落葉松亭日記

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政府、国家安保戦略を決定

2013年12月19日 | 政治・外交
中共・朝鮮半島の軍事脅威に対する安倍政権の対応、国防戦略・大綱が決定した。
国際秩序主導に転換 政府、国家安保戦略を決定 2013年12月18日(水)08:02 (産経新聞)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20131218085.html

 政府は17日、国家安全保障会議(NSC)と閣議を開き、外交・安全保障政策の包括的指針である「国家安全保障戦略」と「防衛計画の大綱」、平成26年度から5年間の「中期防衛力整備計画(中期防)」の3文書を決定した。
初策定の安保戦略は、安倍晋三首相が掲げる積極的平和主義の立場から「国際社会の平和と安定、繁栄の確保に積極的に寄与する」と基本理念に明記。自国の平和だけを追求する一国平和主義を脱し、国際秩序の構築に主導的な役割を果たしていく姿勢を鮮明にした。
 安保戦略は、昭和32年に岸信介内閣が策定した「国防の基本方針」に代わるもので、約10年先を見据えた最上位の戦略文書。日本の平和に加え、自由貿易体制の維持や民主主義など普遍的価値に基づく国際秩序の維持を「国益」と定義。日米同盟を軸に各国と協力を進め「国際社会の主要プレーヤーとして積極的な役割を果たす」とうたった。

 中国の軍拡や北朝鮮の核・ミサイル開発を念頭に、アジア太平洋地域で「平時でも有事でもないグレーゾーンの事態が生じ、さらに重大な事態に転じかねない」と指摘。政府、自治体、民間の連携を強め、武力攻撃や大規模災害など「あらゆる事態にシームレス(継ぎ目なし)に対応する総合的な態勢を構築」すると明記した。

 武器の輸出を事実上禁じてきた武器輸出三原則などに代わる新原則を定め、武器の国際共同開発や平和貢献のための輸出に参画していく方針も盛り込んだ。

 安保戦略に基づく防衛力整備の指針である防衛大綱と中期防では、陸海空3自衛隊の一体的運用や南西方面への機動展開能力を重視した「統合機動防衛力」を、前大綱の「動的防衛力」に代わるコンセプトに掲げた。
 指揮系統を全国的に一元化した「陸上総隊」の創設や、離島防衛のための「水陸機動団」の創設などが柱。
 弾道ミサイル対応のための敵基地攻撃能力の保持については「発射手段への対応のあり方を検討し、必要な措置を講じる」と間接的な表現で盛り込んだ。


安倍首相のアセアン外交
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成25(2013)年12月19日(木曜日) 通巻第4091号
http://melma.com/backnumber_45206/

アジア太平洋の環境激変に対応できる国防体制構築へ
オスプレィ十七機、イージス鑑八隻、水陸両方戦車など装備向上の「防衛大綱」


▼日本の遅すぎた対応の前段階は「日本アセアン首脳会議」での合意だった
 12月13日、14日と東京迎賓館で開催された「日本アセアン特別首脳会議」に関して、日本での報道があまりに少なく、且つ記事内容があまりにも貧弱だったことに筆者は驚いてしまった。
 これは大袈裟に言えば昭和十五年の大東亜会議に匹敵するほどの画期的な集まりで、政治混乱のため出席を見合わせたタイのインラック首相をのぞいて、アセアン加盟すべての首脳が東京に一堂に会し、しかも「航空路の安全」など中国牽制の文言を共同声明に盛り込んでいるのである。

 日本アセアン首脳会議それ自体は1977年から開始され、東京での「特別会議」は2003年についで二度目だが、従来は経済協力のレベルにとどまり、政治論議とりわけ安全保障問題でも討議もなければ、合意されたこともなかった。

 安倍首相は就任以来、じつに意欲的にアセアン諸国を歴訪した。
 2013年一月にベトナム、タイ、インドネシア、五月にミャンマー、七月にマレーシア、シンガポール、フィリピンを歴訪し、十月にブルネイ、十一月にラオス、カンボジアと僅か十一ヶ月の間にアセアン十カ国すべてを巡回し、さらにこの間には欧米ならびに産油国とトルコ、モンゴルを歴訪し、事実上の中国包囲網外交を確立した。来年にはアフリカ訪問が外交日程にのぼっている。
 これほど猛烈なスピードと熱意をこめた外交には安倍首相の思い入れも深くこめられている。
 アセアン歴訪では行く先々で経済援助、インフラ建設協力、円借款という既存の援助外交にプラスして、
第一に文化交流の深化を謳った特別チーム(ビートたけしらも加わり座長は山内昌之前東大教授)を設立して事前に各国に派遣し、さらには東京で日本アセアン音楽祭も開催した。

