落葉松亭日記

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縄文土器は世界最古級

2012年03月18日 | 歴史
日本文明は中国・韓国から渡来し発生したというのが、当方のような年代の習った歴史観だった。
発見された縄文土器の古さなど、近年の研究成果ではそうではなく、世界四大文明発祥の地よりも古いもののようである。
小さな島国日本、しかしその歴史の古さは人類史上最古級となれば、ちょっと嬉しい気がする。

青森県太平山元(おおだいやまもと)遺跡土器 1万6,500年前
ロシア沿海州 1万5,000年前
中国長江(揚子江)中流域の南部 1万8,000年~2万年前
南アジア、西アジア、アフリカでの最古 約9,000年前
ヨーロッパ 約8,500年前

にもかかわらず、中学校歴史教科書各社の表現には開きがあり、依然として中国・韓国の下流歴史観に基づくものが多いらしい。
■■ Japan On the Globe(740) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■H24.03.18
国柄探訪: 歴史教科書読み比べ(2)~ かけ離れた縄文人の自画像
 二つの教科書に描かれた縄文人の姿は、こんなにかけ離れている。

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■1.「世界最古の土器」

 我が国の源流とも言うべき縄文時代で、扶桑社と東京書籍の歴史教科書を比べてみると、前者には明記されているのに、後者には書かれていない重大ポイントがある。
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(扶桑社) 今から1万数千年前、人々は、食物を煮炊きしたり保存したりするために土器をつくり始めました。これらの土器は、その表面に縄目の模様(文様、もんよう)がつけられることが多かったため、のちに縄文土器とよばれることになります。
これは世界で最古の土器で、縄文土器が使用されていた1万数千年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代とよび、このころの文化を縄文文化といいます。[1,20]
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(東京書籍) 今から約1万年前、氷河期が終わり、海水面が上昇したため、それまで大陸の一部であったところが島となり、日本列島ができました。
 そのころ、人々は土器をつくり始めましたが、その土器は、表面に縄目のような文様がつけられていることが多いので、縄文土器と呼ばれています。このため、このころの文化を縄文文化、この時代を縄文時代と呼びます。[2,p18]
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 扶桑社版によれば、「日本の縄文時代は1万数千年前に始まり、世界で最古の土器を作り出した」のに対し、東京書籍版では「約1万年に始まった」とし、「世界最古」という記述はない。

■2.日本の土器は世界最古?

 土器は、文明度を計る重要な目安である。旧石器時代には、人類は移動生活を送りながら、狩りや木の実の採取などで暮らしていた。道具と言えば石を砕いて作った石器ぐらいしかなかった。
 そこに土器が発明されると、煮炊きが可能となって様々な動植物を食料とすることができ、さらに食料の保存もできるようになる。それによって、人類は定住生活を営めるようになった。
 また土器は土をこねて作るので、模様をつけたり、火焔の形を作ったりと、芸術表現も可能となる。こうした生活の一大進歩を象徴しているのが、土器の登場なのである。
 その土器を世界で最も古い時代に作り出したということは、当時の世界でも日本列島は文明的には最先端にいた、ということになる。

 日本の土器が「最古」というのは、本当なのだろうか? 現在、世界最古と考えられている土器の一つが、青森県大平山元(おおだいやまもと)遺跡から出土したもので、約1万6500年前。これは模様のない無文土器だが、約1万4500年前ごろには、粘土ひもをはりつけた「隆線文土器」が生まれ、全国に広がっている。

 世界の他の地域では、南アジア、西アジア、アフリカでの最古は約9千年前、ヨーロッパが約8500年前で、これらに比べると、飛び抜けて古い。

 岡村道雄・元文化庁主任文化財調査官は、日本列島の土器は「質量ともに世界の他の時代や地域のものとくらべても際立っている」と述べている。[3,p55])

■3.「森の民」が、いちはやく土器づくりを開始した

 ただ日本海の対岸であるロシア・アムール川流域(沿海州)では約1万5千年前の土器が出土している[4]。さらに、近年の中国考古学の発展によって、2万~1万8千年前の土器が長江(揚子江)中流域の南部で見つかっている。
 したがって厳密には「世界最古」と言うより、中国南部や沿海州と並んで、「世界最古級」の土器、というべきであろう。
 これらの地域で先進的な土器作りが始まった理由を、環境考古学の国際日本文化研究センター教授・安田喜憲教授は、こう述べている。

