スターリン、ヒトラー、毛沢東等々、世界には強烈なリーダーがいた。
日本にはいないと云われる。云われてみればそうかも。
自分のことはさておいて、リーダー不在だとか、小者ばかりだなぁと評したりする。
首相も閣僚も外国から見ると頻繁に替わっていると映っている。なぜだろうか。
日本にはいないと云われる。云われてみればそうかも。
自分のことはさておいて、リーダー不在だとか、小者ばかりだなぁと評したりする。
首相も閣僚も外国から見ると頻繁に替わっていると映っている。なぜだろうか。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン2014年12月16日
件名: 神代から連綿と続くリーダー不要の日本
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi
今年、ハーバード大学出版局から、『近代アジアを創った人々(メイカーズ・オブ・モダン・エイシア)』という著作が、出版された。
20世紀のアジアをつくりだしたリーダーたちが、取り上げられている。私はさっそく購入して、読んだ。
編者は歴史家として国際的に高名な、インドのラマチャンドラ・グハ教授である。ガンジー、ネール、毛沢東、小平、蒋介石、パキスタンの“建国の父”のアリ・ブット、ベトナムのホー・チミン、シンガポールのリー・クアンユーをはじめとする、アジアの指導者の生涯を描いている。
ところが、なぜなのか、日本の指導者は、1人も取り上げられていない。
だが、20世紀のアジアを創ったのは、日本ではないか。
20世紀が明けるとすぐに、日本は1904年に強大なロシア大帝国と戦って、勝利を収めた。それによって、数世紀も西洋の苛酷な植民地支配のもとに耐いでいた、アジアの民が覚醒した。
日本は唯一つの有色人種の国として、白人の国ばかりだった列強の仲間入りを果して、万丈の気を吐いた。もし、日本が第二次世界大戦を戦わなかったとすれば、アジアが解放されることがなかった。
それなのに、どうしてこの本のなかで、1人も日本人が、入っていないのだろうか?
編者のグハ教授が前書きのなかで、こう述べている。
「日本から一人も取り上げていないのは、特定の日本の政治家をあげるのは、きわめて難しく、不可能に近いからである」
日本で1885年に内閣制度が発足して、伊藤博文公が初代首相となってから、先の大戦に敗れるまで、42回も内閣が変わった。平均して1年4ヶ月ごとに、首相が交替するか、内閣改造が行われた。日本には、指導者(リーダー)が存在しないのだ。
安倍内閣ははじめの2年が順調だったのに、内閣改造を行ったために、新しい閣僚たちの不祥事によって悩まされている。
これは、日本に独特な現象だ。他の国々であれば、閣僚は4、5年は交替しない。
アメリカでは閣僚も、各省の幹部も全員が「大統領任命官(プレジデンシャル・アポインティ)」と呼ばれ、大統領によって任命されるから、全員が大統領の代理人だ。
ところが、日本の閣僚は首相の代理人ではない。そのために、首相が与党の支持をとりつけるために、内閣を頻繁に改造して、閣僚を入れ替えなければならない。
日本神話では、女神の天照大御神が最高神である。至上神が女神なのは、他の主要な神話にみられない。
中国、朝鮮の至上神は、男性である。ギリシア、ローマ神話、北欧、インド、エジプト、バビロニア、ペルシア神話の最高神も、ユダヤ・キリスト・イスラム教の最高神も、みな絶対権力をもつ男神である。
天照大御神が天の岩屋に籠(こも)ると、八百万(やおよろず)の神々が天(あめ)の安(やす)の河原に集まって、どうしたらよいか、相談する。リーダーが、不在なのだ。他の神話では、上に立って決定する主神がかならずいる。きわめて、日本らしい物語だ。
聖徳太子の『十七条憲法』をとれば、「自分だけが頭がよいと思ってはならない」(10条)、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。全員でよく相談せよ」(17条)と、定めている。