第二に軍事面での協力を謳い、航行の安全(つまり中国の海洋覇権への牽制)に合意を取り付け(カンボジア、ラオスをのぞく)、さらにベトナム、フィリピンとの間では安全保障の分野でもっと踏み込んだ協力関係を打ち立てた。ついでに言えば台風災禍のフィリピンへは災害融資枠の五倍増、自衛隊1180名という大規模な派遣を実現し、日本なりのトモダチ作戦を展開したことは記憶に新しい。

第三に日本の防衛力整備に関して、どの国からも反論はなく、いなインドネシア、フィリピン、ベトナムからは歓迎の旨が伝えられた。

▼アセアン十カ国首脳が東京に勢揃いした
このような背景と環境変化のもと、協力四十周年を記念する名目で「日本アセアン特別首脳会議」は12月12日に実質的に開始された。
開催の二日前に安倍首相は迎賓館を下見するほどの熱の入れようであり、13日に首相官邸で開かれた歓迎の宴ではユネスコ文化遺産にもなった和食を参加者にふるまっての「おもてなし」を印象づける演出までした。

本会議に前後して、安倍首相は個別会談を次々とこなした。
12日にはナジブ(マレーシア首相)と会談して「海上保安当局間の協力」を確認し、13日にはボルギア(ブルネイ国王)と省エネ技術協力で合意し、フィリピンのアキノ大統領とは年初来懸案だった巡視船十隻供与を決定したうえ、災害融資五倍を決めた。

同日、ユドヨノ(インドネシア大統領)とは、外務・防衛閣僚級協議の検討を確認し、鉄道などへの円借款620億円供与をまとめた。同日、リー・シェンロン(シンガポール首相)との会談では外貨融通枠30億円の合意を歓迎するとしたうえ、14年5月にシンガポールで開催される安全保障会議への出席に前向きの姿勢をしめす。

 14日は本会議である。
 この席で安倍首相は中国の防空識別圏に言及し「力ではなく法が支配し、努力した者が報われる繁栄した経済社会をつくりたい」と強調した。名指しこそしていないが、明らかに中国をつよく牽制したのだ。
 翌日の15日にはトンシン(ラオス首相)と会談し、「外務防衛当局間の安保対話調整で一致したほか、空港拡張工事に100億円のODA供与で合意した。
ティン・セイン(ミャンマー大統領)とは五月の歴訪時に表明した円借款に多少の増額を表明し、ティン・セイン大統領は日本が造成するティラワ工業団地の受け入れ環境の整備などを約束した。

ズン(ベトナム首相)とはフィリピンに引き続く巡視船供与、原発建設での協力の他、ハイウェイ建設に960億円の円借款供与を決めた。
 フンセン(カンボジア首相)とも防衛当局間の連携を確認し、130億円の円借款供与を表明した。
 インラック首相に代わって参加したタイのニワットタムロン副首相の表敬訪問を受けた。
 とりわけ中国の東シナ海上空に一方的に設定した「防空識別圏」について、「力により一方的に現状を変更しようとする試みは受け入れられない」とする日本の立場を表明した。

▼かくして防衛大綱は改定された
 そして政府は「防衛大綱」を纏めるのである。
アジア太平洋の軍事上の激変と、政治環境の激変に対応するため、2010年に策定された防衛大綱を三年で改訂したのは異例のことである。
この新しい防衛大綱には「中国は軍の艦艇や航空機による太平洋への進出を常態化させ」「力を背景とした現状変更の試みなど、高圧的とも言える対応」と表現して「中国の軍事動向は強く懸念している」とした。

そのうえで、日本は対応能力の向上を総合的になすことを基本の方針に据えた。
具体的には陸海空の総合的一体運用を目指し、護衛艦54隻体制、戦闘機280機、機動戦闘車99両、オスプレィ17機、水陸両用車52両、AWACS4機、空中給油機3機、F35が28機などの装備充足が並んだ。 ただし「集団的自衛権」への言及は今回もなかった。さきに安倍政権は「国家安全保障会議」を設立しており、「積極的平和主義」という比喩を用いつつ、今後十年の対応を策定する。
 他方、日本政府は米国に対して日米防衛協定に見直しも打診したが、米国側は賛同しなかった。