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 最終氷期の東アジアには、北と内陸部の草原地帯、南と海岸部(JOG注: 日本海の両岸、すなわち日本列島と沿海州)の森林地帯という異質な2つの生態地域が明白なコントラストをもって分布していた。・・・
 最終氷期最盛期が終末に近づいた頃、「森の民」が、いちはやく土器づくりを開始し、世界にさきがけて定住生活に入ったということができるだろう。氷期から後氷期の気候変動のなかで、いち早く森林環境が拡大した中国南部において、土器は2万~1万8000年前の最終氷期最盛期後半に出現し、1万6500年前には日本列島北部から沿海州において土器づくりが始まった。[5]
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 この研究成果からすれば、定住生活と土器作りにおいては、中国南部から沿海州、日本列島にかけての地域は、世界の最先端を走っていた、ということができよう。

■4.「森の民」としての自画像

 ここで注意すべきは、この長江流域の「森の民」とは、1万年以上も後に草原地帯である黄河流域で中国文明を興した畑作牧畜の漢民族とは異なる、という点である。
 安田教授は、6300年前に長江流域で、巨大文明が誕生していたことを発掘調査で明らかにした。それは長江を利用して稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であり、漢民族による黄河文明よりも、千年も早い。この長江文明の祖先が、長江流域で世界にさきがけて定住生活に入った「森の民」だろう。

 弊誌402号「日本のルーツ? 長江文明」では、この長江文明の民が、4200年前の気候の寒冷化で黄河流域から南下してきた漢民族に敗れ、一部は中国南部の少数民族となり、他の一部は台湾や日本に渡った、という安田教授の仮説を紹介した。[a]
 前節で紹介した安田教授の研究は、さらに遡って、我が国が縄文時代から、長江流域の「森の民」と密接な関係にあったという仮説を示している。
 縄文時代の日本列島が、長江流域や沿海州とともに、世界に先駆けて定住生活に入り、先端的な土器作りを始めた、という点は、日本人の自画像を描く上で、大切なポイントである。

■5.縄文人たちの高度な技術と文化

 縄文文明の先進性を物語っているのが青森県の三内丸山遺跡である。育鵬社版では口絵の見開き2ページで、イラスト、写真を使って説明している。説明文にはこうある。[1,p16]
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 これは、今から約5500~4500年前に青森県で栄えていた縄文時代の集落跡・三内丸山遺跡です。縄文人たちは、私たちが想像する以上に高度な技術と文化をもち、豊かな共同生活を営んでいました。
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 そこには、長さ32m、幅9mの大型竪穴住居や、高さ14.7mの櫓(やぐら)状の建物の復元写真、さらには北海道や長野、新潟から運ばれたひすいや黒曜石の飾り石などを写真で紹介している。
 縄文時代の人々が、毛皮をまとい、狩りをしたり、貝や木の実を採集して原始生活を営んでいた、というイメージはすでに過去のものとなっているのである。

■6.中国文明の後で、日本列島の原始生活イラスト

 一方、東京書籍版が描く縄文時代は、この過去のイメージから脱却していない。「2 文明の発生と東アジア世界」では、世界の文明の進展状況を以下の順で記述している。

・「新石器時代」 今から1年ほど前、土器や磨製石器を使うようになった。
・「文明の発生」 アジア、アフリカの大河のほとりで、国ができた。いわゆる中国、インダス、メソポタミア、エジプトのいわゆる四大文明。
・「中国の古代帝国」 殷の甲骨文字(3600年前)、秦の始皇帝陵の兵馬俑(へいばよう)(2200年前)、儒学、シルクロード経由の仏教。(なぜか、「紀元前後に朝鮮北部には高句麗が興る」と、とってつけたような記述もある)

 こうして中国文明の先進ぶりを詳しく紹介した後で、「3 縄文文化と弥生文化」の章で、ようやく日本列島が登場する。最初のイラストは、小さな竪穴式住居の周辺で毛皮をまとった人々が、土器を作ったり、小舟で魚取りをしている集落の様子だ。

■6.毛皮を着た原始人がどうして高さ15mの建物を建てられたのか?

 せいぜい3600年前から2千年前の中国文明を記述した後で、いきなり1万年前の日本列島の様子を、しかも原始生活の想像図で描く、という構成では、中国では文字を発明したり、儒学を興したりしていた時代に、日本列島では毛皮を着た原始生活をしていた、という誤解を中学生たちに与えかねない。
 前述のように、最新の研究成果によれば、日本列島は長江流域に続いて1万6500年前には定住生活に入り、土器を作り出していた。黄河流域で漢民族による中国文明が興るのは、その1万年以上も後の全く別時代のことである。
 さすがに三内丸山遺跡に関しては、1ページのコラムで紹介しているが、縄文時代の本文とは離れて、弥生時代の記述の後に出てくるのみで、しかも原始生活のイラストや記述との関連性はまるで語られていない。
 イラストに描かれた原始生活と、高さ15mもの建物が同じ縄文時代だと気がついて、毛皮を着た原始人が、どうしてこんな巨大な建物を建てられたのか、と疑問に思う中学生はごく少数だろう。

