落葉松亭日記

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海の日

2012年07月16日 | 日常・身辺
 海の日
雨と霧が数日続いたが、今日は一転して爽やかな青空が広がった。
部屋からは明石姫路方面の海や小豆島が久しぶりに望めた。

今日は「海の日」だ。そのいわれは何だったのか検索してみた。
「海の日の由来、知っていますか?」より
http://www.meiseisha.com/katarogu/hinomaru/hata-bi.htm
●条文  【国民の祝日に関する法律】
海の日 七月の第三月曜日

海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う。

●由来
 明治天皇は、旧来の陋習をやぶって、次々に近代日本の改革を断行されました。また、全国を巡幸されることも多くありました。
 明治九年(1876)、明治天皇は、五十日をかけて東北地方を巡幸されましたが、この時、はじめて船に乗船されました。七月二十日は、青森から函館を経由して横浜に到着された日です。
 この日は、長く「海の記念日」と呼ばれてきましたが、平成七年の法改正で翌年より「海の日」として祝日になりました。

 日本は、四方を海に囲まれた海洋国家で、海なくして日本の繁栄はありません。海の恩恵に感謝し、さらに、明治の国づくりに思いをいたし、この日を迎えたいものです。

※祝日
 戦前は祝日と祭日の両方があったが、戦後の祝日法(国民の祝日に関する法律 昭和23年7月20日公布・施行)では祝日のみとなった。
※祝日の移動
 制定当初は七月二十日であったが、平成十三年の祝日法の改正(いわゆるハッピーマンデー法の第二弾)によって平成十五年からは七月の第三月曜日とされた。歴史や伝統に由来する祝祭日まで変更してしまうことを危惧する声も挙がっている。

日本にはたくさんの神社があり、海の神様が祀られている。各地にある「住吉さん」は代表的な神社。
神戸市垂水区には、「海神社」がある。Wikipediaによれば

「海神社(わたつみじんじゃ)は兵庫県神戸市垂水区宮本町に鎮座する神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
「綿津見神社」とも表記され、「かいじんじゃ」とも読まれる。古くは、あまじんじゃ・たるみじんじゃ、日向大明神、衣財田大明神。「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年(1871年)に採用したものである。『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。「タルミ」の読みは、祭神の本来の名称が垂水神であったことによるものである。「アマ」は、当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。」

とあった。自分の出生地は垂水(タルミ)であったが、そんないわれがあったとは恥ずかしながらこの年まで知らなかった。

先日登った大峰奥駈道・弥山には頂上に弥山神社があった。その祭神は高い山上にもかかわらず「市杵島比売命」という海の神様だった。

今読んでいる稻村公望著「黒潮文明論」には、日本の自然や文化が海の大河「黒潮」にいかに深く由来しているというお話が書かれていて興味深い。遠く南洋の島々、フィリピン、台湾、沖縄、日本は同じ黒潮の民という。
その沖縄は、シナの新聞では自国の領土「琉球自治区」と宣伝している。
基地問題で揺れ、政府も腰が定まらないのは残念だ。
沖縄県民も国民もだんだんと己が何者か分からなくなりつつあるかのようだ。

黒潮洗う足摺岬

 1972年2月