民は中国の国家元首として初めて日本を訪れた。この訪日で江は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言して、日本の歴史教育を激しく非難した。」(WikiPedia)
日中友好を唱えながら反日教育を行っている中共、日本の各界に浸透した結果だろう。
他国の干渉で自国の歴史を教科書に明記できない日本。英霊を祀る神社に議員が堂々とお参りできない日本。

「歴史は一国の魂である。いまの日本は魂を失って、抜け殻のような国となっている。」
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建国記念日は国の基 2012/03/01 (Thu)

 この冬は、26年振りの厳冬だという。
 豪雪に見舞われている方々を、心からお見舞したい。
 東日本や、北陸、北海道と較べて、東京は常春のようなものだ。米沢市の山のなかで雪によって閉ざされている、旅館の若女将から、年賀状を貰ったので、「東京に住んでいると、『雪もよ(が降るなか)に鴛鴦(おし)(おしどり)の浮寝』といった『源氏物語』のロマンチックな連想しかなく、申し訳ありません」と返事を投函して、詫びた。
 東京で生活をしているのに、私は知り合いに出会うたびに、「寒いですね」とついこぼしてしまう。

 もっとも、日本では挨拶がわりに天気について話題にするが、イギリス人に似ているのかもしれない。イギリス人は会うと、すぐに天気の話をする。はにかみ屋だから会話に取りかかるのに、ふさわしい話題がないので、まるで不文律のようにかならず天気から入ってゆく。社交の挨拶となっているが、日本人によく似ている。
 それでも、私は「寒いですね」というたびに、忸怩(じくじ)とする。
 幼い時から両親から「寒い」とか、「暑い」とこぼしてはならないと、教えられてきた。何についても、ちょっとでも不平を唱えると、叱られた。また何が美味しいとか、不味いとかいってはならないと、厳しく躾けられた。

 だが、腹が立つ。この原稿を書いている時点で、もう3日も4日も続けて、NHK総合テレビがチョコレートを取り上げて、2月14日の“バレンタイン・デー”とかへ向けて、チョコレート熱を煽っている。
 今朝の7時の総合テレビのニュースでも、記者とカメラマンを地球の向こう側のいくつかのチョコレートの産出国まで派遣して撮った興味本位の映像を、長が長がと垂れ流していた。
 それだったら、明日は日本が誕生した紀元節――「建国記念の日」だ。高千穂の霊峰や、御供田や、神宮や神社で神職や、巫女が紀元祭の準備にいそしんでいる姿を放映すべきなのに、そうすることがまったくない。

 「建国記念の日」は、国会が制定した祝日である。それを無視するのでは、公共放送の資格がない。
 戦争に敗れて日本全国が焼土と化した時に、アメリカ兵が疾走するジープのうえから、あとを追う日本の子供たちに、チューインガムやキャンディや、チョコレートを、面白がってばら撒いたものだった。
 それをきっかけにして、「ギブ・ミー・チョコレート」が、新しい日本の建国神話になったのだろうか。
 今日の日本で、チョコレートをこれ以上貪ることを煽り立てるのは、筋違いである。精神的健康にも悪い。それよりも建国記念の日にちなんで、消費が落ち込んでいる米や、日本酒を盛り立てたほうが、農民や酒造りに精をだしている同胞を、励ますことになろう。

 私はNHKを地上波の教育放送以外は解体して、民間に払い下げるべきだと思う。深刻な財政難に陥っている時に、日本放送協会を“仕分け”の対象にして、競売にかけて売却すれば、不相応な厖大な資産をかかえているから、国益にそうことになる。