指導者という言葉は、明治以前の日本語に存在しなかった。リーダーという英語を訳するために、造った明治訳語だ。それまで上に立つ者は、お頭(かしら)、頭立(かしらだつ)、主立(おもだて)などと呼ばれて、合議することによって人々をまとめた。
今日でも、日本人にとって、神代が続いているのだ。
男親が子どもたちに優劣を競わせて、規律を課すのに対して、母親はできる子も、できない子も、均しく守る。日本人は優しいのだ。
件名: 神代から連綿と続くリーダー不要の日本
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今年、ハーバード大学出版局から、『近代アジアを創った人々(メイカーズ・オブ・モダン・エイシア)』という著作が、出版された。
20世紀のアジアをつくりだしたリーダーたちが、取り上げられている。私はさっそく購入して、読んだ。
編者は歴史家として国際的に高名な、インドのラマチャンドラ・グハ教授である。ガンジー、ネール、毛沢東、小平、蒋介石、パキスタンの“建国の父”のアリ・ブット、ベトナムのホー・チミン、シンガポールのリー・クアンユーをはじめとする、アジアの指導者の生涯を描いている。
ところが、なぜなのか、日本の指導者は、1人も取り上げられていない。
だが、20世紀のアジアを創ったのは、日本ではないか。
20世紀が明けるとすぐに、日本は1904年に強大なロシア大帝国と戦って、勝利を収めた。それによって、数世紀も西洋の苛酷な植民地支配のもとに耐いでいた、アジアの民が覚醒した。
日本は唯一つの有色人種の国として、白人の国ばかりだった列強の仲間入りを果して、万丈の気を吐いた。もし、日本が第二次世界大戦を戦わなかったとすれば、アジアが解放されることがなかった。
それなのに、どうしてこの本のなかで、1人も日本人が、入っていないのだろうか?
編者のグハ教授が前書きのなかで、こう述べている。
「日本から一人も取り上げていないのは、特定の日本の政治家をあげるのは、きわめて難しく、不可能に近いからである」
日本で1885年に内閣制度が発足して、伊藤博文公が初代首相となってから、先の大戦に敗れるまで、42回も内閣が変わった。平均して1年4ヶ月ごとに、首相が交替するか、内閣改造が行われた。日本には、指導者(リーダー)が存在しないのだ。
安倍内閣ははじめの2年が順調だったのに、内閣改造を行ったために、新しい閣僚たちの不祥事によって悩まされている。
これは、日本に独特な現象だ。他の国々であれば、閣僚は4、5年は交替しない。
アメリカでは閣僚も、各省の幹部も全員が「大統領任命官(プレジデンシャル・アポインティ)」と呼ばれ、大統領によって任命されるから、全員が大統領の代理人だ。
ところが、日本の閣僚は首相の代理人ではない。そのために、首相が与党の支持をとりつけるために、内閣を頻繁に改造して、閣僚を入れ替えなければならない。
日本神話では、女神の天照大御神が最高神である。至上神が女神なのは、他の主要な神話にみられない。
中国、朝鮮の至上神は、男性である。ギリシア、ローマ神話、北欧、インド、エジプト、バビロニア、ペルシア神話の最高神も、ユダヤ・キリスト・イスラム教の最高神も、みな絶対権力をもつ男神である。
天照大御神が天の岩屋に籠(こも)ると、八百万(やおよろず)の神々が天(あめ)の安(やす)の河原に集まって、どうしたらよいか、相談する。リーダーが、不在なのだ。他の神話では、上に立って決定する主神がかならずいる。きわめて、日本らしい物語だ。
聖徳太子の『十七条憲法』をとれば、「自分だけが頭がよいと思ってはならない」(10条)、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。全員でよく相談せよ」(17条)と、定めている。
指導者という言葉は、明治以前の日本語に存在しなかった。リーダーという英語を訳するために、造った明治訳語だ。それまで上に立つ者は、お頭(かしら)、頭立(かしらだつ)、主立(おもだて)などと呼ばれて、合議することによって人々をまとめた。
今日でも、日本人にとって、神代が続いているのだ。
男親が子どもたちに優劣を競わせて、規律を課すのに対して、母親はできる子も、できない子も、均しく守る。日本人は優しいのだ。