■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2015年5月23日 02:05:03JST
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戦後の日本の原罪
日本はもう半世紀以上も、国家として原罪ともいうべき、大きな咎(とが)を負ってきた。
私は筆をとるようになってから、台湾を擁護してきた。
毛沢東政権も、中国3000年のおぞましい政治文化によってつくられた、専制国家だから、心を許してはならないと、説いてきた。
私は田中内閣が、日中国交正常化を強行した時に、雑誌『文芸春秋』『諸君』などの誌面をかりて、朝日新聞などが安酒に酔ったように中国熱を煽ったことを、非難した。
翌年、いま中国通の第1人者となっている宮崎正弘氏が働いていた、浪漫社から刊行した著書のなかで、「田中首相が訪中した時の新聞の『秋晴れ 北京友好の旗高く』とか、『拍手の中しっかりといま握手 とけ合う心 熱烈歓迎』という見出しをみると、日独伊3国同盟が結ばれた後に、松岡外相がベルリンの目抜き通りを、パレードした時の新聞の熱狂的な見出しのように思えて、しかたがない」(『新聞批判入門』)と、揶揄(やゆ)した。
あの時も、新聞はナチスドイツに憧れて、世論を煽り立てた。今度は、毛沢東だった。
親独派にかわって、親中派が日本の進路を危いものとした。私は日中国交を結ぶのに当たって、日台関係について中国の言い成りになったことに、憤慨した。当時、中国は中ソ戦争がいまにでも起ることに震えあがっていたから、日本を強く必要としていた。
日本の政財界も、まるで幕末の狂乱のお蔭参りの再現のように中国へ靡(なび)いて、すっかり正気を失なっていた。
中国は日本と国交を樹立するのに焦る必要があったが、日本にはまったくなかった。日中は国交がなくとも、最大の貿易相手だった。
私は田中首相が北京空港に降り立った時の、朝日新聞の高熱によってうかされた譫言(うわごと)のような記事に、唖然(あぜん)とした。特派員が朝から酒でも呷(あお)っているのではないかと、疑った。
「その時の重く、鋭い静寂を、何と表現したらいいだろう。広大な北京空港に、いっさいの音を失ったような静けさがおちてきた。1972年9月25日午前11時40分、赤いじゅうたんを敷いた飛行機のタラップを、黒い服の田中首相がわずかにからだを左右に振りながら降りてきた。まぶしそうに空を見上げ、きっと口を横に一文字に結んで、周首相の前にすすんだ」 「‥‥これは夢なのか。いや夢ではない」
「実際には、その時間は1分にも満たなかったはずであった。記者団の群れにまじった欧米記者たちの不遠慮な声もしていたかもしれない。しかし、その時間は、もっと長く感じられた。なんの物音もしなかったと思う。40年も続きに続いた痛恨の時間の流れは、このときついにとまった。その長い歳月の間に流れた日中両国民の血が涙が、あふれる陽光のなかをかげろうのようにのぼっていく――ふとめまいにさそわれそうな瞬間のなかでそんな気がした」
私は「新聞記者は、どのような状況にあっても、目まいを起こしてはならない。しっかりしてほしい。それに、日本であれ、外国であれ、記者たちはいつも『不遠慮な声』をだしているものだ」(前掲の拙著)と、叱責した。
中国はそれから40年もたたないうちに、日本へ向かって醜い牙を剥くようになった。
この時の朝日新聞の社説の「日中新時代を開く田中首相の訪中」も、憤飯物だった。
「日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならねばならない。日米安保条約によって勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環をソ連にもひろげる。あるいはアジア・極東地域に恒久的な中立地帯を設定する。そうした外交選択が可能となったのである」
日本は日台関係を絶って、台湾を放棄した。私は日台は一体だから、台湾が中国によって呑み込まれたら、日本が亡びると説いた。台湾は日本にとって、もっとも大切な隣国だ。
私は米中国交樹立を待って、日中国交を結ぶべきだったと主張した。
アメリカは日本より7年遅れて、中華民国と断交して、米中国交を樹立した。この時、アメリカは米台間で領事関係を維持することを強く求めたが、中国側が「日本方式(ジャパン・フォームュラ)」しか認めないといい張ったので、従わざるをえなかった。五十年にわたって日本国民だった、台湾人の想いを裏切った、日本の罪は重い。
しかし、アメリカ議会が台湾関係法(TRA)を制定して、政権に台湾を防衛することを義務づけた。今日まで米台関係は、台湾関係法に基く公的なものとなっている。
私は国会がアメリカ議会に見倣(みなら)って、日本版の台湾関係法を立法するべきだと、主張してきた。1日も早く、そうしてほしい。
そうすることによって、日本は原罪を償うことができる。
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戦後の日本の原罪
日本はもう半世紀以上も、国家として原罪ともいうべき、大きな咎(とが)を負ってきた。