 NHKの存在感とは

 娯楽が過剰な時代に、どうして国民から視聴料を徴収して、巨費を投入して“大河ドラマ”や、“紅白歌合戦”や、韓流ドラマをはじめとする娯楽を提供する必要があるのだろうか。浪費としかいえない。
 NHKのNは、日本の頭文字であるはずだが、日本の名にまったく値しない。
 なぜ、NHKを存続させて、高額な視聴料を半ば強制的に取り立てるのか。NHKを廃止して、その分を財源が枯渇している高齢者福祉に回すべきだと思う。
 放送大学を民営化して有料にするか、栄光ゼミナールや、くもん、ベネッセなどの豊かな巨大な学習塾がいくつもあるから、喜んで放送大学を買うのではないか。
 NHKはNHKエンタープライズや、NHK出版をはじめとする無数の下請企業を抱えているが、みな伏魔殿となっている。NHKのKは、日本の国富の「寄生虫」のKではないか。
 私はこの28年にわたって、ボランティアとして全国盲人写真展の会長をつとめてきた。10数年も前のことになるが、フィルムメーカーが協賛してくれたことがあった。
 すると、NHKエンタープライズから、協賛企業がNHKエンタープライズに要求額を支払えば、「NHKが写真展を取材、放映して、“さりげなく”協賛企業の名前を大映しにする」と申し入れてきた。私はその時から、NHKの視聴料金を納めることを拒んで、いまに至っている。

 NHKが「昭和天皇戦犯裁判」や、日本の台湾統治が残虐なものだったという、良識ある新聞や、雑誌だったら取り上げることがない、奇矯か、病的としかいえない偏向した番組を、しばしば放映してきたことはよく知られている。
 暴力団が「反社会勢力」と、呼ばれるようになっている。NHKも日本社会を蝕む、巨大な反社会勢力である。善男善女が視聴料を納めることによって、反社会勢力を幇助しているのだからおぞましい。

 日本の神話は比類のない独特なものだ

 建国記念の日に戻れば、初代の天皇の即位を祝う日である。天皇が日本国民の精神的安定を支えていることに異を唱える者は、少ないはずだ。
 天皇がいない日本は、和を失って、中国や朝鮮と変わらなくなってしまおう。
 日本神話は、世界の諸民族の神話と較べて、比類のない独特なものだ。
 他の神話の最高神は絶対権力を握って独裁しているが、天照大御神は天の岩屋戸の物語をとっても、最高の権威であっても、権力を振うことがない。日本の神々はいつも額を集めて、相談している。これは、日本の国柄を現わしている。
 天上から天津神(あまつかみ)が降りてくると、それまで日本列島に住んでいた国津神(くにつかみ)と、共生する。仏教が渡来すると、神道と互いに排斥することなく習合した。

 7世紀に聖徳太子が『17条憲法』を公布したが、第10条は「自分だけが賢いと思ってはならない。人にはそれぞれの思いと、考えがある」と、諭している。
 「独り治むるべからず。民の扶けを待つ」
 その41年後に大化改新が行われると、皇極天皇が詔勅を発して、「独り治むるべからず。民の扶けを待つ」と述べている。日本は、和の民なのだ。
 日本を束ね、その国柄の中核として、皇室が存続してきた。天皇が日本国民の絆をしっかりと支えていることが、昨年の東日本大震災によっても明らかになった。

 今上天皇は125代目に当たるが、125人の天皇のなかで、1人として贅に耽った天皇が存在しないのも、他国ならまったく考えられないことである。
 日本は世界に誇れる独自の文化と、歴史を持っている。それが、日本の力となってきた。それなのに、先の大戦に敗れてから、あの敗戦の日以前の歴史を捨ててしまった。
 多くの日本国民がアメリカは230年あまりの歴史しかなく、歴史が浅い国だといって軽蔑する。だが、日本は67年以前の歴史を捨ててしまったから、世界のなかでもっとも歴史が浅い国となっている。日本は根のない国となっている。

 歴史は一国の魂である。いまの日本は魂を失って、抜け殻のような国となっている。

 独立国は自国の歴史と文化を、誇りにしなければならない。占領下でチョコレートと魂を交換してしまったのでは、この国を守り盛り立ててきた先人たちに対して、申し訳ない。
 人も国も自尊心を失っては、立ち行かない。

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何もかも悲観的になる必要はないと思うが、やはりどこか気になる三島さんの言葉。
作家三島由紀夫氏「決別宣言」(1970年7月産経新聞)
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことが出来ない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかと感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。それでいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」