 逆に、この三内丸山遺跡のコラムは、本文の「弥生文化の成立」で、「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」稲作や金属器が伝えられた、と述べたページの直後に置かれているので、これも中国・朝鮮から伝わった技術かと、勘違いする中学生も出てくるだろう。
 こんな不自然な記述順序では、先進的な中国文明が朝鮮を通じて、原始生活を送っていた日本列島に入ってきた、という誤った先入観を植え付けかねない。

 一方、育鵬社版は、年代順に「2 豊かな自然と縄文文化」で、縄文土器や三内丸山遺跡を述べた後に、「3 文明のおこりと中国の古代文明」に入っていく。これが自然な構成である。

■7.縄文人の後進性を強調する東京書籍版

 縄文人の生活に関しても、両者の記述ぶりは大きく異なる。東京書籍版はこう述べている。
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 縄文時代には、植物の栽培が始まりましたが、木の実やけものや鳥、魚や貝などが豊富にあったため、農耕や牧畜は、あまり発達しませんでした。人々は集団をつくり、たて穴住居に分かれて住みました。海岸や水辺には、食べ物の残りかすなどを捨てた貝塚ができました。[2,p18]
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 自然の食べ物が豊富にあったので、「農耕や牧畜は、あまり発達しませんでした」と否定的な表現をしている。この点は、時代を逆転させて、この前に「アフリカやアジアの大河のほとりでは、農耕や牧畜が発達し」と述べていたのと対比した記述であり、縄文人の後進性をことさらに強調している。

■8.縄文人の生活を生き生きと描く育鵬社版

 これに対して、育鵬社の教科書は、当時の人々の生活の有様を生き生きと描いている。土偶の写真とともに、以下のように述べる。
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 また、この時代の遺跡からは、神殿や、女性をかたどった土偶とよばれる人形(ひとがた)が見つかっています。土偶は、豊かな自然のめぐみや子孫繁栄などを祈るためにつくられたと考えられています。[1,p21]
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 縄文人の食生活についても、具体的に記述されている。
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 縄文時代の人々の生活は、魚介類をとったり、狩猟や採集を中心とするものでしたが、クリやクルミ、あわやひえなども栽培しており、原始的な稲作も始まっていました。また、干物や塩漬けなどの保存食や、木の実を原料とした酒をつくる技術をもっていました。こうした食料をたくわえる技術の進歩が、人々の定住化をうながしました。
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 さらに、季節ごとに、夏はイワシやカツオなどの漁労、冬はイノシシ、シカ、ウサギなどの狩猟、春や秋はゼンマイやクリなどの採集をしていた図を示し、「縄文人は、季節ごとの自然のめぐみに合わせて、規則的な生活を送っていた」と紹介している。

 このような記述のあとで、育鵬社版は、こう結論づけている。

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 人々が豊かな自然と調和して暮らし、約1万年間続いた縄文時代は、その後の日本文化の基盤を作りました。[1,p20]
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 東京書籍版が、縄文人を単に文明の遅れた原始人として、突き放して記述しているだけなのに対し、育鵬社版は、最新の研究成果に基づいて、高度な技術と文化を持ちながら、豊かな自然の中で調和して暮らしていた我が祖先の姿を、生き生きと描き出している。

 多感な中学生時代に、どちらの教科書で自画像を学ぶかによって、人格形成上でも、大きな違いが出てくるだろう。

(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(304) 日本のルーツ? 長江文明
 漢民族の黄河文明より千年以上も前に栄えていた長江文明こそ、日本人のルーツかも知れない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h15/jog304.html

b. JOG(134) 共生と循環の縄文文化
 約5500年前から1500年間栄 えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺跡の発掘は、原日本人のイメージに衝撃を与えた
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h12/jog134.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 伊藤隆他『新しい日本の歴史─こんな教科書で学びたい』★★★、育鵬社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594064019/japanontheg01-22/br>
2. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

3. 岡村道雄『日本の歴史01 縄文の生活誌』★★、講談社学術文庫、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/406291901X/japanontheg01-22/

4. asahi.com、H21.10.03「日本の土器、世界最古なの?」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200910030143.html

5. 安田喜憲「長江流域における世界最古の稲作農業」、『ARDEC』、H16.3
http://www.jiid.or.jp/files/04public/02ardec/ardec29/key_note3.htm