私は筆をとるようになってから、台湾を擁護してきた。
毛沢東政権も、中国3000年のおぞましい政治文化によってつくられた、専制国家だから、心を許してはならないと、説いてきた。
私は田中内閣が、日中国交正常化を強行した時に、雑誌『文芸春秋』『諸君』などの誌面をかりて、朝日新聞などが安酒に酔ったように中国熱を煽ったことを、非難した。
翌年、いま中国通の第1人者となっている宮崎正弘氏が働いていた、浪漫社から刊行した著書のなかで、「田中首相が訪中した時の新聞の『秋晴れ 北京友好の旗高く』とか、『拍手の中しっかりといま握手 とけ合う心 熱烈歓迎』という見出しをみると、日独伊3国同盟が結ばれた後に、松岡外相がベルリンの目抜き通りを、パレードした時の新聞の熱狂的な見出しのように思えて、しかたがない」(『新聞批判入門』)と、揶揄(やゆ)した。
あの時も、新聞はナチスドイツに憧れて、世論を煽り立てた。今度は、毛沢東だった。
親独派にかわって、親中派が日本の進路を危いものとした。私は日中国交を結ぶのに当たって、日台関係について中国の言い成りになったことに、憤慨した。当時、中国は中ソ戦争がいまにでも起ることに震えあがっていたから、日本を強く必要としていた。
日本の政財界も、まるで幕末の狂乱のお蔭参りの再現のように中国へ靡(なび)いて、すっかり正気を失なっていた。
中国は日本と国交を樹立するのに焦る必要があったが、日本にはまったくなかった。日中は国交がなくとも、最大の貿易相手だった。
私は田中首相が北京空港に降り立った時の、朝日新聞の高熱によってうかされた譫言(うわごと)のような記事に、唖然(あぜん)とした。特派員が朝から酒でも呷(あお)っているのではないかと、疑った。
「その時の重く、鋭い静寂を、何と表現したらいいだろう。広大な北京空港に、いっさいの音を失ったような静けさがおちてきた。1972年9月25日午前11時40分、赤いじゅうたんを敷いた飛行機のタラップを、黒い服の田中首相がわずかにからだを左右に振りながら降りてきた。まぶしそうに空を見上げ、きっと口を横に一文字に結んで、周首相の前にすすんだ」 「‥‥これは夢なのか。いや夢ではない」
「実際には、その時間は1分にも満たなかったはずであった。記者団の群れにまじった欧米記者たちの不遠慮な声もしていたかもしれない。しかし、その時間は、もっと長く感じられた。なんの物音もしなかったと思う。40年も続きに続いた痛恨の時間の流れは、このときついにとまった。その長い歳月の間に流れた日中両国民の血が涙が、あふれる陽光のなかをかげろうのようにのぼっていく――ふとめまいにさそわれそうな瞬間のなかでそんな気がした」
私は「新聞記者は、どのような状況にあっても、目まいを起こしてはならない。しっかりしてほしい。それに、日本であれ、外国であれ、記者たちはいつも『不遠慮な声』をだしているものだ」(前掲の拙著)と、叱責した。
中国はそれから40年もたたないうちに、日本へ向かって醜い牙を剥くようになった。
この時の朝日新聞の社説の「日中新時代を開く田中首相の訪中」も、憤飯物だった。
「日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならねばならない。日米安保条約によって勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環をソ連にもひろげる。あるいはアジア・極東地域に恒久的な中立地帯を設定する。そうした外交選択が可能となったのである」
日本は日台関係を絶って、台湾を放棄した。私は日台は一体だから、台湾が中国によって呑み込まれたら、日本が亡びると説いた。台湾は日本にとって、もっとも大切な隣国だ。
私は米中国交樹立を待って、日中国交を結ぶべきだったと主張した。
アメリカは日本より7年遅れて、中華民国と断交して、米中国交を樹立した。この時、アメリカは米台間で領事関係を維持することを強く求めたが、中国側が「日本方式(ジャパン・フォームュラ)」しか認めないといい張ったので、従わざるをえなかった。五十年にわたって日本国民だった、台湾人の想いを裏切った、日本の罪は重い。
しかし、アメリカ議会が台湾関係法(TRA)を制定して、政権に台湾を防衛することを義務づけた。今日まで米台関係は、台湾関係法に基く公的なものとなっている。
私は国会がアメリカ議会に見倣(みなら)って、日本版の台湾関係法を立法するべきだと、主張してきた。1日も早く、そうしてほしい。
そうすることによって、日本は原罪を償うことができる。
■台湾関係法(Wikipedia)
台湾関係法(たいわんかんけいほう、英: Taiwan Relations Act、略称: TRA)は、アメリカ合衆国の法律。 台湾(中華民国)に関するアメリカ合衆国としての政策の基本が定められている。 事実上のアメリカ合衆国と台湾(中華民国)との間の軍事同盟である。・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/台湾関係法
http://ja.wikipedia.org/wiki/台湾関係法